• 2009/12/01 03:11:13
    カルチャー アニメ 芸術 +

    テレビアニメに要らない脚本家

    原作→脚本→演出、中抜きで合理化
    ※2011/02/19追記 ここにまとめたZEROWORKS氏はその後twitterアカウントを削除しており、現在は別人がZEROWORKSのアカウントを使用しています。この件に関して現ZEROWORKS氏へのリプライはお控えください。
    by mindblinds
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  • ZEROWORKS
    おそらく映画もそうだろうとは思うけれども、自分のわかるテレビアニメの世界に限るなら、原作があって、さらにはそれを映像化する人間が製作と制作の両サイドにおり、その間にいる脚本家さんについては製作工程を企画段階から観察していない限り、「天才」呼ばわりするのは不可能だと自分も思う。
  • ZEROWORKS
    原作に対して演出チームで脚本を起こし、同じメンバーでコンテを起こして演出する方が、経済的に合理的だと考えてる。最近とみに感じるのは、圧倒的に面白いオリジナルを除き、シリーズ構成や各話脚本なんてのは、たまに原作者さんをゲストで呼んで「物語」を成立させた方が質的向上に繋がる。
  • ZEROWORKS
    「錯覚に違いあるまい」と自分に言い聞かせてはいるが、事実としてシリーズ構成はプロデューサさんがやれるし(作品によってはプロデューサさんが実質的にやっている)、各話の脚本は、金ではなく最低限の時間が許されれば、コンテ・演出家でも的確にやれるしやっている。脚本家の必要性がわからん。
  • ZEROWORKS
    身も蓋もない言い方をすれば、脚本家の人件費を演出家にまわしてもいいんじゃねえの、という話。誰も書かないので自分が書くけど、『バスカッシュ!』なんかでも、竜雄さんに2~3話はコンテを割ってもらった方がよかったんじゃないか。
  • hose_s
    @ZEROWORKS それは単に演出家が脚本も書けばよいだけのことでは? 演出家が脚本家としてのペンネームも持って、脚本家として仕事を受けるということは、アニメ業界では不可能なんですか? >脚本家の人件費を演出家に回す
  • ZEROWORKS
    @hose_s 演出家がシナリオを担当するのはもちろん可能です。たとえばhose_sさんは大好きなアニメ脚本家がいらっしゃいますか?その理由は?と考えていくと、ほとんどの作品で「脚本家の才能」は不要だという結論に達するはず。脚本家必要論は業界の「因襲」による産物です。
  • sh_archaicsmile
    @ZEROWORKS  プロデューサーのブレーンとして機能するくらいでないと脚本として生き残っていくことは出来ないのだろうと思っています。経済合理性に見合った脚本家になりたいものです。
  • ZEROWORKS
    @sh_archaicsmile 作打ちと演打ちの場面ではプロデューサさんと監督さん(とメインスタッフ)がいて、構成のライターさんがいるわけだけれど、とりわけ「漫画・ゲーム」を「アニメ」に翻案する作業に関して、ライターさんが「信じられない程の技量」を発揮するのを見たことがない。
  • ZEROWORKS
    @sh_archaicsmile 本職の脚本家さんでしたら、生意気を言ってすいません。
  • sh_archaicsmile
    @ZEROWORKS いえ、まだ目指す者です。某社の進行である友人と企画を考えたりしてます。ZEROWORKS様には是非、このまま言いたいことを言って欲しい。それを受け止め、考えることは豊かな「他者との出会い」だと思っています。
  • ZEROWORKS
    けれども多くの場合はいらねえよ、テレビアニメ脚本家。視聴者が信じられないと驚歎する程の画面を週間ペースで作るために、自分の担当回で最近人気の「××××」さんに金を払う必要性を感じない。愚痴だけど本音。
  • sh_archaicsmile
    @ZEROWORKS 脚本はテレビドラマや実写映画においては重要な「プレゼン道具」としての側面を持っていたりするのですが、原作モノの「漫画・ゲーム」だとその機能も不要ですね。実物がありますしね。
  • hose_s
    @ZEROWORKS 考えてみたのですが、「脚本家なしの状態を見てみないと、比較対象がないからなんとも言えない」という答えになりました。脚本家なしでやってみて、納期を守って品質を維持できるか試した結果を見るしかないような気もします。門外漢の意見かもしれませんが。
  • ZEROWORKS
    @hose_s 実例はあるでしょう。形式やメディアは異なるけど、「宮崎アニメ」の脚本を花田清輝のお孫さんや夏目漱石のお孫さんが書いたからといって、作品がブラッシュアップされるとは思えない。別の作品にはなるだろうけれど、売れる保証がないのはどちらも同じじゃないかな。
  • ZEROWORKS
    脚本がなくてもコンテは切れる。時間が許すのであれば、好きな場面の作画もできる。といった程度の発想は誰にでもできると信じたい。「脚本家」さんに作品の質が左右されるという考え方は、かなりの程度で非=アニメ的だと思う。「違う、脚本こそゼロ年代の想像力だっ!」と言われたら仕方ないけどね。
  • hose_s
    @ZEROWORKS 宮崎アニメは、まさに「脚本家なしでやってみて結果がよかったから続いている」ケースなのだと思っていました。事情にくわしいわけではないので的外れかもしれませんが。同様に、TVアニメでも「やってみて、結果がよければ続く」と思いました。単純に考えすぎでしょうか。
  • hose_s
    @ZEROWORKS 変化というのはどこからでも起こりえるし、問題意識が状況をとらえていれば変化のイメージは現実になる(もしくは近づく)と思っています。個人的には、新しいものを見てみたい気はします。
  • ZEROWORKS
    @hose_s 「宮崎アニメ」はもはや「結果論の水準」は越えていると思います。テレビアニメに関しては、「分業=善という因襲」が強い。才能と野心のあるアニメ演出家が音響監督や色設もかねる時代にあって、「脚本してはいけない」という考えはいかにも古くさい。時間的な制約の問題です。
  • ZEROWORKS
    作品評価の基準を商業的な成功に結びつけるのは当然だけれども、それが全てではない。そのような評価の仕方がまかり通らないかぎりは、「売れるが勝ち」という不文律から抜け出せない。それは目の肥えたアニメファンや、野心的で気概のある制作者にとっては、障壁になります。
  • hose_s
    @ZEROWORKS なるほど、市場や現場の状況と合うように、仕事のしかたが広がるとよいですね。こういうとき、障壁があるのなら、演出家側に立って脚本家側と交渉してくれるものがあるとよいのですが。
  • fu_tokino
    @ZEROWORKS 仕事の早い人だとTVアニメでも、脚本も絵コンテも演出もやってたりしますね、小林治監督とか。古橋一浩監督はジパングでは監督・シリーズ構成・脚本を担当されていたし、演出家が「脚本してはいけない」という考え方があるとは知りませんでした。
  • ZEROWORKS
    @fu_tokino そうそう、だから「スター脚本家」はいても、「天才脚本家」なんてホントはいないんじゃないのか、というのが自分の思うところです。企画・製作規模・プロデューサさんによもよりますが、それでも「脚本家神話」が根強く存在しているのは事実です。
  • 147yen
    視聴者が脚本家を尊重するのは、映像に関するリテラシーが低すぎて、物語を追うことしかできないことに起因しているんだろうし、そういう風潮を批判する人は数多く存在する。でもシナリオに関するリテラシーの欠如を指摘する人は少ない。
  • 147yen
    尊重というより偏重か。
  • 147yen
    「泣くほど痛い」と「とても痛い」という表現上の差異を拾えないのが現在の文学研究だと思う。
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コメント

  • Yamagami_Tatuya
    いや、絵コンテ段階でその1話分の話を変えることはあっても、シリーズ通しての統括的な脚本を纏める人は必要では?それとも、各話絵コンテ・演出家が脚本を書くという構成にするのか?
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