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  • kenjirookazaki
    痛みについて言い忘れたこと。実は痛みは尖端的な痛みのみではない(誰もが知っているように)場所を特定できぬがゆえに、内臓的に感じる痛み(より強調していえば)痛みそのものを肉がとり撒いているような痛み、というものが存在する。つまり痛みこそが核になっている。
  • kenjirookazaki
    そういえば千葉さんがいっていたのは、外在的な傷ではなく、これとやや同型の 内在化した傷(傷の内在化)ということかもしれない。(ちがうかも?)
  • kenjirookazaki
    簡単にいえば、痛み そのものが考える。(中枢=脳がふっとび、痛みを核に身体が組織される)。ところで、こうした痛みを(尖端的な感覚とみなされる)視覚にもとづく絵画でつくりだすのは不可能か、というと、存外、可能。
  • kenjirookazaki
    藤田嗣治らの戦争画を参照したかどうか定かでないが試みとして、いわば痛みの偏在化(というより)痛みが局所的身体から遊離し、空間全面にひろがる、という状況を映像化したようなところがあった。とはいえその遊離はナレーションの力を借りていたので、まさに日本文学、私小説のようだった。
  • kenjirookazaki
    とりまく空間が痛い、一方で身体の痛みが消える。というのは不思議なことではない。
  • kenjirookazaki
    すぐに想起されるのは、フォートリエのたとえばこんな作品http://bit.ly/98ZMmP だが、むしろブラックなどにこそ、もっと組織的な追求がみられる
  • kenjirookazaki
    そもそも分析的キュビズムが視覚ではなく、内部触覚的な絵画を目指したのは自明の事柄。いわば痛みで空間を実在化させる。そのプロセスとして彼らは当時の多くの画家たちと同様、盲者の対象把握をモデルにした。
  • kenjirookazaki
    http://bit.ly/cGtcpV は例えばhttp://bit.ly/ckN71B の構図、図と地の溶解など特性が類似しているのは必然。藤田はWW1直前にパリ留学し分析的キュビズムの研究からスタートた。主客が溶解する空間という問題系を正確に把握。そしてそれこそが戦場の本質
  • kenjirookazaki
    だがやはりブラック。非実体的な影を実在的に描く、 という、よく知られたブラックの固有の主題(得意技)。影→実在。あるいは実在→影か?という系列はそのまま、痛みは傷の影か?あるいは傷こそが痛みという実在の徴候か?という系列にスライドできる。
  • masayachiba
    @kenjirookazaki 今日はありがとうございました。そうですね、僕は、精神分析的内面性に刻まれるのではない、マテリアルな傷による個体化ということを言ったわけですが、それは、「内在的」(ドゥルーズ的な意味で)な傷と言ってもいいです。
  • masayachiba
    しかし僕は、おかざきさんが言ったように、その傷をあくまで「末端」的と考えたいんですね。中枢とか内奥とかは、内面性の超越的な措定を招きます。僕は、自分の造語で「外多傷的 ex-polytraumatic」な個体化と言っているのですが。
  • kosukeikeda
    しかし世代ってぼくはたいして頓着してないつもりなんだけど、すごくくだらないレベルの「政治」を生んでる気がする。そういうのに過度に巻き込まれるのは不快ですよ。
  • kosukeikeda
    世代で友敵のパターン認識をしちゃうことほどくだらないことはない。しかしゼロ年代系の若者を批判しつつ、むしろ上の世代こそが過度に世代性を利用した議論を構成しようとしているのは、どうなのか。ぼくはそういう不毛なことには、単に関わりません。
  • kenjirookazaki
    僕らではなく、僕の発表が不十分だったのは認めよう。@kosukeikeda a系列(いわば端末的現在)の組織のされかた、というのは単純に、端末と端末を 社交的に組織する(それだけですまされる)方向に向かう傾向がある。消費者の動向を把握しようとするならば、これで事足りるだろう。
  • kenjirookazaki
    僕らではなく、僕の発表が不十分だったのは認めよう。@kosukeikeda a系列(いわば端末的現在)の組織のされかた、というのは単純に、端末と端末を 社交的に組織する(それだけですまされる)方向に向かう傾向がある。消費者の動向を把握しようとするならば、これで事足りるだろう。
  • kenjirookazaki
    @kosukeikeda、であれば、いかに分析されるか(消費されるか)でなく、いかなる対象が受容されるかで分類できる→世代というものがこれで捏造される。
  • kenjirookazaki
    @kosukeikeda、であれば、いかに分析されるか(消費されるか)でなく、いかなる対象が受容されるかで分類できる→世代というものがこれで捏造される。
  • kenjirookazaki
    たとえば、洋楽とか邦楽とかの区別でいまだ有効とされているのはオリコンくらい。だが時代錯誤のこの分類は確かに役立つだろう、小品の分類およびその商品の消費者の分類においては。
  • kenjirookazaki
    であれば、批評対象、シンポのタイトルだけで分類、片付けられておしまい。印象派というだけで「印象派はメディア的には終わっている」、と片付けられるだけ。こういう論理の基盤を a系列の拡張としての社交的現在、という前提で話したはず。
  • kenjirookazaki
    であれば、批評対象、シンポのタイトルだけで分類、片付けられておしまい。印象派というだけで「印象派はメディア的には終わっている」、と片付けられるだけ。こういう論理の基盤を a系列の拡張としての社交的現在、という前提で話したはず。
  • kenjirookazaki
    サザエさんが 内容同じで繰り返されること。あるいは林家三平が落語的機構をはずし、あえて同じネタ、を繰り返し、落語でないと批判される一方で、そのクリシェによるすべりかた(毎回ビミョうにちがう)が落語界でないところに受けていた、事象など、同じ問題群の対象は山ほどある。
  • kenjirookazaki
    だいたい捨て台詞のようなことを ツイッターすべきではないと思うのだが。 いかが? なぜ ぼくは 呼ばれたのか 最後までわからなかった、と本音をかかざるをえない。
  • kenjirookazaki
    少なくとも、ぼくは一つの対象について(それが日本でももっとも人気があるとされる印象派であれ)、いまだ誰にも論じられていないと扱い、また、それを語ろうとする覚悟がある。こうした批評の論理は、メディアあるいは美術館などの公的な言説(位置づけ)の論理とは異なる、ということを話したつもり
  • kenjirookazaki
    つまり、池田くん自ら総括するように、公開するに値しない場だったということだ。残念。
  • kenjirookazaki
    おもしろいことをいうために行ったわけではない
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