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  • sinema66
    アリストテレス:人間という動の政治的な本性の根拠を言語をもっていることにおく。言語は正義/不正義を議論することに、動物的な鳴き声は快/不快の感覚を表明することに対置する。言語を(話す-聞く)は、いかにして成立するのかをランシエールとは問う。
  • sinema66
    「感性的なものの分有(共有=分割)」において、言語における(話す/聞く)が成立する可能性の条件を問うている。
  • sinema66
    分け前なきものたちが言語を理解し話したとしても、それが聞き届けられない(感覚的には聞こえているが)限り、(話す/聞く)は相互的に成立しない。
  • sinema66
    そのディセンサスあるいは不和から考えてみることが大事だという。コンセンサスはポリスに属し、ディセンサスあるいは不和は、政治に属する。政治とは、統治するものと統治されるものとの自明な分割線を問うこと。
  • sinema66
    ハーバーマス、ジョン・ロールの言語の合理性、手続き理論による社会契約的なコミュニケーション的合理性とは、異なった視点で思考しているのが、ランシエールである。
  • sinema66
    「感性的なもの分有」において考えることによって、立場が目に見えるものとなり、言説が聞き取れるものとなり、能力や無能力が明白なものとなる。その不和(対称/非対称)を問うことによって、分け前なきものたちの言葉が聞こえるようになる。
  • sinema66
    主人は感覚的に奴隷の言葉が聞き取れないのではない、感性的なものの分有において聞き届けられないのだ。政治は、この感性的なものの分有をめぐって係争的に行われることになるだろう。
  • sinema66
    (教える/学ぶ)の非対称性について、柄谷さんがすでに論じているが、ジョゼフ・ジャコトの例を挙げて、さらにランシエールは踏み込んでいると言える。知性の平等とは何か。教える、は成立せず、それと対の学ぶも成立しない、知性の平等を見出す例。
  • sinema66
    共同体が共有しているものを定めている感性的所与に分裂を生じさせる、過剰なる主体こそが、政治的主体と言える。デモス(計算外の人々からなる未分化な寄せ集め)、例外者、顰蹙ものの統治が、デモクラシー。統治する資格の存在を破壊する統治。境界線を問う者達の統治。
  • sinema66
    さて、ランシエールは言葉の問題として文学と政治の関係についても踏み込んでいる。政治とは、ある特異な経験領域の形成であり、政治的な活動とは、感性的なもの分有を再配置すること。フロベール・バルザック・マラルメ・ランボーが召喚される。
  • sinema66
    古典的な表象の秩序、身体の秩序と意味の秩序とを一致させている階層的原理そのものの廃止、文体と主題、登場人物のあいだの一致原理そのものを廃止する文学革命が、フロベールによってあからさまに定式化さた。
  • sinema66
    パロールではなく、いっそう無言であると同時にいっそうお喋りでもある、別の無言のエクリチュールーモノの体に書き込まれたパロール、石や化石の筋が書かれた歴史=物語をもっているような仕方で、物事の真実を表すようなパロールを見出した。
  • sinema66
    小説的な平等は、民主的主体のモル的な平等ではなく、もはや個人ではなく強度の差異であるようなミクロ事件の、個別性の分子的な平等である。ドゥルーズの哲学用語を借りて、ランシエールはフロベールが散文の透明性を放棄して細部へと進む道行きを捉えている。
  • sinema66
    分子革命とフロベール。日常的経験と平凡な会話の通常の水準の下にある、この生の意味作用なき騒音を聞かせようとしている、と。分子的な生。
  • reger44
    @sinema66 どこらへんですかそれ。<ドゥルーズの哲学用語を借りて
  • reger44
    @sinema66 スルーですか…。分子と言ってしまったら分有の意味が全く無くなってしまうと思いますけど。
  • sinema66
    @reger44 すいません。気づきませんで。分有というのは、共有と分割と言っています。まず共有ですが、これは機会の平等・所有の参与の平等ということ、しかし、その中でもその分け前が(多い/少ない)があり、分割が起こるということですね。分子は、フロベールの細部描写に使っていますが。
  • reger44
    @sinema66 それは『感性的なもののパルタージュ』の何ページですか。<フローベールの細部描写
  • sinema66
    使っているところがことなると思います。「感性的なもの分有」は、フロベールの細部描写そのものにつかっているのではなく、むしろそういったところをそれとして見えるか、見えないかの境界線の布置を問題にすることに使っているようです。分子的は、むしろガタリじゃないかと私も思いますよ。
  • sinema66
    「ドゥルーズの哲学用語を使うと」と書いているのは、ランシエールです。
  • sinema66
    『文学の政治』という論文です。(松葉祥一・大森秀臣訳)「平凡 百科」に以前訳出されたもので、2回に分けて掲載されています。その部分をそのまま引用しますから。少しお待ちを。
  • sinema66
    (フロベールのことです)~彼は、ぼろを着た貧乏人よりも、彼を苦しめるノミに興味があると述べています。これをドゥルーズから借りた哲学用語で言うこともできるでしょう。すなわち、小説の平等は、民主的主体のモル的[総体的]平等ではなく、~以下先ほどの引用と同じ。
  • reger44
    @sinema66 106-107ページのインタビューでフローベールに触れてますが、分子とは言ってないでしょう。
  • sinema66
    そこでは言ってないですね。しかし、芸術の「愚かさ」(フロベール)は採り上げていますね。「どれでもいいものの光輝」とか「無限小の隔たりによってしか、単なる常套句の論理かた切り離されることはない」とか言っていますね。(P103)この部分を、「分子」などと言いかえたのではないですか。
  • reger44
    @sinema66 僕の問題にしていたことを書きます。ドゥルーズは「ルクレティウスとシミュラクル」という文で、原子の定義を感覚されるもののうちの分割される最小だと言っています。ドゥルーズは原子の疎外を回避しようとしているわけです。分子にしても同じことです。
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