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  • kentaro666
    (1) さいとう・たかを先生は漫画原作のことを「脚本」と呼ぶ。以前ご本人に理由を尋ねたら「いわゆる漫画原作というものは、最初から漫画化する前提で書かれた脚本の事ですよね。私は「オリジナル脚本」と呼んでます。原作という言葉を使わない理由は、小説を漫画にする時との混同を避ける為です」
  • kentaro666
    (2) さいとう「私はかつて小松左京の『日本沈没』や、戸川猪佐武の『小説吉田学校』を原作に、劇画化してきました。既に別の表現ジャンルとして完成していて、読者は漫画作品と別にオリジナル小説も読むことが出来る、ああいったものこそ本当の意味の“原作”だと私は思うんです。」
  • kentaro666
    (3)と、「マンガ原作」について、以上のようなお話をさいとう先生から伺った。9年ほど前の話だ。因みに「小説吉田学校」はさいとう先生の手で劇画化されたが、そのタイトルが「劇画小説吉田学校」だった。「小説」はこの際取ってもよかったのでは…。
  • kentaro666
    (4) 因みに、俺は「原作」という言葉も使うが、じつは違和感を感じていた。さいとう先生の仰る通り、普通の読者は「原作」をそのまま目にする機会はまずない。だから「原作」がどの様なプロセスを経てマンガになるのか、原作と完成マンガがどの様に異なっているかを知る術がない。
  • kentaro666
    (5)例えば映画のシナリオだったらそれだけで映画雑誌に掲載されたり、単行本化される事があるが、マンガ原作がそのまま単行本化される事は、極めて例外的なケースを除いてはまずない。俺もさいとう先生と同じく、脚本と呼べばいいと個人的に思うが、原作と呼ぶならそれ単体で出版してもいいと思う。
  • kentaro666
    @iwamiyoshiaki そうですよね。原作という言葉を使うからには、読者は原作単体でも読めるようにするべきでしょう。
  • kentaro666
    @iwamiyoshiaki 関川夏央氏も「原作者に求められる仕事は、“マンガの粗筋屋”に過ぎないとして、引退を決意した時期があったそうです。それを聞いた編集者が、では最後に関川さんが一番書きたい作品を、好きなマンガ家さんで」と依頼して書いたのが「坊ちゃんの時代」だったそうで。
  • kentaro666
    @serizo それは舞台の台本(戯曲)にも映画の脚本にも言える事ですよね。でも戯曲や映画脚本はそれ単体でも出版されることがあります。だから文学のジャンルとしても認められてます。
  • kentaro666
    しかし最近の原作者には「ネーム構成力」が求められる傾向がある。明日別冊少年マガジンで原作デビューする金城君もネーム原作者だ。マンガにおいてネームを切るというのは「演出」とほぼ同義なので、つまり原作者が「監督」となる可能性が出てきた訳だ。
  • ishikitokihiko
    知らなかった! RT @_HOTEI: ナウシカのオームの鳴き声は僕のギターなんですよ! RT @rey_8823: @_HOTEI 好きなジブリ映画をおしえてください!(^Θ^)
  • mogura2001
    @kentaro666 梶原先生のは小説形式だったので、原作と呼んでもいいのかも。自分の中では、物語の骨格と方向性だけ示してあるものが脚本(演出も抜いてある)。そこに感情の動きと演出を加えたものが作品というイメージ。小説も脚本も、同じく原作足り得るという感じですかね。
  • serizo
    @kentaro666 そうですね。絵がなくても小池一夫氏や武論尊氏や雁屋哲氏がどのような原作を書いているのか気になるし、出版されたら読んでみたいと思います。でもマニア向けな気はします。
  • mogura2001
    脚本=情景描写+セリフ  作品=脚本+演出  小説=情景描写+セリフ+内面描写  脚本もモノローグはあるけれど、小説的な内面描写とは違う。ラジオドラマはセリフの中に情景が浮かぶような工夫が必要。落語は仕方によって情景描写を補うけれど、セリフだけでも情景が浮かぶのがベストか?
  • mogura2001
    あの体になるには、並の努力では無理だし。力石の極限まで絞った感じを再現できた時点で、涙が出るね。あとは、クロスカウンターのリアリティーか? “@aki7778: 確かに伊勢谷と山Pの体は凄い!!半端なプロレスラーや格闘家より、よっぽどアスリートの体形に仕上げてますよ。”
  • mogura2001
    @kentaro666 ネーム原作を自分で再構築できないマンガ家って、かなり問題では…。講義では生徒に、同じシークエンスの原作から10パターンの演出を切り出させていますが、ベターはあってもベストはないので、最後にどれを選択するのは漫画家の領分。原作者が監督になるのって懐疑的です。
  • mogura2001
    作品において、各シークエンスは相互に関係しあい、影響し合うものなので、シークエンス単体では良い演出も、次のシークエンスとの相性が悪く採用できないものもある。講義は思考実験なので10パターンだけど、プロなら20でも30でも引き出しがあって然るべき。その組み合わせは膨大になる。
  • kentaro666
    @kikori2660 ネームに求められるものは画力とは違う、物語をコマ割りに落とし込む構成力です。全く絵が描けなくともいいネームを切る人はたまにいますが、現状はマンガ執筆経験者が多数派だと思います。
  • mogura2001
    例えば30ページの投稿作。扉を除いた見開き2ページを1シークエンス(seq)とし、ラスト1ページを1seqと考えても15seqに分けられる。1seq3アイデアでも3の15乗通りの組み合わせが理論的にはある。お絵かきマシーンに徹するならともかく、作品の最終決定者は漫画家であるべき。
  • ishikitokihiko
    僕は井の頭公園ではこのブルーズのおっちゃんだな。ホンモノ。 YouTube - Broom Duster Kan @井の頭恩賜公園 http://bit.ly/eAc2dg
  • kentaro666
    @mogura2001 私は今後のマンガの作り方は多様化していくと思います。従来通り原作者が脚本、マンガ家がネームと作画を担当するやり方も残るでしょうし、ネーム=演出を原作者がやり、マンガ家が絵師に徹する場合も出て来るでしょう。作品にとって一番いい方法をとればいいのでは。
  • mogura2001
    漫画家は原作者の自己実現のための道具ではない。自戒も込めて書いておく。「自分、絵が描けないから原作者になりたいです。アイデアはスッゲェ持ってますんで絶対ヒット確実!」とか考えてる原作者志望者がいたら、基本的に演出と一体になった作画に対して、無知か舐めてるだけと忠告しましょうかね。
  • mogura2001
    @kentaro666 それは今もあるやり方でしょう。演出ができないのなら、どんな優れた原作を与えてもダメなのは、百年後も変わらないと思いますよ。例えネーム原作どおり描いても、演出意図を理解出来ないなら、生きた作品にはなりませんから。楽譜通り引いても生み出される感動は違うように。
  • ishikitokihiko
    おふたりの「漫画(作画+原作)のやり取り」興味深い。かたや「サル漫」の「原作者」、漫画家と共同作業することのひとつの具体的実績のゆるぎないかた。やんや。 @mogura2001 @kentaro666
  • inuwan0413
    それは、「バクマン」の影響が大きいのでしょうか? RT @kentaro666 しかし最近の原作者には「ネーム構成力」が求められる傾向がある。
  • SANNDAIME29
    @ishikitokihiko @mogura2001 @kentaro666 ちなみに梶原一騎先生は「作」で、馬輝さんは小池一夫先生は「原作」だそうです。小池先生は「漫画家さんに敬意を表して、あえて源の字をつけた」そうです。その師に同意して私も「漫画原作者」を名乗っています。
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