宗教とは、人の生活をより豊かにするための、道具
- iamdreamers
- 2502
- 0
- 0
- 1
宗教の目的とは
前にも呟いたけど、宗教の教えなんてものは日々の生活を少しだけ豊かに送るための生活の智慧みたいなもんで、あんまりそれに傾倒しすぎるようなものじゃないと思うのね。教えを聞いて、あー、なるほど、と思っていればいい。どんな宗教でもそんなもんでしょ。
2015-01-26 13:05:56だから、宗教によって教えが違うのは当たり前で、その宗教が生まれ育った地域により違った特性を持ったものになるわけ。それぞれの地域ごとに生活の智慧は違って当たり前なんだから、当然それぞれの宗教での教えも異なる、ということ。
2015-01-26 13:06:20そして、これもまた当然のことながら、生活の智慧というものは時代々々でも異なってくる。ということは、宗教の教えというものは、時とともに、生活習慣の変化とともに、新しい科学の知見とともに、どんどん変わっていくべきものなのよ。それが宗教というものの本来の在り方と思うのね。
2015-01-26 13:06:39目的を失うと
ところが。古の時代に決められた宗教の教えを絶対のものとして守ろうとしてしまううと、宗教の本来の目的である、よりよい生活の智慧を人に与える、ということから逸脱して、人を縛りつけるものに成り下がってしまう。敢えて「成り下がる」と言うけど。
2015-01-26 13:07:03堕落しないために
そうしないためには、宗教の教えの本来の目的である、人生を少しだけ豊かにする生活の智慧を人々に与える、ところに立ち返って、今の時代、その地域、そこに生活している人にとって、宗教が本来の目的を達しているかどうかを見直す必要があるんじゃないかと思うよ。
2015-01-26 13:07:42その結果、時代や地域にそぐわない教えは無くなって、あるいは変わっても何の問題もないし、むしろそうなっていくことこそが、宗教の本来の姿であると、そう思うよ。
2015-01-26 13:08:02宗教だって人間が生きるための道具の一つに過ぎないんだから、如何にそれを生活に役立てるか、を考えて、それをうまく利用して生きればいいわけで、宗教に縛られて生きるなど馬鹿げている。
2015-01-26 13:11:22宗教は人を愚かにする
宗教って、人間の創り出した最も愚かな道具じゃなかろうか。・・・いや、宗教自体は別に愚かでも何でもない、愚かなのは人間の方だから、人間の創り出した最も人間を愚かにする道具、と言った方がいいか。
2015-01-27 13:22:41宗教は道具。目的じゃない
宗教ってのは昨日も呟いていたけど、道具に過ぎないわけね。で、道具というのは目的そのものではなく、目的達成のための手段に過ぎないわけよ。だから、道具を使うこと、道具を大事にすることそのものが目的になったりしたら、それは愚かな行為である、と私は言う。
2015-01-27 13:23:09宗教に関して言えば、日々の生活を少しだけ豊かにするための道具として創り出したわけね。と私は思ってる。そのため、すなわち生活を豊かにするために、いろいろな教えやら戒律やらが盛り込まれてきたわけ。
2015-01-27 13:23:50ところが、時代は変わり科学技術も発達した結果、宗教の教えや戒律が現在の状況においては生活を豊かにするために必要なくなってきているものもある。ところが、宗教にのめり込むと、元の目的を忘れて教えや戒律を守ること自体が目的になってしまう。これを愚かと云わず、何と言おう。
2015-01-27 13:24:11変わるべき教えの例
例えばさ、内陸で海魚があまり手に入らず、手に入っても新鮮じゃないから食中毒を起こして死者が多く出たことのあるような地域があったとすると、そこで生まれた宗教には「海魚を食べるな」って教えが入ると思うのね。
2015-01-27 13:24:32それに理由もくっつく。「神の食べ物(で人間の口には合わない)だから」とか「穢れている(そして食べると腹を壊す)から」とか。 この時点では、豊かに、より健康に生活するためにはこの教えは正しい。
2015-01-27 13:24:51けれど、時代が移り変わると海魚を新鮮に保つ保存法ができたり、輸送手段の発達で傷まないうちに内陸まで届くように、やがてはなる。そうなったら、「海魚を食べるな」という教えを守るよりもそれを破って食卓に新しい食材を追加した方が、食生活はより豊かになる。
2015-01-27 13:25:15つまり、新鮮な海魚を労せずして手に入れられるようになった時点で「海魚を食べるな」という教えが消去されるのが、道具としての宗教の正しい在り方だと思うのね。
2015-01-27 13:25:37ところが、宗教の教えを守ることに拘ってしまう、すなわち生活を豊かにするという本来の目的を忘れて教えを守ること自体が目的化してしまうと、いつまで経っても海魚は食卓から遠ざけられ、より豊かにできたはずの生活はそうならない、と本来の宗教の目的から外れてしまう。
2015-01-27 13:25:56