コメント

  • Takakazu
    「純愛」の定義の問題かと。広辞苑によると「純愛」とは「純粋な愛。ひたむきな愛」だそうです。ゆえにフミノリの主観からすれば(例え外見に左右されているとはいえ)打算のないひたむきな愛情を注いでいる以上、「純愛」とは言えるのではないかと思えます。
  • Takakazu
    それに対し、客観的な神の視点からすればフミノリが「外観」や「声」などが愛の要素となっていて、それまでの「積み重ね」である経験を踏みにじっているので、純愛とはとてもみえない。定義というよりも誰の視点で純粋かを判断するかの問題ですね。
  • Takakazu
    要は「純愛は虚構」というのは一面的な見方ではないかと思います。沙耶の唄のテーマというのは「愛は客観的に見れば虚構であり相対的なもの(脳に異常を来せば愛の対象も変わってしまう)であると同時に、主観的に(愛しあう二人から)見れば真理であり絶対的なもの」ということではないでしょうか。
  • Takakazu
    この作品にある種の「凄み」があると言われるのは、二人の男女の愛を通じてグロさ(相対性)と純愛(絶対性)が両立し、見事なコントラストを構築する光景を提示したところにあると思う。
  • Takakazu
    我々の倫理観や美意識、愛と呼ばれるものが、人間という生物の本能や経験に基づいたなんら絶対的なものではないということ。 少し我々の価値観の世界から少しずれたところに、まったく真逆の異質な世界が広がっているということ。 そして、その世界においても我々と同様に真摯な価値観や純粋な愛が存在しているということ。 大衆向けの恋愛作品である意味「反恋愛」的なテーマを提示し、成功したのは珍しい事例だと思う。
  • SiTube
    確かに沙耶の唄を純愛と呼ぶのは何か違うような気がした。ぶっちゃけ沙耶はエロゲのメタファーに思えた。続く
  • SiTube
    (続き)  悲しみとショックで周囲と感覚がずれた人(フミノリ)の救いは沙耶(エロゲ)だけだった。フミノリの隣人(世間)はフミノリを哀れみ、フミノリに怒り、沙耶を憎んだ(バッシング)  (続く)
  • SiTube
    (続き)  沙耶がフミノリを愛したのは沙耶の生態(エロゲの構造)だったが、沙耶に知識を与えた人物(制作者サイド)は沙耶の幸せ(業界の発展)を望んでいた。沙耶に恨みを持つ女医(エロゲの害を知る側)は沙耶を倒そうとした。 (続く)
  • SiTube
    (続き) あなたの近くにもフミノリがいませんでしたか? そして、あなた自身はフミノリですか?  ここでピアノの音が鳴り、画面の隅からタモリがタモリが登場。
  • surface765
    炉利少女の沙耶ではなくグロ少女の沙耶を愛した爺さんこそ純愛って誰かが言ってた。
  • SiTube
    この絵好きだけど、上記の理由で絶対にありえないシーン。  確かこんなエンディングが・・・ | しばふ http://p.tl/i/4425167 #pixivtweet
  • Takakazu
    こちらの方が私よりも遥かに高度な議論を展開していますね……無学を反省させられます。「愛でなく」http://togetter.com/li/30734
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