ついに決定!第2回トゥギャッターまとめまとめ!2月25日開催!
  • hazuma
    どうも仕事に身が入らないな。
  • hazuma
    というわけで呟くが、ぼくってちょっと物語的に不感症なところがあって、すごく形式的な構造(メタフィクション)とかか、そうでなければキャラのデザイン(萌え)か、どちらかばかりに突出して引かれてしまう傾向が強いのですね。
  • hazuma
    それで、このあいだのシンポジウム(1日目)で、宮台さんが「けっきょく娘は物語なんか見てないで太陽の剣に萌えているだけなんだよね」的なことを言ったとき、大塚さんがそれに「かつて柄谷行人がサブカルチャーには構造しかないと言って」的な返し方をしたじゃない。
  • hazuma
    あれを横で訊きながら、ぼくはじつは、あ、宮台さんや大塚さんには「形式」と「萌え」は両方とも物語の外部として同じように見えているのだなあ、とちょっと驚いたりしていたのです。
  • hazuma
    そして同時に、宮台=大塚的感性とぼくのすごく大きな差異に感じ入ったりしていました。
  • hazuma
    構造/物語/萌え、あるいはそうね(対応できるかわからないけど)、form / content / textuality みたいな三層構造があったとして、宮台=大塚は決定的に「内容の解釈」をしているひとなんだけど、ぼくはやはりどこかズレているんだな。
  • hazuma
    そしてそのズレが構造のほうと萌えのほうに同時に向かっているので、ぼくの本はすごく思想っぽいように見えながらもすごくオタクっぽくもある、そんな感じのものになってしまうのだろう。
  • hazuma
    で、考えてみると、先日の2日目のシンポジウム。Avatarの話(アカデミー賞の結果も出たようだが)。
  • hazuma
    Avatarの物語がどうでもいいのは自明として、黒沢清氏が言っていたのは、構造=形式=フレームの問題としてもダメだよね、ということ。対して村上隆氏が言っていたのは、それと別にもうひとつ、textuality、つまり画像の不気味な手触りの話があるということで、ぼくはこれは同意する。
  • hazuma
    それで、あのときぼくが言った「日本的なものの分裂」の話も、このformとtextualityの話でいけないかなあと。つまり、すごく静謐でスタイリッシュな形式と、すごく猥雑で幼稚な物質性みたいなものが<物語なしに>短絡されるところに、なにか日本的表現の特徴みたいのないかなあと。
  • hazuma
    ぼくが動ポモの3を書くとすれば(書くのか?)、そんな美学的な話をすればいいのかなあと、そんなこと考えてました。1は社会学編、2は文芸評論編なのだけど、3があるとすれば、もうそういうこと考えるしかないし。そうすれば、ぼくの変なこだわりも、ようやくわかりやすくなるかもしれない。
  • hazuma
    とまあ、2日目に司会しながら考えていたことの整理。
  • hazuma
    萌えの問題は、ぼくにとっては画面の手触りの問題なんだよな。手触りそのものがセクシュアルだから、それはむろんセクシュアリティと関係しているけど、しかしそれは異性愛的暴力の問題というよりもっと倒錯的で前性器的ななにかと結びついている。
  • hazuma
    そしてそんな倒錯的で前性器的な「なにか」が、視覚的で近代的な主体を迂回して(視覚性と近代性の関係についてはクレーリーなど参照)、そのままとても静謐で形式的な擬似ー超越論性(たとえばメタフィクション的自己言及)に流れ込んでしまう、というのがぼくの考えるセカイの原理なんですよね。
  • hazuma
    この観点で切れば、「存在論的、郵便的」と「動ポモ」第3章がじつに近いことを言っていることが、わかるひとにはわかるかもしれない。
  • hazuma
    というわけで、電波ツイート失礼しました。
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