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  • thymshny
    ん〜コンセプトなんてなくてもいいんとちゃうかな?聞かれたら応える程度で。それ未満ならきっぱり「ありません」といった方がいい。商業目的ではないからなおさらそう思う。コンセプト至上主義はうんざりや。。。
  • thymshny
    歴史性がないなぁー(ネガティブな意味合いではなく、なくてもいいと思う)という感覚と作品から受けた印象は近い。つまり、今の文脈の軸線から出てきたようには表面的には感じないこと(自明かもしれんが)。だから同じ言語でもその意味が違うから接続しにくい。キャラクターしかり平面しかり。
  • thymshny
    先日の「カオスラウンジ」のを視ての感想。「コンセプト」の取り扱いと、現象というか作家方がすでに自然と振る舞いに現れる次元での身体性(言説よりも行為が先回りしてさらに何か新たな可能性を予感させる行動活動)の差異かなと。むしろコンセプトに関しては「取説いるのか?」って感じてる。
  • thymshny
    美術を専門にしているわけではないので勉強不足だが、建築の話で引き寄せると、結局作品の概要・導入って意味だけしかないように思う。知っている人のことでしか相対的に比較できないが、その文章は多種多様。空間構成や生成ルールやプログラムの事を話す人もいれば、、、
  • thymshny
    ぼくみたいに詩詠んだり敷地の分析を述べたり自分語りをしたりと。自分の周辺を視てる限り、これといって文法みたいなものは感じられなかったし、その必要も感じなかった。「コンセプト」という言葉に対する感覚としては、「半強引にひとつのロジックに納める」という想いでやってきた感がある。
  • thymshny
    それは「一言で説明しろ」ということと同期するんやけれども、「いや、そんなん無茶やん!」って。ぼくの場合やと、設計する前・設計中・設計後の全部の作業に中で感じたことをまとめなきゃならなくなる。「この住宅いいね」って想ってとき、、、
  • thymshny
    その「いいね」の部分って何も建築単体だけの話ではないと考えているから。招待されたとして、その部屋の窓の大きさや玄関からの距離や壁紙の模様といった直接的に扱える要素といったものと、出されたお茶の味やその時間の差し込む光の色やローズマリーの香りや小物の配置という要素があると考えている
  • thymshny
    つまり、そういうよくわからなくてごちゃごちゃしたもの総体を通して初めて「いいな」と感じるわけで(ぼくは)、うまく解けた空間構成を見て「この住宅いいね」なんて死んでも想わない。だからいつも説明する時は大変に疲弊する。
  • thymshny
    話を戻すと、そういった「ごちゃごちゃを解きほぐしてある1つの説明できる順番に並べたもの」が「ロジック」で「その通りに作ればこんな住宅ができますよ」と書くのが「コンセプト」と認識してる(あくまで僕は)。だからその順番に並べることに意味を見出せない。むしろエッセンスが取りこぼされる。
  • thymshny
    コンセプトって客観的・俯瞰的にみる視点であるから、どうしてもその二次的・副次的・後次的に感じる。ちょっと具象的な抽象ぐらいの位置。だから自分以外(改めて見返したときの別時間の自分も含め)の人に説明する時はそれなりに説明が浸透しやすいし、その作品で何を大切にしたかったか把握できる。
  • thymshny
    結局は(これが良いのか悪いのかは後にわかる)どんな状況であれ自分が作品をつくるわけであるから「自分が作品」感は否めない(主張する/薄くするの程度の差こそあれ)。それなら自分の世界がある方がいいと感じたから建築家を目指したいと想った。それで「読後建築」w
  • thymshny
    「w」が付いたけど結構真面目に考えてます。本を読んで椅子にもたれた時にフッと感じるような建築。体験していたときの様々な現前したものがある種「問うても問わなくともどっちでもいい」と想えるような解釈にまで拡がる状況を作り出すもの。一方で若者の「自分語り」問題には敏感にならざるをえない
  • thymshny
    また話を戻すと、カオスラウンジで視た梅沢さんの作品は、現前性と非現前性があの平面において同時に現れているのが凄いなぁと。簡単言うと注視したときの個別の画像が(かろうじてであれ)判別できることとよくわからなくなっている全体が同時にあること。
  • thymshny
    技術的には個々の画像の集積であるが、部分から全体を作ったわけではないし、ましてや全体から部分を作ったということではないこと。そういう感覚ではないと感じた。梅ラボさんのあの作品はすごく好きということです。
  • thymshny
    そうそう!キャラ=コンセプトってのも理解できるかも。レムに傾倒してた学部生の頃、OMAの建築がキャラクターとなってアイコン化されて、彼らの作品集に出てきてたのを見て「これがコンセプトかぁ」と納得した事があった。勿論彼らが西欧人であることふまえた上で極めてロジカルな事なのかなぁと。
  • thymshny
    「梅林の家」いいなぁ。。。
  • thymshny
    構成を話すために構成を見る、というよりは記号を追っていった結果構成について話ができる、とか装飾の話をしていたら結果構成の話になっていた、ぐらいの方がいいかな。真面目じゃない感じが。
  • thymshny
    同意!定食屋にも言えるね。作り手のいいテンションと店内の活気という「料理は音で楽しむ」的な要素を孕んでいるメソッド。RT @shinoYH: 牛丼、牛めしは回転率が高い(混む)時間帯が一番美味い。
  • thymshny
    お昼ごはんをつくるために、残った食器を洗って、材料切って、うどん茹でて、つゆ作って、後片付けして思ったこと。料理人さんは「つくる」だけが仕事ではなくて、材料の管理、調達、下ごしらえ、調理、片付け、清掃も含めて仕事。つまりは「つくる」ということ。
  • thymshny
    それが先ほどの現前性/非現前性に接続できるかな、と。調理=料理をつくるということではないということ。調理をすることと皿を洗うこととが、「料理をつくる」という行為を境界として内包されているのがおもしろいなぁと想う。そして皆日常的に何気なく、調理=料理と言うのがこの世界の面白さだ!
  • thymshny
    今考えてることは、「メタ思考をやめる」ということ。どういうことかと言うと、まだどういうことなのかわかっていないということです。そのままの意味かもしれないし、そうでないかもしれない。モチベーションは設計の思考する部分について。
  • thymshny
    昔から、無性に徹夜をしたくなったり、寒いのに薄着で出かけたり、痺れるのがわかっていながらコンセントを舐めたり、腕を酷使して腱を痛めたりしたのはその「痛み」を忘れたくなかったからなのかも。常に「ここ」の戻ってこれる感覚がある。それを忘れたくなかっただけなのである。
  • thymshny
    その「痛み」でなんとなく「自分」の輪郭が見えてくる。恋愛もそれに近いのかもしれない。
  • thymshny
    光にはグラデーションがあるが闇にもグラデーションがあるのが改めて認識できた。境界なんだが。空間は闇でできているのかもしれない。
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