ネット民の過半数が陥る”俯瞰中毒”の症状とは?
こんにちは、小野ほりでいです。
みなさんは、今日もインターネットで他人の無自覚な行動を批判して優越感に浸っていますか?
実はそれ、”俯瞰中毒”に陥っているかも…。
<登場人物>
エリコちゃん
このあいだサブカル女子になろうとして挫折した女の子。
ミカ先輩
虎視眈々とエリコにチョップする機会を窺っている、怖い先輩。
1.俯瞰(フカン)中毒
ギャハギャハ! RT乞食さんの女子いじりは最高やでぇ~!
エリコちゃん、仕事中になに大声出してるの?
あ、先輩! 見てくださいよこれ、笑えるんですよ~。
ふむふむ、勘違いサブカル女子の…。
…。
こんなんで笑ってんじゃねえ!
ギャイーーーッ!!!!
いきなり何するんですか! 顔がダリが描いた時計みたいになっちゃったじゃないですか!
ごめんなさいエリコちゃん。でもこんなの悪趣味よ。
悪趣味って、先輩だってサブカル女子入門の回でいじり倒してたじゃないですか。
うるさいわね。こういういもしない人物にどんどん特徴を付け足してあざ笑ってるなんて、性根が腐ってるのよ。
(だからそれが先輩のやっていることでは? とエリコちゃんは思ったが、もうチョップされたくないので黙っていた…)
いいわ、教えてあげる。こういうふうに、何でも他人を分析して見下すことがやめられない症状を”俯瞰中毒”というのよ。
ふ、ふふふ俯瞰中毒!!!!???
いったいどういうことなんですか?
とりあえず、元に戻ってくれる?
2.どうして俯瞰したくなるの?
まず大前提としてあるのは、「人間という高度に発達した存在は、常に動物的な価値基準と精神的な価値基準の板挟みになっている」ということよ。
わかりません。
カンタンよ。動物的な価値基準は例えば…。
・外見がいい
・お金を持っている
・友だちが多い
・モテる
・権力を持っている
以上のようなものになるわね。
エリコが男の人を見定めるときの基準ですね。
逆に、精神的な価値基準には次のようなものがあるわ。
・性格がいい
・センスがある
・表現力が豊かである
・多くのことを知っている
・個性的である
要するに、人の特徴として「内面」と一括りにされる部分のことですね。
一般に、人を評価する基準として「外面」に頼る人は批判されがちね。そのかわりに抽象的でよくわからない「内面」という価値が持ち上げられてきたのよ。
それと俯瞰することがどう繋がっているの?
そうね、つまり…。
見た目や収入、友だちの数のように、誰の目にも分かる幸福の価値基準で敗北した人はあいまいで抽象的な、”精神的な価値基準”での逆転勝利に狙いを変えるのよ。
そのときに多用される武器が”俯瞰”という手段なの。
た、ためになりそうな予感~!
3.カテゴライズして勝つ!
さて、どうして人は他人をカテゴライズしたがるのかしら?
それは、「自分が相手の位置を把握していて相手には把握されていない」という状態を作ることで、安易に優越感を得ることができるからよ。
エリコちゃん、サブカルエリート主義のことを憶えてる?
それはたしか、「ドグラマグラを読んでいる自分は、ワンピースを読んで西野カナを聴いている人より価値がある」というようなことですよね。
サブカルとエリート主義が切って離せない関係にあるのは、"知る人ぞ知る"というサブカルの性質が、「自分の位置を知られずに相手の位置を知ることで優越感を得る」という目的にマッチしているからよ。
人がよく知らないものを好きでいるほうが、「ワンピースを読んでるやつは~」とか「西野カナを聴いてるやつは~」というふうに攻撃される可能性が低いですもんね。
本当は、そんなふうにカテゴライズできるほど人間は単純ではないけれどね。
でも、RT乞食さんの画像じゃないけれど、サブカルはサブカルで攻撃されることが多くありませんか?
そうね、カテゴリから逃げるために利用されてきたサブカルも、今では明文化されすぎて1つのカテゴリになってしまったの。
この前作ったこのサブカルヒエラルキーが示すとおり、「よく知られていない」というサブカルの強みがネット上等で言及されすぎたことによって希薄化し…。
結果、サブカルヒエラルキーの頂点に「サブカル叩き」が君臨することになってしまったの。
不毛な…。
動物としてのベーシックな要素で負けることを確信したとき、人は抽象的な概念を持ちだして優越感を得ようとする…わかるかしら?
4.動物的価値と精神的価値
じゃあ、人間の持つ動物的な価値を「顔」、精神的価値を「内面」と置き換えて考えてみましょう。
置き換えちゃうの~!
モテない人が捨て台詞的に言う「結局顔」という言葉があるわね。これはひとつの人間の業を孕んでいるのがわかるかしら?
わかりません。
「結局顔かよ」という不満はつまり「他人は内面を見てくれないので、自分を好いてくれない」を短く言った形ね。
でも、それを愚痴る自分は、果たして他人の内面だけを見て恋したりするのかしら? もしそうなら、自分だって顔は度外視して異性を評価していないとおかしいわ。
でも、結局はそうじゃないの。私たちは”顔のいい異性”が、自分の”内面”を評価してくれるという、動物的価値と精神的価値を都合よくごっちゃにした願望を持っているの。
内面が外面を度外視してまで優先されるほど重要なものなら、そもそも自分だって自分の内面の価値を他人の外面の価値に兌換しようとしないはずよ。
そんなに畳み掛けなくても…。
これが「ベーシックな要素で負けたら、人は抽象的な概念を持ちだして優越感を得ようとする」の例よ。身に覚えがあるでしょう?
逆にいえば、抽象的な概念を持ちだして優越感を得ようとする人は、ベーシックな部分で不満を感じているということ?
うむ、そういうことじゃ。
5.自意識と俯瞰
さてエリコちゃん、俯瞰という行為は人の自意識と密接に関係しているの。自意識というのは「自分は何者なのか、他人にどう思われているのか」について気にする気持ちよ。
自分を俯瞰するということは、他人にどう思われているのかを気にすることよ。「こう思われたら嫌だな」「こう映ったら恥ずかしいな」と考えているうちに何もできなくなってしまう。
さらに困ったことに、"俯瞰癖"をこじらせると自分が自意識でできないことをできる他人に対して嫉妬を覚え、攻撃するようになってしまうの。
それが俯瞰中毒ですね。
エリコちゃん、見て、これ見て見て! 見て、これ!
募金してる人が「偽善者」と罵られてますね。
募金するのはいいことよ。なのにどうして攻撃されているのかわかる?
この前に6人殺してるから?
それ、偽善者じゃなくて極悪人よ。
そうじゃなくて、右側にいる人たちは自意識過剰なのよ。
じ、自意識過剰!!!!?????
まず、募金するのはいいことよ、偽善であってもね。誰になんと言われようとやればいい。
でも、右側の人たちは自意識…「自分が何者であるのか」ということに囚われて、すべきこともできなくなっているの。
どうして?
「募金すると偽善者だと思われるかもしれない」からよ。自分は他人にそう思われるのが嫌だから募金できないけど、それを気にせず募金する人はいる。
すると、いいことをしていい人だと思われるその人に対して嫉妬心が湧くの。「いい人だと思われるようなことをするのは、いい人だと思われたい偽善者だ!」ってね。
ふむふむ。
でも、実際はそんなことないわ。自分が他人にどう思われているか異常に気にする人は、自分以外の人間もそれくらい人目を気にしていると思い込んでいるの。
自分が「こう思われたら嫌だ」と思っても、そうじゃない人に「こう思われたら嫌だとお前も思え」と強要してしまうのはおかしいですね。
自意識に溺れてエリート意識を持つと、こういうふうに過剰な自意識に基づいて他人を断罪してしまうのよ。エリコちゃんも気をつけなさい。
エリコはバカだから心配ありません。
6.まとめ
「俯瞰した者の勝ち」というありもしないルールの中で、自意識過剰な人々が俯瞰されないためにより高みを目指し、互いに牽制しあって何もできなくなっていく、という自家中毒の構造が理解できたかしら?
それじゃあ最後に、俯瞰していることを俯瞰されるという最悪の事態を防ぐために「インターネットにクソみたいな文章を書く前のフローチャート」を学習しましょう。
やったー! これで、インターネットにクソみたいな文章を投稿せずに済みますね!
そうなのよ~♪
あれ、先輩髪にゴミっぽいものがついてますよ。
え、なになに? 取って!
チェストー!!!
待ちなさいコラ!
キャハハ! いつも理由なくチョップされるお返しですよ! 今回はこれにて終了、まったね~!
キャハ…し、しまった!
ギャーーッ!!!!
結局こうなるんかい~!
クゥゥ~! もうフカンはコリゴリやでしかし~!
(おわり)