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    4回シリーズでおこなわれる青山ブックセンターの金村修さん&タカザワケンジさんによる写真史講座、本日初回講義でした。金村さんがセレクトした写真家とその作品を、写真史の時間軸上に沿って話をしていく試み、今回はアッジェからベレニス・アボット、ウォーカー・エバンスへ3人の写真家の流れ。
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    金村さんはアッジェの面白さを「退屈な反復を情熱をもってやっている」と表現。マキシム・デュ=カンとの比較で「デュカンの限界はちょっと面白いところ。それが逆につまらない。アッジェはつまらないが故に面白い」自分のためでも芸術でもない、売るための作品なのだが、それにしては異常な情熱性。
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    ブルトンの「最も単純なシュルレアリスム的行為は、ピストルを両手で握って、通りに出て群衆の中でできるだけでたらめに撃つことである」(=つまらない事)を引き、その共通性故にシュールレアリスト達にアジェの写真は評価されたのであろう、と。
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    タカザワさんは「何故アッジェが近代写真の父なのか」と言えば「それまでの写真家は作品とそのための写真術の完成に費やされた」のに対し、アッジェは「初めて"作品"という意識を抜けた写真を撮った」作者の存在を消せる作品を残した点で「近代写真の祖と言われる所以」。
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    あとアッジェが自作に対する余計な語りを残さなかったのも良かったのではと推察。その分、想像の余地が出た。アジェが自国より米国で評価されたことについて金村さんは「良い芸術家は自国では評価されないものだから」。そのアッジェのコレクション散逸を防ぎ、米国へ紹介したアボットへの話へと続く。
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    アボットについて金村さんは「直線だけで成立していく。それが格好良い。その意味で都市(NY)以外はあまり面白くない」。当時はライフのようなフォトジャーナリズムの場が無く、写真家として食べていく事に難儀した時代。アボットの初期作には何を撮ればいいかよくわからなかった迷いが見える。
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    アボットはアジェと比較してフレーミングが厳密。金村「フレーミングが構成されればされるほど、どこかが歪んでくる。その歪みが面白い」。そしてアジェとの差として人間を写している点を上げ「人を入れながら、看板との対比など人として扱っていない点も面白い」アンチヒューマン的部分が特徴と指摘。
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    ここでタカザワさんはスティーグリッツを取り上げ、アボットとの作風の対比。スティーグリッツは人との位置関係などを待って作品を"作る"。一方アボットは対象に引っ張られ、流れで"撮りたい時に撮る"。スティーグリッツやポール・ストランドが芸術家的なのに対し、アボットは反芸術的。
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    そのアボットが好きだったというウォーカー・エヴァンスに話は続く。アジェが「カメラに振り回され」ている「野蛮人の写真」だとすれば、エバンスは「カメラを使いこなした知識人の写真」知的な写真は見ていて気持ちがよいが、その分アジェのような真似の出来ない"ノイズ"には欠けるとも。
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    FSAでのドロシア・ラングの作品との比較から、エバンスも「ディティールを見せよう、それを見せるためにはどうすれば良いか」だけを考えて「被写体に愛情がない」点でやはり「アンチヒューマン的」。その被写体の突き放し方がエバンスの魅力。
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    コンセプトは決めていたがズレすぎていたアッジェに対し、エバンスはコンセプトも明確で知的。しかし人間に感情移入せずサンプルとして撮るアンチヒューマン的な思想で繋がっていた。さらにそれが、Rフランク、フリードランダー、ウィノグランドへと拡散していったのではないか、という話で終了。
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