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  • chai_lama
    斬新すぎてちょっと意味がわからない笑 RT @hisaboh ふと思ったんだが、紅白のメガ幸子はアバターの主題を先取りしていたんだな。反萌え=反植民地主義の戦いと、2Dの3D化による反現実の戦い。
  • hisaboh
    忘れないうちにちょっと詳しく。勝手な解釈だけど、ネタバレなので、アバターをこれから見る人は、読まない方がいい。
  • hisaboh
    .@asakiasa説では、萌えは同一世界内のかわいい相手が対象になる。その場合、気持ち悪いもの=原住民=他者は排除の対象になり、侵略してよいものになる。かわいいものしか見たくない、気持ち悪いものは見たくない、というのは侵略者の心情。
  • hisaboh
    そう考えると、気持ち悪い生き物を全面的に描いているアバターは、二重の意味で反植民地主義の映画である。しかも、肯定せざるを得ないように単純化して表向きのvs侵略者の物語を語ることによって、萌えに走って侵略者になるか、それを否定するかの選択を突きつけている
  • hisaboh
    これが第一の反萌え=反植民地主義の戦い。
  • hisaboh
    第二の戦いは、現実vs絵空事。映画の中で主人公はアバターを使って彼らにとっての絵空事の世界に入り込む。一方、観客は3Dメガネを使って、映画の中に入り込む。
  • hisaboh
    3Dの中では、我々の現実の射影であるはずの人間たちの方が、映像がぼやけ、それが絵空事であることを意識してしまう。CGで作られた世界は、3Dの中では彼らに比べ、はるかにリアルで確かな存在感を持つ。
  • hisaboh
    映画内の現実(3D内の人間側)を超えることで、CGは現実を超えようとする。それはまだぎこちなく、メガネの重さを消し去りはしない。
  • hisaboh
    でも、CGの現実を否定しようとする時、それはアバターの先にあるナウィたちの否定でもある。観客は、装置の先にある世界を否定する侵略者の立場に追い込まれる。
  • hisaboh
    このように、ジェームズ・キャメロンは周到な手口でこの戦いを戦い抜こうとしている。自らも侵略者になる危険の最も高い場所に立ちながら。
  • hisaboh
    話を戻して、小林幸子。最初、彼女の後ろに現れた人影は、巨大なスクリーンに投影された本人の歌う姿に見えた。光がついた時、それは突如、現実の重みを持った。小林幸子が自らの存在意義をかけて連れてきた、巨大な人形。それが異様だったのは向こうの世界からの侵略者だったからではないか。
  • hisaboh
    キャメロンはアバターを向こうの世界に送り、幸子はメガ幸子を向こうの世界から連れてきた。彼らは同じ戦いを逆のやり方で戦った同士だったのではないだろうか。
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