十月の神無月は神様がみんな出雲に行ってしまうためというのは良く知られていますが、これ自体は中世以降の俗説だそうです。ちなみに諏訪大社だけは唯一神無月でも出雲に行きません。というのもご神体が大きすぎて気を遣った他地方の神様たちが行かなくてもいい事にしたんだとか。
2015-04-12 15:00:47神道たん( @Shinto_tan)さんのツイートですが、これは間違いなので知っておくとよいでしょう。「出雲に行かない神」は諏訪の御祭神だけではありません。結論からいうと、かなりの事例があるんですよ。いくつか挙げてみましょう。【続】 twitter.com/Shinto_tan/sta…
2015-05-02 12:01:33【続】まず関東からいきましょう。國學院の先輩、倉林正次先生の『日本の民俗埼玉』という本がありますが、そこには「(埼玉県では)荒神は出雲に行かない」とう伝承が指摘されています。これは千葉県をはじめ他県でも見られる伝承ですね。【続2】
2015-05-02 12:07:09【続2】中国地方にいくと岡山県。土公神が出雲に行かないという伝承がありますし、場所によっては摩利支天、稲荷、金毘羅が御留守を守られるという内容になっています。このへんは和歌森太郎『美作の民俗』あたりを参照するとよいでしょう。徳島でも金毘羅さんはいかない伝承がありますね。【続3】
2015-05-02 12:13:20【続3】ただ「神道たん( @Shinto_tan)」さんの紹介した伝承も間違いではありません。群馬県の伝承で、諏訪の神様が蛇体で頭は出雲に着いたものの、しっぽはまだ諏訪にあったので、「もう来ないでください」と言われた…という伝承があります。【続4】
2015-05-02 12:18:03【続4】冗長に過ぎるのでこのあたりにしますが、こういった事情を知っておくとよいと思いますよ。またこの話題だけではなく昨日の磐境、さらには国家神道のツイートについても、もう少しシッカリした知識に触れた方が、面白いツイートができるのではないですか?と思っています。
2015-05-02 12:23:48「出雲に神様が御立ちになる・御帰りになる」という伝承については、各地で「神送り」「神迎え」の行事・祭礼がおこなわれており、昔、「どんなことをやっているんだろう?」と思い調べたことがあります。火を焚いたり、お酒を供えたり、赤飯やぼた餅を作ったり。あと各地で出発・帰還日が違ったり。
2015-05-02 12:33:42有難うございます。どなたかが指摘下さるのでは…と期待しておりました(*^_^*)あとヒダル神(柴神)や石神さんが村に残るといったように、色々な伝承があるのですが本当に興味が尽きないです。@nagabodhi
2015-05-02 12:29:02@genshin01 それぞれ、摩利支天は蜃気楼を神格化したマリーチ・稲荷は死神ダーキニーと使い魔の狐・金毘羅は淡水棲ワニのクンビーラ(諸説あり)とされますからね。インドにおいても先住民系の土着神格です。
2015-05-02 12:37:25@nagabodhi 実は「ヒンドゥー教由来の神様は留守を守られる(出雲に行かない)?」と思い弁財天さまなども調べたことがあります。学生時代の調査なので漏れも多かったと思いますが、神様毎に差があるような感じを受けました。ただ外来の神様だから…という意識があったのでは?と思います。
2015-05-02 12:49:23@genshin01 なるほど!弁才天:サラスヴァティー(伝説の聖河の女神。弁財天は後世の転訛)はアーリア系ですので留守番ではなかったのではないでしょうか?ちなみに近年、衛星写真によってサラスヴァティー河の跡らしきものが撮され、古代には実在したとする説も浮上しています。
2015-05-02 12:59:48@nagabodhi これはびっくりです。漠然とヒンドゥー教の神々…という括りで考えていましたが、なるほど…アーリア系などと分けて考えることができるんですね。今すぐ調査というわけにはいきませんが、調べた際は、またお話におつきあい頂けると幸いに存じます。有難うございます!
2015-05-02 22:34:37かなり前「神道を学ぶ上で民俗学に触れるには注意が必要」というツイートをしましたが、せっかく出雲関連の話をしたので、以前話をしなかったことも含め触れておきます。粗っぽくいうと民俗学で「出雲に神様が集まるなんて『文字ある好事家の言い出した小理屈』だ」と発言された方がいます。【続】
2015-05-02 12:59:46【続】これ、どういうことかというと、各地で神様を感じて祭祀・祭礼・行事をしている人をバッサリ切り捨ててしまったんですよ。その民俗学の方はこう続けます。「文字ある輩の言説がかくもたやすく全国を風靡してしまうとは、かなり残念なことであるが、受け入れた側には客観的知識が少なく」【続2】
2015-05-02 13:03:18【続2】「…簡単に盲従してしまう傾向があったのだからやむをえない」と。これは知っている人は知っている本。そう和歌森太郎・萩原龍夫『年中行事』です。民俗学が全てこうだった…全てが間違いだ…とは申しませんが、信心や信仰を軽んじる方向で、研究を進めた方々がいらっしゃったのは事実です。
2015-05-02 13:09:23しかし宮崎では出雲に神を送るなんて伝承はないのである。それを考えるに出雲への神送りが果たして古来より続けられたものとも言えぬわけであり、神の去来性や祭祀の場というのは慎重に扱わねばならぬ。加えて神道と民俗学の間での語の理解も検討せねばならぬものであり、一概に片方が悪いとも言えぬ。
2015-05-02 13:34:12ところが宮崎県にも存在するんですよ。東臼杵郡西郷町の事例が報告されていますが御存知ですか?あとこの件で問題とされているのは「古来から」という部分ではなく、真剣な祭祀を「小理屈」で片づける点。 twitter.com/Monzen_inari/s…
2015-05-02 22:44:37せっかく出雲の神集い関連のツイートをしたので、基本的な学術論文を紹介しておきます。ビッグネームでいうと柳田国男『新国学談』第一冊(昭和21)がよいでしょう。そこに載っている「出雲の所謂神在祭」が参考になるかと思います。
2015-05-02 22:57:20