ついに決定!第2回トゥギャッターまとめまとめ!2月25日開催!
  • sz6
    ラノベやケータイ小説の中には、完了形(「た」止め)をあまり使わない作家がけっこういる。語尾が現在形になるわけだけど、直接的なメディア体験としてはゲームプレイの影響があるんでしょう。純文学読者には、これがけっこう慣れない(幼稚に見える)という人がけっこういる。
  • sz6
    この「た」止め抜き現象を小説ジャンルの問題として考えてみると、ナレーションとそれによる回想という、物語への(人間的な)媒介通路をショートカットする手続きです。それによって、物語の平面は、(1)キャラクターのやり取りと(2)プロットの組み合わせという要素が剥き出しになるわけです。
  • sz6
    現在形の語尾と直接話法に依拠した文体というのは、それはそれで合理的なものなんだよね。(間接話法は話者・ナレーションの介在を不可欠とするので当然NG)
  • sz6
    近代文学のリアリズムの問題は、現実か虚構かという次元にはなくて、完了形をベースにした物語の回想空間を、焦点化人物(複数でも可)を通して視点(一人称なり三人称なり)が吊り支えるというナラティブ構造にあるんです。まあ遠近法的なといってもいいけど。
  • sz6
    この構造は、それこそもうリアリズムの誕生以来問われていて(花袋の平面描写論vs泡鳴の一元描写論)、既成文学の抵抗を企てるたびに必ずといって攻撃を受ける対象だった(横光の4人称・安吾の無形の説話者以来いろいろ)。
  • sz6
    最近の磯崎憲一郎はじめ福永信、青木淳吾の試行するポイントは、この純文学の伝統と無縁ではない。その辺のことはまた後に書きますが、Twitter小説などの試みをみていても思うのは、このナレーションの呪縛をどうにかしたいってことなんだろうと思ってます。
  • sz6
    僕としては、呪縛と見るより活かせばいいじゃないかと思いますが、いずれにせよ、ラノベやケータイ小説の純化したものはそんなものを苦にせず乗り越えちゃっているというか別次元でやってるところに、小説ジャンルを考える上でとても参考になる点があるってことですね。
  • sz6
    磯崎憲一郎や福永信、青木淳吾がよくて、舞城や金原、佐藤友哉はダメという批評家は、いちゃもんをつける前にまず自分の方法を疑え。
  • Content from Twitter