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    講師の方から許可をいただきましたので、先週のSF乱学講座のメモをここにログとして残しておこうかと思います。元があくまで自分用の記録ということで、諸々ありますがご寛恕頂きたく。一応ハッシュタグは #sf_rangaku で。
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    SF乱学講座「もののけと古代鉄の道」@高井戸地域区民センター 2011/11/6 18:15-21:00 講師:原田実氏(@gishigaku) 受講者数 約20名? #sf_rangaku
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    (講義前、黒板にざっくりとした日本地図を書く原田氏 受講者から「淡路島がでかい」「伊勢湾がない」などの突っ込みが飛び、和やかな雰囲気。 地図は遺跡等の説明をするに当たって場所を指し示すのに使われた。) #sf_rangaku
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    (以下注記がない限りは原田氏の発言) 今回の講座の内容は元々鳥取のイベントでやるはずだったが、イベントが流れてそのまま温めていた。多田(克己)さんとやった企画が元、それに内容をプラスしたもの。できるだけ風呂敷を広げて、たたまずに捨てておく予定です(会場笑) #sf_rangaku
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    弥生時代の鉄器というと福岡県の春日市などで出土した鉄斧があるが、これは国産の鉄ではない。弥生時代は鉄加工の遺跡ばかりで製鉄の遺跡はない。「三国志」魏志韓伝には倭が弁韓、辰韓の鉄を取っていた=交易していたとの記録がある。鉄について「銭の如し」と書かれている。 #sf_rangaku
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    鉄鋌、インゴットが貨幣として通用していた。弥生時代には余り出土しないが、古墳時代の遺跡で出土。 さて、では日本の製鉄はいつからか。古い人は弥生時代と言う。鉄加工遺跡とされるのが実際は製鉄遺跡との考え。その説によれば広島県の小丸遺跡が日本最古の製鉄遺跡。#sf_rangaku
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    一方で7世紀の白村江の戦い辺り、百済再興を目指して唐・新羅と戦った日本が負けて朝鮮半島での利権を失い、鉄を輸入できなくなったために自国で鉄を生産するようになった、という考え方もある。しかし、これらに一石を投じる考え方が出てきた。 #sf_rangaku
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    新日鐵の研究所にいた佐々木稔氏の説(『鉄の時代史』雄山閣,2008)では、日本には17世紀以前の砂鉄製鉄遺跡は存在しない。ただしまだこれは孤立の説。佐々木氏は遺跡に残るカナクソを分析すると国産と思えないものが出てくることでそう判断した #sf_rangaku
  • namak
    カナクソに砂鉄や鉄鉱石が含まれるものは製鉄遺跡と判断されてきたが、鉄加工でも脱炭にそれらを使うため必ずしも製鉄遺跡とは限らない。これまで製鉄遺跡と思われていたのは加工炉であった、というのが佐々木説。傍証として、戦国時代には南蛮鉄を大量に輸入した記録が残る。 #sf_rangaku
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    では7世紀に朝鮮半島から鉄を輸入できなくなってからは鉄をどこに頼っていたのか。日本が敗れた後、唐と新羅が対立した、日本は唐から輸入していた。ちなみにその際鉄はバラストとして船に積み込まれていた。遣唐使廃止後日宋貿易までは民間輸入、それを押さえた平氏が台頭。 #sf_rangaku
  • namak
    従来その時期の鉄は東北で作られていたと記録に基づいて考えられていたが、中国北方のキタイ(契丹)との交易ルートは京は知らなかったため東北産と記録したのでは? そして中国側にもその辺りは当然記録がない。 #sf_rangaku
  • namak
    佐々木氏は九州、近畿ほか主要地域の遺跡は大体押さえている。国衙で製鉄していたとの記録もあるが、これも単に鉄加工だったのではないか。 と、ここまで見てきたように「日本の製鉄はいつ頃まで遡るか」「どれくらい輸入に頼っていたか」は議論の余地がある。 #sf_rangaku
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    1980年代までの調査では、弥生時代の鉄遺物は福岡と熊本が約2000点ずつ、大分と岡山が約1000点ずつ……と九州に集中していた。古墳時代になると奈良から多数鉄鋌が出る等逆転する、という調査結果であった。これが90年代になると他からも鉄器が多く出土する。 #sf_rangaku
  • namak
    鳥取の妻木晩田(むぎばんた)遺跡は丘の上の環濠集落で、工具等の鉄器が200点ほど出土。同じ鳥取の青谷上寺地遺跡からも工具等の鉄器が360個以上出土。ここでは戦死したと思しき死体が泥に埋もれた良い保存状態で発見。海沿いの工房で、戦闘があったと考えられる。 #sf_rangaku
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    京都では丹後半島で弥生時代の鉄器が出土。ここは近畿の鉄の中心地であり、近畿というより日本海に面した山陰道として理解できる。玉(水晶、瑪瑙、翡翠等で中国の玉とは違う)も多く出土、国内の玉の原料を集めて加工し、他地方に搬出した場所と考えられる。 #sf_rangaku
  • namak
    兵庫、淡路の遺跡では建物23基中12基に炉跡があり、鉄製品が多量出土。ここで加工・製品化していた模様。弥生時代における日本最大の鉄基地であった。丹後の例も含め、日本は弥生時代から広域との交易を指向していたと考えられる。 #sf_rangaku
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    日本では交易の成立が農耕よりも早い。国産み神話で淡路が最初に誕生したこと、鉾でかき回して島を作ったことは淡路が鉄加工基地だったことと関係あり? 淡路は製塩遺跡もあり。朝鮮半島では製塩遺跡はないが淡路と同じ型の製塩土器が出土=淡路と朝鮮で塩と鉄の交易? #sf_rangaku
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    自前で鉄/塩を作るより相手から輸入した方が早い、安い。弥生時代のそうした交易の結果淡路が鉄基地になったのでは? しかしその鉄は弥生時代の奈良からは殆ど出土していない、鉄はどこにいった?(受講者:斧等に加工して森林開発しながら太平洋沿岸に広がったのでは?) #sf_rangaku
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    薪、船等、鉄は木がないと作れない。結果禿げ山ができるなど自然破壊となる。古代日本がエコなんて大嘘!(会場笑) ところでスサノオとその子五十健命は植林の神とされているが、なぜ朝鮮半島に植林したのだろうか…… #sf_rangaku
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    阿蘇にも弥生時代の遺跡がある、ここはよく鉄加工遺跡と勘違いされるが、ベンガラ(酸化鉄を使った染料)の産地。ベンガラ生産時のゴミはカナクソに似ているので間違えがち。ちなみに当時赤の染料といえばベンガラか辰砂(水銀原料の染料)、ベンガラの方が安価。 #sf_rangaku
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    『古事記』のヤマタノオロチは尾の中に剣=鉄を持っている。その姿は背に杉林、体に谷や尾根があり、赤いものが流れる。これは生物としては妙な姿だが、山の描写として捉えると不自然ではない。目がホオズキのようとは、赤く燃える、製鉄ないし鉄加工の炉を指したのでは? #sf_rangaku
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    山、そこに流れる川、そこに住む人と交渉/対決して剣を手に入れる話。このように古い伝承を農民の視点から解釈するのが柳田民俗学。折口は更に霊的な存在を重視するの。柳田の考えは常民対山人。彼は山人をヤマト民族が日本に入った結果山中に追いやられた原住民と想定した。 #sf_rangaku
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    そのような山人への考えは南方熊楠との往復書簡で散々にたたかれた。熊楠は山人とは里の人がおかしくなって山中に入ったもので、必ずしも里人と対立する概念ではない、とした。そりゃそうですね、熊楠当人がおかしくなって全裸で山の中に入っちゃうような人ですから(会場笑) #sf_rangaku
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    (受講者:柳田は山人を台湾の霧社族から発想したと聞いたが?)それだけでなく、ロマン主義の詩人ハイネの「流刑の神々」(諸神流竄記)の影響もある。元々ロマン主義とはローマやキリスト教に征服された事物の、征服される以前の姿を考えるというもの。山人に通じる。 #sf_rangaku
  • namak
    山人は常民の外のものであったのか、あるいは社会に組み込まれていたものであったのか? 前者の柳田の考えに対抗して後者の考え、たとえば谷川健一『青銅の神の足跡』に現れる。農民中心の柳田が切り捨てた「金属」という要素から考えている。 #sf_rangaku
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