• kdxn
    ここ3日ぐらいの間に、原発周辺の住民について似たような話を3つぐらい聞いた。ひとつは、DOMMUNEで野田努さんが語っていた、浜岡原発近くに住む幼なじみの話。中学の頃に原発ができたときは、田舎町に近代的なものがやってきたのが嬉しかった、という。
  • kdxn
    自分たちの生活もこれで潤うはずだと思っていたので、反対運動にやってきた左翼は「敵」と思っていたと。もうひとつはツイッターかブログで見たやつで、やはり原発周辺の地域住民が、かつて反対運動をやっている人に「あなたたちは原子力に魂を売った鬼だ」と言われたというもの。
  • kdxn
    さらによめはんの親友で柏崎の人がいて、彼女は原発には反対なんだけども、いまの反原発の運動には「乗れない」と言う。地元では家族や親戚や友達に東電社員がたくさんいて、子供の頃から啓発教育みたいなものもしょっちゅうあったと。
  • kdxn
    一方で、親が原発に務めている子が、学校で反原発の教師から差別的扱いを受けていたりもしたという。それを見て、「反原発運動」に対して非常にいやなイメージをいまでも持っている。
  • kdxn
    「だまされていたんだ」と言うけども、柏崎の地元では誰もそんなことは思っていない。みんなコトが起これば大変なことになるのはわかっていて、それに目をつむってきた。だから親も「事故が起きたらすぐにどこかに逃げろ。柏崎には戻ってこなくていい」と常々言っていた。
  • kdxn
    彼女はそういう、自分たちが原子力の恩恵に浴してきたことや、危険を「なかったこと」にしていままで来たことに責任を感じていて、原発はやめるべきだと思っているんだけども、なおかついまの反原発・脱原発デモに行く気はしないという。
  • kdxn
    自分は手放しでそんなことを言える立場にないという自責の念と、住民全部が原発とともに生活してきた葛藤なんて想像もつかない都会の人たちが脱原発とかいって大騒ぎしているのが軽薄に見えるのと、何よりもそういう人たちに恐怖を感じているんだそうだ。
  • kdxn
    実際、ネットでも福島の住民を「今まで東電からカネもらってたくせに」とかいって誹謗する書き込みをする馬鹿はけっこう見たしね。先週の『週刊金曜日』の「原発アカ狩り」が話題になってるけど、ああいう方向性はもっとも慎重に避けなければいけないものだったんじゃないかと思う。
  • kdxn
    もし自分が原発周辺の地域住民だったとして、遠くから町にやってきた反対運動家の中に佐高信みたいなのがいたらどんなひどいこと言われてたか、容易に想像がつきますよネ。勘弁してほしいです、ホント。
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コメント

  • goisup
    しかしながら、そう見えてしまっている。「代案厨」などとレッテルを貼ったり、「太陽光や風力で大丈夫!」なんて言ってみたりな。原発は無い方がいいよなぁ、と思いながらファナティックな反原発運動の臭いを嫌う人々は多いんじゃ。ゆえに、整合性を求めたがる。そこで極端な二者対立に落とし込まれてしまい、何も解決しないんじゃ。
  • kdxn
    この話があろうとなかろうと代替厨が代替厨でなくなるわけではなく、彼らが二項対立論者であることも現地住民への想像力を徹底的に欠いていることにもかわりはないです。まとめと関係のない話すな。
  • okaikki
    「原子力の恩恵に浴しつつ、危険をなかった事にしてきたのだから……」って、周辺住民だけの話じゃないよね。日本人みんな原発の電力の恩恵に浴して来たんだし、一部で危険を叫ぶ人はいたけれど、政治的な話になりがちでみんな敬遠してたわけだし。それなのに葛藤が無いとしたら、それは当事者意識が無いって事なのかな。
  • SF_yomi
    当事者意識で言えば、東電営業エリアの人間は加害者ですがな。そして原発を持たない電力は沖縄電力だけなので、それ以外の人は全員当事者ですがな。
  • aozorashirokumo
    自分には直接的な害がなかったので、今まで関心すら持たずに原発の電気で何不自由なく暮らしてきて、今回の事故。そんな私ですが、反原発を訴える事に葛藤は感じません。自分の過去の対応の問題に気づいても尚それを改めない事は、「責任をとる」こととは違うし、仮にそれが責任をとる事になるのだとして、その自分は危険と共に生きて行けば良いだろうけれど、今の子供達、その次の世代の人達に、この問題を先送りする事になる責任は負えないのだから。誰が今までどうだ、ではなく、今どうか、どうか、今後どうあるべきか、しかなく、反・脱原発しか
  • aozorashirokumo
    ★最後の文訂正: 今どうか、今後どうあるべきか、しかなく、反・脱原発しか選択肢はない、という感じです。
  • goisup
    なぜそう威丈高になるのか分からんが・・・。 かつての「運動」にあった臭いを感じさせてはいけないよね、というまとめでは無かったのか。言っとくが、ワシはすぐ原発は止めるべき、という立場で、代替案をどうこうなんぞ言わんぞ。「かつての運動」を嫌う連中と「レッテル貼り」の対立になってはイカンでしょ。普通の人々を説得したいと言っていたじゃないか、あなた。@kdxn
  • goisup
    「反原発」も「原発推進」も、福島で事故が起こったということで両方とも負け。要因はワシらの無関心。無関心だったからこそ原発地元に対する想像力が無かったわけじゃ。それは、今、脱原発を訴える人も、大規模停電による二次災害を危惧する人も、311以前無関心だったという意味で同じ。どちらがどうとも言えんよ。ワシはそこで無用な対立を出来るだけ避けて最適解を見出す必要があると思っとるよ。
  • pontagonda
    原発で私も恩恵をうけてきた。原発で恩恵を受けてきたのだから、原発による悪影響を少しでも後の世代に残さないことも、一つの責任の取り方だと考える。
  • kdxn
    いやこれは運動論以前の問題で、要するにこういうことです。http://twitter.com/#!/kdxn/status/59795842047025152 単に「無用な対立を避ける」だけではだめで、なぜそこで「対立」が起きちゃうのか、その対立は本当に「無用」なのかどうか、そういうとこまで考えてやっていきたいですね。それぞれの真剣な葛藤を「無用な対立」なんていう軽い言葉で片付けちゃいけないんだ。
  • goisup
    ちょっとよく分からない。ワシが言う無用な対立とそれぞれの真剣な葛藤とは因果関係は無いぞ。元GE技術者菊地さんは「命がけで作ったが命がけで止めたい」と言い、彼の娘さんは「原発作ったお金で育った事を死ぬまで背負う」と。その思いを痛烈に感じるがこそ、どちらも藁人形相手に闘ってもしょうがないわけです。
  • SuperMTec
    沖縄の反基地問題の構造と似てる。思想にかぶれた左翼は自分たちの理想実現以外の価値を認めず、現地の実生活から生まれる葛藤を安易に無視する。そして絶対に反省しない。なぜなら自分たちだけが正しいと思っているから。しかし「反○○」という主張は実在の権威や体制に依存していて、それ単独では成立しない無責任な我侭、反発でしかなく、またそのことが彼らが否定しているものこそが「現実の正義」だと証明してもいるのだが、左翼はそれを客観することもできない。度し難いことだ
  • SuperMTec
    自分の妄想の正義で生きている反原発左翼と現実の正義に生きている地域住民の意識のズレは永久に埋まらないだろうし。同じ反原発を掲げるとしても両者のニュアンスは「違う」のだが、左翼にはその違いがわからないし、そんなことはわかる必要もないと思ってる。その気持ちの悪さを地域住民側だけが抱えていくことになるだろうし、つまりはそこが付け入る隙であり、破綻のきっかけなのだw
  • natsume_yuuki
    非常に腑に落ちるツイート。反原発と脱原発は「道」とか「布教」になってしまっていて、リスクヘッジ派や徐々にシフト派は「容認派」へ組み込まれる現状。地元住民はどこにも入れない。
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