山本七平botまとめ/【法は大信、言は喜怒】大衆社会とは「大衆帝王」の時代/~義憤にかられ、憲法で保障された個人の基本的権利を否定するようになれば、七世紀の中国にも劣る~

山本七平『「常識」の非常識』/Ⅳ報道と世論/法は大信、言は喜怒/161頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【法は大信、言は喜怒】弁護士の淡谷まり子氏が「田中角栄を弁護する者は国民の敵か」という一文を雑誌に寄稿しておられる。 これは相当に大きな問題を含んでいると思われるので、以下に少し、これについて私の考え方を記しておきたい。<『「常識」の非常識』

2016-05-21 11:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

②言うまでもなく「すべての人間には裁判を起こす権利」があり同時に「弁護人を依頼する権利」があることは、日本国憲法を持ち出すまでもなく、民主主義における基本的権利である。

2016-05-21 12:09:12
山本七平bot @yamamoto7hei

③だが、民主主義以前に、いわば専制的な君主制の時代に既に「皇帝の命令といえども法に違反していれば無効である」という考え方が多くの民族文化の中にあった。 様々な例があげられるが、ここでは旧約聖書やギリシア・ローマ文化圏は除き、日本に最も大きな影響を与えた中国の例をあげてみよう。

2016-05-21 12:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

④時代は遣唐使がはじめて中国に行ったころである。 『貞観政要』は「帝王学」の教科書として、古くから日本の指導者に愛読され、特に徳川家康がこれを深く学んだことで有名な本だが、この中の「論公平第十六」という章に次のような記事が載っている。

2016-05-21 13:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤唐の太宗は実質的に「唐」という中国最盛期の大帝国の基いを立てた人だが、何しろ新しい王朝の創立時だから、官吏が不足して行政事務が停滞して大変にこまった。 そこで、かつては敵であり自らそれを倒した「隋」の官吏をも広く登用することにした。

2016-05-21 13:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥明治維新政府が、有能な幕府の官吏を登用したことはよく知られており、外国人などには不思議がる人もいるが、私はこれは、家康が自ら『貞観政要』を開板し、その結果、広く民間にまで読まれたことの成果だと思っている(『帝王学〔貞観政要〕の読み方』参照)。

2016-05-21 14:09:17
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦話はやや横道にそれたが、人間だれでも欲があるから、処罰も粛清もされずさらに失業もしないですんだことを有難いとは思わず、隋の時代の階級と資格とを詐称して、これを機会に高位高官に昇ろうとする者が必ず出てくる。

2016-05-21 14:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧そうなると組織内で様々の混乱が生ずるので、太宗は、その場合は「自首」すれば不問にする、ただし「自首」しないで露見した場合は死刑にすると厳命した。

2016-05-21 15:09:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨ここまでいわれれば、死の危険をおかしてまで前歴詐称を押し通す者がいないかというと、やはり「なあに、バレることはあるまい」と高をくくる者も出てくるのである。 そしてついに露見して逮捕される者が出たが、大理少卿(法務次官)の載冑(たいちゅう)はこれを死刑にせず、流罪にした。

2016-05-21 15:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩太宗は当然に怒って言った。 「私は勅令を出して、自首しない者は死刑に処するといった。 それをお前が勝手に流刑にしたのでは、天子が嘘を言ったことになり、天下の不信を買うではないか」と。 太宗の言うことも一理ある。

2016-05-21 16:09:10
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪また「あれだけ温情を示してやったのに、なお自分を欺く者がいたのか」という怒りもまた、人間の感情から言って当然である。 そして、前歴詐称をした者に弁解の余地がないことも、また事実であろう。 ところが載冑は平然として答えた。

2016-05-21 16:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫「法は、国家の大信を天下に布く所以なり、言は、当時の喜怒の発する所なるのみ」と。 これは実に貴重な言葉である。 前歴詐称は法によれば最高刑か流罪である。 従って彼は、 皇帝が何を言おうと、何を天下に布告しようと、それによって法を曲げる事はできない と言ったわけである。

2016-05-21 17:09:12
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬彼はさらに言葉を続けた。 「陛下、一朝の忿(いかり)を発して、之を殺すを許し、既に不可なるを知りて、之を法に置く。 此(こ)れ乃(すなわ)ち小忿(しょうふん)を偲(しの)びて大信を存するなり。 もし忿(いかり)にしたがいて信にたがわば、臣ひそかに陛下の為に之を惜しむ」と。

2016-05-21 17:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭これは前に張薀古という者が実に立派な上申書を出して太宗を感服させ、信頼されて登用されたのに裏で不正を行った事を太宗が怒って処刑し、後に酷く後悔した事を指摘し、 以後は全て「法に置く」ことを自らに誓った筈、それをまた破るのなら、自分はそれを大変に残念に思う と言った訳である。

2016-05-21 18:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮太宗はすぐにこれを了解し 「自分が法にたがうことがあれば、お前はそれを正してくれる、法の施行に何も心配しないですむ」 と逆に彼に感謝した。 人間には確かに「義憤」といったものがある。

2016-05-21 18:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯だが、それがたとえ誤りなき「義憤」であっても、怒りに基づく言葉は法のように慎重に審議された客観的尺度ではあり得ない。 そして多くの場合、それが本当に「義」「憤」であったのかどうか。 時日を経た後に反省すれば感情にかられた「一朝の忿(いかり)」にすぎない場合が多いであろう。

2016-05-21 19:09:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰その「忿(いかり)」のままに行えば、本人は主観的には「正義の人」のつもりであろうが、周囲にとっては暴君にすぎまい。 まさに 「法は、国家の大信を天下に布く所以(ゆえん)なり、言は、当時の喜怒の発する所なるのみ」 なのである。

2016-05-21 19:38:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱われわれはここでもう一度、民主主義以前の世界、七世紀の中国にすら、こういうことがあったということを、思い返してみる必要があるであろう。

2016-05-21 20:09:21
山本七平bot @yamamoto7hei

⑲大衆社会とは「大衆帝王」の時代である。 それが「一朝の忿(いかり)」で憲法で定められた個人の基本的権利を否定するようになれば、七世紀の中国にも劣る状態になるであろう。

2016-05-21 20:38:51