「都市と言うドーム」を包囲する"農村”~20世紀の「戦争と革命」の同じ本体。21世紀にも、また。
「人類の生存と未来のため、原発の研究開発は止めるべきではない」。その言葉自体は否定できない。しかし異なる価値観の人々の共存を保障するのが社会とすれば、社会の中に原発を置くのは、それ自体が一つの「全体主義」なんです。社会を丸ごと強制的に、取り扱い危険物のある実験室に閉じ込めている。
2015-12-01 09:39:49SFマンガとしては、世界の寄付で南極大陸に「原子力ランド」を作ると言うのは如何。世界の必要に備えて原発を維持開発し、技術者を雇用し、住んでも良い人を呼び込み生活を保障し、社会を作る。原発の電力で南極の寒冷をはね返すのは、巨大ドーム。万が一苛酷事故が起こっても、ドームの中で済む。
2015-12-01 09:48:25妖星ゴラスが来た時には”こんな事もあろうかと”と、鼻高々できます(笑。 twitter.com/TOKYOMEGAFORCE…
2015-12-01 09:52:10@kakitama 地球公転軌道移動用のジェットパイプでしたら出資します( ´ω`)
2015-12-01 09:50:34ホントに「全世界の原子力を総結集」と書いてあった…
同じころにこんな映画も
国家が武装することによって安全保障を達成できるということは、世界を破滅に導く幻想である。(アインシュタイン)
2015-12-01 03:07:51.@ebiharayu @whatsdemocracy アインシュタインほど、一人の人間として、一人の人間が生み出す科学の成果が世界に対して産みだすものに向きあい、見通す責任に迫られた人はいないかも知れませんね。
2015-12-01 09:57:22プラトン国家(ポリス)論において扶養者(市民)層を構成するのは、具体的には農民と職人である。また戦士層には戦士だけでなく、警察も含まれる。
2015-11-30 23:01:39アリストテレスにとって、政治学と倫理学は一つのものであった。彼は『ニコマコス倫理学』の末尾で、倫理学と政治学はともに「人間の学」を構成すると述べている。なぜならそれらは人間の行為=実践(プラクシス)に関わるからである。
2015-12-01 08:00:37アリストテレス倫理学における中心テーマは、幸福(エウダイモニア)であり、この幸福こそが善き生(エウ・ゼーン)を特徴づける。この幸福が存しない生は単なる生(ゾーエー)でしかなく、それはアリストテレスだけでなく古代ギリシア人にとって言わば悪しき生であった。
2015-12-01 09:00:40そしてアリストテレス政治学において人間は「ポリス的動物」であると定義され、人間はその本性から(ピュセイ)ポリスの中で生き、都市に属するとされる。そして人間は都市(政治)共同体の中でのみ人間的かつ幸福な生を送れる。かくして幸福を追求するアリストテレス倫理学は、政治学へと接続される。
2015-12-01 10:00:47都市(ポリス)は人間が自然の暴威から逃れ、”善き生”、倫理と品性を保つために科学が作った「閉じたドーム」。そこから疎外され"悪しき業"が取り残されるのは、例えば農村。20世紀はこの疎外の極大化が戦争を呼び、平坦化のため全体の"粛清"を試みた世紀。端的なのは文化大革命とポル・ポト。
2015-12-01 10:10:37続)都市は閉じていないと"品性を保つ"機能を果たし難いが、その外、上から見れば社会全体の中での矛盾、疎外を二極化させる。これが「破裂」すると、戦争や革命になる。これを防ぐためには、「都市」を外と往来し呼吸する「生物」にする必要がある。「帝都物語」や「サクラ大戦」のテーマ。
2015-12-01 10:17:07公開時のキャッチコピーの一つは"みんな、壊してやる"。
”素晴らしき哉、巴里。愛しき哉、巴里。褒め称えよう、巴里。”神去りし後にも、都市は生きている。 #Paris attacks
サクラ大戦3~巴里は燃えているか」 youtu.be/eWM7xUci0E8 #parisattacs の予見性。コクリコはベトナム人。なぜかは初期ロリブームでも引かれた仏映画「シベールの日曜日」で分かる。ロベリアの緑は偶然だがイスラムカラー。偶然でなかったらふるえる。
2015-12-06 15:42:26