• orionaveugle
    ラヴクラフトについて少し。ラヴクラフトはクトゥルフ神話の祖と言われているが、えもいわれぬ強烈なイメージがよぎる瞬間がある。それはクリーチャーの姿というよりも、むしろ表現そのものであることが多い。私が今でも忘れられないのは、『闇にささやくもの』の尖塔の描写だ。
  • orionaveugle
    だから、神話について考える際、こうした描写=文体の問題から神話に立ち返る必要がある、というのが私の意見。『闇にささやくもの』はニャルラトテップの話だとロバート・ブロックは『尖塔の影』で言っているが、ニャルラトテップがどのようなものであるのかを認識することがまず大事なのだ。
  • orionaveugle
    こう見るとラヴクラフトの読み方も変わり、「そんなことを書いている暇があったら逃げろよ」という『ダゴン』のラスト、「窓に、窓に!」と嘲笑を受ける部分も、実はアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』と照応しているがゆえの文句だという研究すらある。これも深読みというほどではない。
  • orionaveugle
    コリン・ウィルソンの『SFと神秘主義』に収録されているラヴクラフト論はそのあたりを直観的であれよくわかっている批評で、あれを悪名高い星占い正確分析やネクロノミコン実在説というのは、踏み絵に引っかかっていることになってしまう。あそこに書かれているのは、ラヴクラフトを読み直す意義だ。
  • orionaveugle
    文学者としてラヴクラフトを捉える層と、クトゥルフ神話のネットワークに楽しみを見出す層は、英語圏でも70年代頃に対立していたというが、今では二文法に意味はなく、表現そのもののダイナミズムを追究することが大事。例えばサンディ・ピーターセンをこのどちらか片方に分類することは不可能だ。
  • orionaveugle
    ラヴクラフトの文体が読みづらいという人には、あれは19世紀小説の文体なので、別に特有なものではない、と述べておきましょう(例によってそういう研究もちゃんとあったりします)。ちなみに個人的お気に入りは、『イビッド』。論文で出てくるibid(前掲書)という文句が主役の奇想短篇。
  • orionaveugle
    ラヴクラフトの文体について、「18~19世紀小説」と、補足訂正をしておきましょう。そのうえで、こういう表現で世界を切り取っていると認識すれば、読みやすくもなるし、楽しめると思うのです。現に、ラヴクラフトの存命中であれ『ウィアード・テールズ』にはラヴクラフト・フォロワーがいました。
  • orionaveugle
    特定の作家/作品について新しい発見があったとして、「その作家/作品のファンにとっては重要だ」と、囲い込んでいるのだか突き放しているのだかわからないコメントがプロの批評家の口からであってもなされる時があるが、こうした見解に違和感をずっと感じてきました。
  • orionaveugle
    なぜならば、その作家/作品にとっての新しい発見が意義のあるものであったら、自ずからその発見は作家/作品についての読み直し」を要求するからです。そうすると、「重要さ」はその作家/作品固有の圏域を離れ、より普遍的な領域へと近付いていきます。だからこそ、作家論/作品論は大事なのです。
  • orionaveugle
    そしてこれは作家論/作品論に限った話でもなくて、読解や作品受容、さらには各種ジャンルにおける創作の実際にも関わってくる話なのではないかと思います。
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コメント

  • orionaveugle
    『闇にささやくもの』→『闇をさまようもの』、二文法→二分法の、それぞれ間違いです。まとめて下さった人に感謝。
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