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  • tane_net
    「リアルとリアリティとデフォルメ」昔から考えてたんだが、帰宅途中リアリティとは現実によって重みづけられた現実より現実らしい表現。デフォルメとは目的(主にコミュニケーション?)のために無駄な要素を捨て最適化された表現。と言えるかなと思いましたー。たまにはまじめな発言(TMH)でしー
  • thymshny
    @tane_net リアリティの現実感って「本物っぽい」という感覚ですか?飲食店の調理見本のそれを上げていく感覚ですか?デフォルメでの最適化は抽象化ですか?記号化というか、メディアミックスみたいにキャラが世界背景の異なるものに出てくるみたいに?僕も気になるのでw
  • thymshny
    全く知らない女の子に手を引かれて連れて行かれた大きなバケツの前。「ついて来て」するとその子は頭からバケツの中にずぶずぶ入っていく。手を引っ張られながら自分の視界にバケツの水が覆われていく。感触は粘土のよう。沈んでく感触がリアルで恐かった。ゆっくりとしずかに。目をつむり息を止めた。
  • thymshny
    その「反対側」に出たとおぼしき所で「ぷはぁー」と呼吸を再開したところでいねむりから醒めたw 現実の中での「リアリティあるなぁ」と夢の中での「リアルさ」みたいなものの差異はどのくらいあるのかな。同じなのかはたまた全然違うのか。
  • thymshny
    現実って何。。起きている/寝ているという意味での現実/虚構という図式の中での「現実」としておこうか。ひとまずは。現実の中ですぐに思い浮かぶのはモノが放つ印象のバランス。具体、抽象、ニュートラル。フェイクがリアリティを帯びるかどうか(強引やな)。「リンゴらしいリンゴ」はどうやろう。
  • thymshny
    石膏やスタイロやあるいは鋳造や木でもいい。まずは形をつくる。印象を目指して。その「△△っぽさ」を目指すことがひとまずリアリティを帯びるということでいいのか??ではここでは「リンゴっぽさ」を獲得できるか、となる。その形の次元での抽象/具体。素材の次元、色の次元での抽象/具体。
  • thymshny
    全体的に具体に寄ると「っぽさ」の水準が上がる。敏感に鋭く研ぎすましていった先は「本物」になるのだろうか。一方で抽象はぼんやりと「っぽさ」の水準。リンゴを白く塗って光沢を無くして香りを封じ込めるのも抽象化。要素をどんどん落としていく作業。どちらも共に記号の取り扱い。
  • thymshny
    夢の中の出来事であってもそのそれぞれの水準で具体的なものを感じた結果のリアリティ。粘土の感触も「知って」いるし息を止める苦しさも「知って」いる。粘土質に頭から突っ込むときの感触は想像でしかないが映画か何かでみた情報かも「知れ」ない。そんなこんなで夢の中であっても現実のように感じる
  • thymshny
    夢の話は置いといてw記号の扱いのさじ加減でどっちにもなる。ところでフェイクとディフォルメ。どちらも主観による再定義、再構築。と思うんやけどそれは @moss_ya の方が詳しいかも。落とし所を見失ったな。。。も少し具体的な例とかを絡めて考え直そう、かwww
  • thymshny
    たとえばVR。あれはどんどん具体化していく作業。どんどんリアル感を増していく3D(現実ではないですよw)の女の子にはどんどん萌えなくなっていく。引っかかるとすれば仕草や到底部分。具体的になればなるほど現実との差異が違和感となって現れてくる。
  • thymshny
    ある水準を越えると色んな意味が入り込んできてどんどんそっちに絡めとられていく。少しでも形式のような匂いがすると鋭さが無くなってウェットになる。
  • moss_ya
    現実も虚構も「この今」以外は区別なんてつかない。一瞬前の出来事も、寝る前の妄想も、「この今」においては等しく頭の中の記憶でしかない。そして記憶なんてものは移ろい易い。そのようなことを西園美魚という読書好きの女の子が言ってた気がする。
  • moss_ya
    西園美鳥だったかもしれない。
  • thymshny
    記憶かぁ。。夢自体も起きてから記憶の残滓をまどろみながら構築し「夢かぁ。。。」の一言で産声を上げる。その瞬間に夢は夢となって固定化される。
  • moss_ya
    実物を1とするとフェイクは0→0.9999を目指し、デフォルメは1→0.5とかを目指すって感じがします。主観による再定義には違いないと思いますが向かう方向が違うのかなと思いますRT@thymshny ところでフェイクとディフォルメ。どちらも主観による再定義、再構築。と思うんやけど
  • moss_ya
    フェイクは限りなく1を目指すのがセオリーだと思いますが、多くの場合は1に打ち勝つためにある要素を捨ててでも別の要素も盛り込むんだと思います。板張りのフェイク壁紙が本当に板状にセパレートされてたらだれも使わないという罠。
  • thymshny
    それはわかりやすい!さすが研究者!どちらも目標をもちつつ一方は精度を上げてもう一方は要素を落としていく。デフォルメは抽象化、フェイクは抽象を保ちつつ具体化でいいのかな??RT @moss_ya: 実物を1とするとフェイクは0→0.9999を目指し、デフォルメは1→0.5とかを目指
  • moss_ya
    1に近づきたいんだけど、別の要素も盛り込みたいみたいな、あるいは盛り込まざるを得ない状況にある、みたいな。そんな葛藤を経てできてるからフェイクは面白いんだと思います。
  • moss_ya
    だと思います!RT@thymshny デフォルメは抽象化、フェイクは抽象を保ちつつ具体化でいいのかな??
  • yyyyyyy0714
    @thymshny @moss_yaではでは、サンプリングもしくはデコンストラクションはどううなんだろう。限りなく1を超えようとする感覚、もしくは1は1で何かを足して1.5ぐらいを目指す感じ。
  • yyyyyyy0714
    少し論点から外れますが。。。
  • thymshny
    うわぁ難しい。。。サンプリングは抽出ですよね?デコンは脱構築で解体→抽出→再構築ですね。RT @yyyyyyy0714: @thymshny @moss_ya 限りなく1を超えようとする感覚、もしくは1は1で何かを足して1.5ぐらいを目指す感じ。
  • thymshny
    建築におけるデコンは機能主義、合理主義の閉塞感から抜け出したいというモチベーション。これは印象やけど「近代建築の5原則」は「満たせば近代建築」というラベルを得られるが同時に空間には押し付けがましい「閉塞感」も感じる。デコン建築はその潜的な押しつけがましさを内包しつつ再構築し...
  • thymshny
    wikiでみたら「毒」をもって「薬」とする、のような。違うかw
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