断罪社会をいじめと教育環境から読み解く

五輪エンブレム問題やSTAP細胞問題など、ネットでの激しい追及が関与した社会問題は近年ふえてきている。 そして話題が下火になった頃に毎度出てくるのが「ここまでやったら吊し上げではないのか?」という話である。 問題の是非はともかくとして、激しい追求が起こる背景について教育といった面から考えてみた。、
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五輪エンブレム問題、STAP細胞問題等々、何か社会問題が起こると断罪の動きがすさまじい。

マスコミ、ネットなど、媒体は様々であるが、徹底的に追求、断罪が行われることがしばしばだ。

そして話題が終息する頃になって「吊し上げでは?」といった論調が出てくるのも毎度のことだ。

なぜこうなってしまうのか?

その根は教育環境にあるのではないか?
というのを連ツイしたのでまとめてみた。

狸穴猫/松村りか @mamiananeko

五輪エンブレムの件で、ネットの負の情念が吊し上げの過激化に…とかいう人もいるし、それは社会の負の面を表したものだとかいうけど、ここ数十年の学校教育では吊し上げを正当化した教育が結構盛んに行われてたんだから、ある意味当然の帰結だと思うよ。

2015-09-03 21:06:23
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

他者がいちゃもんで吊し上げられているのをずっと見ていたら、そりゃ恐怖だろう。自分が吊し上げられないために他者を吊し上げるとかその手助けをしたくなるのは当然だよね。みんなを盾に誰かに反省させるとかいうのが横行してたら当然そうなるでしょ。

2015-09-03 21:11:56
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

いじめに関して、傍観者もいじめ加害者だという主張はある面では正しいんだけど、傍観者もまた恐怖を感じさせられている被害者だという視点も必要だと思うんだよね。直接被害を受けてはいなくても「いつ自分の身にふりかかるか…」という潜在的な恐怖を持ち続けていることはあり得るのよ。

2015-09-03 21:17:41
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

さっきの続き。小中学校で反省会の類いを学級運営に多用したり、クラスでのトラブルに際し「みんなの意見」を出させるようなことをしすぎると、どうしても「個人の吊し上げ状態」になってしまいやすい。当然だが、子供らは「吊し上げ」を「してもいいこと」と学習してしまいかねない。

2015-09-03 22:06:21
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 そうなるとどうしても、いじめっ子が「みんなの意見」を盾にいじめターゲットの「吊し上げ」をもくろむといったことも起こりやすくなる。そこで教師が「みんなで話し合う」ことに拘ると、吊し上げ系のいじめが加速するといったことも起こりやすい。

2015-09-03 22:10:01
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 そういう状況では、吊し上げられる方に相応の理由があるという大義名分が立ってしまうので、教室を離れた場でも同じ子をターゲットにした様々ないじめが起こりやすくなってくる。

2015-09-03 22:17:46
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 いじめっ子が悪質で冤罪でっちあげなどに及ぶ場合などは延々とトラブルが続き、吊し上げ状態が解消されないといったことも起こる。被害児の苦痛も問題だが、傍観者となった子どもの心理にも大きな影響を与えるのは当然だろう。

2015-09-03 22:20:32
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 周りで吊し上げを見ている子ども達に「もし自分が吊し上げられたらどうしよう」という気持ちは生じるだろうし、それが高じて「吊し上げられる前に攻撃側にまわろう」という気持ちになっても不思議はないだろう。

2015-09-03 22:27:44
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 この辺で歴史的経緯をちょこっと。こういった吊し上げになりやすい個人批判を思い切り是としたのは1970年代に一世を風靡?した「学級集団づくり」というものに端を発すると認識している。これはソ連のマカレンコ方式と呼ばれる集団主義教育をベースにしたものであるらしい。

2015-09-03 22:47:34
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 学級集団づくりという思想とその手法は、1971年に発行された「学級集団づくり入門第二版 (1971年、全生研究常任委員会)という書籍を介して全国的に広がったようだ(流通量については札幌大の田原宏人氏が分析している→ web.sapporo-u.ac.jp/~tahara-h/work… )。

2015-09-03 23:03:16
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 この全生研方式のクラス運営の手法は、当初はかなり過激なものであり、かなりえげつない批判合戦を奨励していたりもした。「滝山コミューン一九七四/原 武史著 」にもそのリアルな様子が描かれている。時代を経るに従って書籍の過激さはなくなってはいるものの今もその影響は色濃い。

2015-09-03 23:12:16
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 さて、現代に話を戻すが、みんなの意見を出して話し合い=良いことという、吊し上げ肯定環境で育ってきた子どもが成長したら…トラブルに際しそれ以外の解決策を持たないので、よかれと思って吊し上げを作り出すということも十分考えられる。

2015-09-03 23:31:03
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 そういった事例ではないかと思うものが、「漫画家ママの うちの子はADHD/かなしろにゃんこ著」に出てくる。保育士さんが1人の幼児が多数の幼児に糾弾されるような場を作ってしまう話が出てくるのだ。保育士さんに悪意はないだろう、ただ、それが良いことだと信じているだけだと思う。

2015-09-03 23:37:09
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 五輪エンブレムの件しかり、STAP細胞の件しかり、何かと吊し上げ状態ができあがってしまうのはこういった長年の教育環境の影響もあるのではないかと私は思う。

2015-09-03 23:43:08
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前)今のご時世「責め続けられるんじゃないか?吊し上げられるんじゃないか?とう恐怖心」と、「みんなで話し合い=無条件にいいこと」という教育ですり込まれた2つの要素が絡み合っておかしなことになっている面は結構あるんじゃないのかなと私は思う。

2015-09-03 23:55:53
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

学校でのいじめに関して、逃げ場のない環境こそが問題だとする人は結構いる。確かにそれも問題の1つではあるだろう、ただ学校を離れ逃げ場がある状態でもその影響が続くとしたなら、それは逃げ場のない環境という要素以外の問題もあるような気がするのだ。

2015-09-04 03:23:58
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

何をいっても誰かの気分次第で衆目の中で吊し上げられるんじゃないか?というような潜在的な恐怖があれば、言いたいことが言えなくなるといったことは起こるだろう。

2015-09-04 22:02:22
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 近年取りざたされる「集団のノリに合わせすぎる」といった傾向がこういった潜在的恐怖に裏打ちされたものである可能性はあるだろう。

2015-09-04 22:02:32
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

承前 そして何らかの現象に接して持った憤りや恐怖を綴ることが「集団のノリ」に糾弾されないものであると確信した場合(特定集団内の安心や匿名の安心感に由来する)、吊し上げ的糾弾に恐怖しながらも、その恐怖の源である吊し上げを自ら作り出す一員となってしまうのではないだろうか。

2015-09-04 22:02:44