秀吉の中国大返し、秀次処刑時の家康…「行軍」の距離や移動速度で分かる、戦国時代のあの事件
- gryphonjapan
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秀次事件時の家康の10日移動スクショ。三島(静岡)〜石部(滋賀)間の高速移動が前提とした上での細川忠興の「(家康は秀吉より)十倍も二十倍も速く動ける〜」発言だったら、説得力割増し。iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-224… pic.twitter.com/G4NXWFnEgJ
2015-03-28 10:33:55「移動と空間の想像力」のテーマも興味深いなぁ~ 近年のグローバリズムはもとより、地方と中央、江戸時代の鎖国と明治の文明開化、奈良時代のシルクロードの東端である日本など、時空間の移動でもありそう(* ´ ▽ ` *)! >2RT
2015-10-07 03:00:09@dandonban ツイートを読んで連想したのが、本能寺の変〜山崎の戦いを『24』のチッコンチッコン仕立てにしたら面白そうだなあということ。必然的に秀吉がバウアーになっちゃうけど“キレやすい”のは共通点だからまあいいか(単なる『24』好き)。
2015-10-07 05:57:39作品的にも時間感覚はとても大事ですよね。当時の移動速度を当てはめてみるのは興味深いかも。以前、高野山に幽閉されていた豊臣秀次の切腹命令が発せられた大阪との距離的に間に合わないと書いていた先生がいましたが、そういうのはサスペンス物に出来るかも^^; @777ume777
2015-10-07 06:05:39@dandonban ああ、本能寺の変〜大坂夏の陣(長いなw)をタイムトラベラーバウアー(拘る拘るw)が服部半蔵(襲名制なので時空を誤魔化せる意)に扮して歴史調整をしているとか。超人の割りには下支え苦労人という点で似ているんやないかなとw
2015-10-07 06:16:15徳川家康は秀次事件の際に、江戸から京に向かう途中で知らせを受けた。そのとき急いで京へ移動する速さが…史料によっては、UMAで1日100kmを超えるときがあって、今回の「押し通す」もあながち嘘ではないかも。#真田丸 超高速徳川家康。
2016-02-07 21:12:27豊臣秀次切腹に新説…秀吉は命じず、身の潔白訴え自ら切腹か 国学院大准教授が「太閤記」に疑義 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/west/west_life… | 昔の人の移動速度は徒歩や馬でも、現代人の尺度では測れない。
2013-11-18 20:16:38・・・・切腹に至る詳しい事情を物語る同時代の史料はないが、儒学者、小瀬甫庵(おぜほあん)が江戸時代初期に記した太閤記は「切腹命令」という文書を掲載。文書には石田三成ら五奉行が署名し、7月13日の日付がある。
矢部准教授はこの日付について、「京都から高野山までは約130キロの距離がある。登り坂も厳しく、歩いて3日はかかる。13日に書かれた命令書を持って高野山まで多くの兵を連れて赴き、15日に切腹させるのは難しい」と疑念を示す。
そこでさまざまな史料にあたり・・・・・・(後略)
秀次事件についての某先生の本に、秀次事件に付いての新説を発表した時、それについての2ちゃんの(多分戦国板の)スレに張り付いて観察していたと堂々と書いてあって、2ちゃんのスレをまとめている僕が言うのも何ですが、色んな意味でお勧めできないと思いw;
2016-04-05 00:30:38秀吉の中国大返しについて『これを小和田哲男は強行軍とするが、1日に10キロ程度進むのが標準であったとでも言うのだろうか(略)(家康が)文禄2年に名護屋からの帰国を許された際には京から江戸まで11日で着いているので、1日約46キロの行程であり小和田の認識によれば超強行軍となる
2016-04-05 14:44:17@1059kanri 小和田氏は大河ドラマの時代考証の頃から何か変だなと思っていたのですが、最近、歴史学者の剥き出しの人間性や感情に触れたことが多くて憂鬱になってます(^^;
2016-04-05 15:17:39@1059kanri 少し視点の違う意見ですが。^^; 数千、万単位の軍勢の移動には、小人数のような移動速度は難しかったろうと思います。 盆正月や連休に起きる大渋滞を思いますと、軍勢の移動でも渋滞が起きて思うように進めなかったと思います。
2016-04-05 19:17:54@thief_Herb まあ一応、軍勢の平均的な速度は1日40キロだったようです。秀吉の中国大返しもほぼその程度のスピードです
2016-04-05 22:48:33当時の移動日数の話になると、どうして京-高野間が3日もかかるんだ(・・?となるんだけどね(確か113-5kmだったよね)
2016-04-05 16:18:151日の移動距離の参考:前にも載せた秀次事件の際の家康の超高速移動。三島から石部まで約320kmを3日で走り抜けた。『徳川家康文書の研究』より作成。実は書状の通りにすると、1日で150km近く移動する場所ができるため補正されている。 pic.twitter.com/JHH5iGOcNK
2016-04-05 18:33:38@a_ri_no_ri 徒歩で付き従った家来が伏見到着後に死亡。間接的な秀次事件の被害者となる。通常の1日の移動距離は出発して4日間は続けていた東京〜横浜〜横須賀〜小田原〜三島までの約30~35kmである。三島で秀吉からの書状を受け取り超高速移動スタート。
2016-04-05 18:38:50家康がこうも超高速で移動した理由として、秀吉からの書状で急がされたのもあるだろうが、在京中の秀忠を秀次が人質にしようとしたという逸話もあるため、息子たちの身が心配だったのもあるだろう。
2016-04-05 18:47:47