• 小説版の佐倉杏子について整理する

    いろいろと反響を読んでいる『魔法少女まどか☆マギカ』の小説版。その中でも今回は、佐倉杏子について整理してみました。

    まどかとほむら、そしてまどかの友達観についてはこちら:小説版魔法少女まどか☆マギカについて。(やりとりのまとめ);http://togetter.com/li/176084

    まとめ
    1 すべての出来事はまどかの友達観をつくるためのダシ
    2 杏子は「さやかにあこがれているがゆえに、さやかに尽くした人(献身・自己犠牲の人)」として演出されている
    3 杏子の「愛と勇気が勝つストーリーに憧れていた」という面がクローズアップされて、逆に、家族のトラウマについてはばっさり切り捨てられている。(TV本編・おりマギとは"逆"のキャラづけになっている)

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    by Six315
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  • Six315
    まどマギ小説下巻103ページは許されないだろ…………あんな流れで杏子が過去を語るどころか見せるだと……。 http://t.co/79bc3PO でも言われてる様に、小説版の佐倉杏子については色々と言われてるみたいで……
  • Six315
    なんで佐倉杏子(小説版)があーなったかをSS書き的に整理する(ネタ出しともいう)
  • Six315
    繰り返しになるかもだけど「小説版杏子はどうしてああなったのか、演出意図を探る」って立ち位置です、現在。
  • Six315
    TV本編の佐倉杏子についてはここが詳しいかしら。 杏子とおりこ☆マギカ新キャラの関係は杏子&さやかの悪意ある反復? http://t.co/c0zTyuW (おりマギ記事だけど本編にも詳しい)
  • Six315
    まず小説版そのものについて。脚本が最終話までできたあとに書かれた小説、ってのをつよくかんじた。”友達”がクローズアップされてるあたりに。TV本編ではそれほど強調されてなかったしね。10話でほむらが「私のたったひとりの友達」、12話でまどかが「わたしの、最高の友達」って言うくらい。
  • Six315
    小説版をかんたんまとめると、「まどかが”友達”観をかためるまでのはなし」なわけですよ。とくにさやかが契約してからはその傾向がつよい。”これが友達というものなのかな→実践→挫折”がいやというほどくりかえされる。
  • husigihatten
    @Six315 小説の内容はまさにその通りだけど、そんなもののためにまどかとさやかの関係をああいうものにして欲しくな 怒りだ
  • Six315
    @husigihatten 「ただのノベライズに終わらない、テーマ的なものを掲げた作品にするぞ!」みたいな意気込みは感じるんですけどね…… そのためにまどかとさやかの関係が妙に歪まされちゃったり……
  • Six315
    ぶっちゃけていうと、すべてのできごとは、まどかが”友達”について考えるためのダシにされているわけで。……ダシにしやすいように改変した結果、TV本編とはキャラのズレがでてきてるよねーみんな。さやかと杏子はその傾向がいちじるしい。
  • Six315
    じゃあ杏子は、まどかにどういう影響をあたえたかと言えば。下巻P252「わたしが叶えるべき願いが目の前にありました。それは(中略)杏子ちゃんがさやかちゃんの為にしてあげたこと。そして、ほむらちゃんがわたしのためにずっとしてくれたこと」
  • Six315
    小説版魔法少女まどか☆マギカについて。http://t.co/JDOM4ZT でも言ったように、小説版まどかの友達観はひどく自己犠牲的・献身的なわけですよ。そして一方的。(具体的には「えいえんの、ふたり」http://t.co/YLg6zXV でまどか自身に指摘させた通り)
  • Six315
    杏子とほむらを見て、まどかは自分の友達観に結論を出したわけですね。そしてそれは、ひどく一方的で自己犠牲的だった。(その是非を問う意図は全くないよん)
  • Six315
    じゃあいったい、まどかは杏子のなにをみて、自分の友達観をつくったのか、というはなし。
  • Six315
    それは下巻11章P234に書かれている。「自分の歩んできた道をさやかちゃんに歩んでほしくなくて、不器用な言葉と行動で誤解ばかりされる様な子でした」 要するに、杏子の行動はすべてさやかを間違えさせないためのものだったと解釈してるわけで。”友達のために間違える”の一種とみてる。
  • Six315
    (ちなみに小説版まどかは、ほむらの行動についてもすべて、”じぶんをまちがえさせないために、代わりに間違えてくれていた”と解釈してる。で、ここからあの、自己犠牲的な友達観ができるわけですが)
  • Six315
    よーするに、「さやかのために間違えてあげた子」という位置づけなわけですな。小説版杏子は。 そして、そうなるように、改変がほどこされている(その結果、http://t.co/79bc3PO のような批判が……)
  • Six315
    よーするに、小説版杏子は「さやかのために間違えてあげた子」という解釈なわけですな。その解釈にそって、すべての言動が再編集されている。(その結果、http://t.co/79bc3PO のような批判が……)
  • H926
    @Six315 その辺、アニメ版にあった杏子の最後のソウルジェムへの口づけがないのも大きいような気がします(漫画版もないけど)。自分を自分で肯定する杏子の姿 http://t.co/ryXv3lk 魔女は否定するが魔法少女は肯定する姿 http://t.co/RFCmn14
  • Six315
    @H926 小説版杏子はむしろ自分自身を否定してますからねえ。加えて、あの自爆は献身・自己犠牲のあらわれということにされている。だから、ソウルジェムへの口づけは排除されてしまったのかな、と。
  • H926
    @Six315 そこは杏子の魅力を完全に削いでしまっていますよね。夢か幻かもって予防線張ってるし、あくまでまどか視点から見た杏子だっていう風に描かれてるし、意図もかるんですが。
  • H926
    @Six315 そこら辺も憎らしいのが、まどかの一人称で、まどかの解釈として描かれているとこですね。小説版の描写はまどかの早とちり勘違いだとすれば、実際はアニメ版から受け取れる姿の方が正しいともできる。アニメと小説の杏子の矛盾はだから両立できてしまう。まぁ、全般そうですれど。
  • Six315
    @H926 ううむ……雪駄さんはどのへんを矛盾と感じましたか?(自分はそのへん、「演出意図の違い」の一言で済ませているので……)
  • H926
    @Six315 基本的にアニメの杏子は生への志向自己肯定で動いていて(食べるのは生きる意志)小説版が自己否定で動いている(食べることは不安の克服)ことですね。僕の感じる矛盾。前者の杏子は窃盗も肯定しているのに対し、後者は贖罪・罰せられることを望んでいるからかその部分も出てこない
  • Six315
    (ちなみに11章では、TV版になかった”街を彷徨うまどか”のシーンが追加されたわけだけど、その意味の1つが、「まどかは杏子をどう見ていたか」の明示ね。このシーンがなかったら、まどかの友達観の根拠が曖昧になっちゃってた、かも)
  • Six315
    「さやかのために間違えてあげた子」という解釈だからこその下巻P136P137(杏子の最後) 「さやかのための一緒に死んであげた(自己犠牲・献身)」という風に杏子の行動が描写されている。
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コメント

  • H926
    アニメ版の杏子はさやかを救うことで自分も救われたいと思ってる(さやかに過去の自分を重ねてる、同一化願望がある)、小説版は直接的にさやかに救われたがってる(さやかに他者と認識されたい・否定されたい、断罪されたい?)というような違いもあるかなーと。これは友達観の違いでもあると思うけれど。
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