• frroots
    読んだ。/Dennet, Daniett, 2005, "Philosophy as Naive Anthropology: Comment on Bennett and Hacker"
  • frroots
    こっちも。/Bennett, M. R., & Hacker, P. M. S., 2006, "Reply to Professor Dennett and Professor Searle"
  • frroots
    ベネットとハッカーの立場について、両者の違いがより明確にわかった気がする。お互いを攻撃する仕方がフェアじゃない部分があって、読んでてよい気持ちがしない部分もあるけど、それを省いて大雑把にまとめるとこんな感じかな。
  • frroots
    ベネットは、神経科学の多くにデカルト主義が残っているという点でハッカーたちに同意するし、理論がナンセンスとならないように概念の用法に注意を払うことが哲学者の仕事であることにも同意している。
  • frroots
    ハッカーたちが神経科学の少なくない仕事に見いだすのは、「全体と部分をとりちがえる誤謬(mereological fallacy)」とかれらが呼ぶ誤りだ。
  • frroots
    すなわち、「考え」たり、「知って」いたり、「意識して」いたりするのは、全体としての人間であるのに、「脳(の一部)」がそれらをしているかのように考えてしまう誤りがある、とかれらは言う。
  • frroots
    そうしたナンセンスによって、本来説明されるべきことが、あたかもすでに説明されたかのように扱われてしまうことで、科学的探求が阻害されることがある。それゆえ、そうした混乱は取り除かれなければならない、というのがかれらの考えだ。
  • frroots
    それに対してデネットによれば、「脳(の一部)」に心的語彙を帰属することは、誤りではない。神経科学者たちは、全体としての人間に帰属するときとは少し違ったやりかたでその語彙を用いているのであり、かれらのやりとりの中でその語彙はちゃんと意味を持っている。
  • frroots
    神経科学者のあいだでの心的語彙の用法は、いわば「方言」なのであり、ハッカーがそれに親しんでいないからといって、それを無意味だと切り捨てることは、まったく生産的ではない。実際、そうした語彙の用法によって、科学的探求が促進されているのだから、というのがデネットの考え。
  • frroots
    神経科学者が心的語彙を用いるやりかたが、日常的なそれとは異なっていることに関して、両者に見解の相違はない。だから、違いはその評価にある。ハッカーたちはそれを科学にとって阻害的だと考えていて、デネットは促進的だと考えている。
  • frroots
    私自身の感想は、デネットに賛成3割、ハッカーたちに賛成4割、どちらでもないに3割といったところ。
  • frroots
    デネットが正しいと思うのは、かれが言うように、科学者たち自身の独特の語彙によって科学が営まれている以上―そしてそれが神経科学のみならず多くの科学でそうである以上―、それを単純に「誤謬」と切り捨てて終わりにすることはもはやできない、という点。
  • frroots
    他方で、ハッカーたちが正しいと思うのは(そしてこの問題にとって決定的だと思うのは)、科学者たちは別に自分たちにとってだけの「思考」「知識」「意識」などなどを探求しようとしてるのではなくて、「私たち人間の」思考・知識・意識などなどを探求しようとしているはずだということ。
  • frroots
    であるなら、独特の用法が通用しているというだけではやはりすまなくて、それによってあきらかにされているものが、人間の思考・知識・意識などなどといかなる関係にあるのか、ということが明確にされなくてはならない。でなければ、それらは人間の思考・知識・意識などなどの探求ではありえなくなる。
  • frroots
    そして、その問いはやはり、ハッカーたちが言う意味で、経験的問いに先立つ概念的問いであると思う。
  • frroots
    しかし、その問いに取り組むためには、デネットが言うように、神経科学者たちの語彙をきちんと知らなくてはいけない。そこでは哲学者の直観に頼るわけにはいかない。だからそのための探求は、経験的におこなわれるべきものだろう。
  • frroots
    そしてどちらも触れていないけれど、日常的に私たちが心的語彙をどのように用いて、どのように社会生活を組織しているのかという問いも、哲学者の直観だけでは必ずしもやってゆけない、経験的に探求されるべき問いだと、私は思う。
  • frroots
    えーと要するに、一方で現在すでに科学的探求が十分営まれているという理由でそこでの心的語彙の用法を正当化することはできないし、他方それらと日常的用法との関係を「経験的に」吟味することなしに、「誤謬」と切って捨てることもできない、というのが、私の「どちらでもない」部分。
  • frroots
    つまりね、「概念的探求としての相互行為分析」ですよ。 http://t.co/d4UeW8h
  • frroots
    ここは酒井さんでなくても「そこでエスノメソドロジーですよ」と言いたくなるところだなぁ。
  • frroots
    だからまあ結論はよくわかりません。
  • frroots
    コンピュータが「計算する」とか言っても特に「計算する」の意味が大きく変わったりしないように、通常の用法と特殊な用法を綺麗に使い分ける能力を私たちは持っていて、大勢では何の問題もなく、言葉の変化も起こさず、科学は進歩していくかもしれない。
  • frroots
    他方で、深刻な中傷効果が引き起こされる可能性も、ないとは言えない。私自身は割と心配しているところもある。
  • frroots
    自分が関心ある範囲/できる範囲で、ちまちまやっていくしかない。
  • Content from Twitter

コメント

  • SF_yomi
    そうじゃなくて、哲学者の言ってる事って役に立たない事が多いからなんじゃないかな? あれだけ言葉に拘り、色々突っ込むのに、物理学とか人口知能の研究とか認知とか色々やってると、哲学者が想定してたような問題は別に出て来ないけども、全然別の凄い重い問題がポンポン出て来る。んで、やつら役に立たないって思われてるとか。
  • SF_yomi
    僕みたいな素人でも思い付くのが、量子論・進化論・フレーム問題・デッドロック・エトセトラ。
まとめを作成する