0518 小田原市郷土文化館 新収蔵資料展 小田原藩渡辺三左衛門家家蔵文書から、今川氏輝・今川義元・今川氏真・武田信玄・武田勝頼文書。

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日光81 @nikko81_fsi

遠江国衆で犬居に領地を持つ渡辺氏(渡辺弥六郎、渡辺新三・三左衛門尉父子)の今川氏輝・義元・氏真・徳川家康・武田信玄・勝頼の各大名当主からの所領安堵の数々。氏真と家康以外はどれも新出史料。今川家に尽くし、犬居城主天野藤秀の同心として行動を共にし、信玄晩年の三河侵攻で武田服属。

2019-05-18 13:23:10
日光81 @nikko81_fsi

天野藤秀の子天野景貫は武田滅亡後、北条氏に仕えたらしいが、寄子であった渡辺氏もそれに従ったか。渡辺氏はその後小田原藩主大久保氏に仕え、家名を残したがゆえに小田原で一連の文書群が残ったのだろう。単発でなく同じ家で時代時代の各大名から所領安堵されてる過程がわかるのは素晴らしい。

2019-05-18 13:28:13
日光81 @nikko81_fsi

見所としては、①義元→氏真で折紙から竪紙になって、袖判から日下署判へと厚礼化(永禄2)している点。氏真が渡辺氏を重要視したのはなぜ?②藤枝の今川展でも思ったが、今川氏の署名で官途・受領名(治部大輔・上総介)と諱(義元・氏真)で書かれる違いは何なのだろう…あたり興味を惹かれるとこ。

2019-05-18 13:35:01
日光81 @nikko81_fsi

渡辺氏、遠州忩劇でも今川方となり、新恩地を今川氏真から与えられ、この時点で天野氏惣領を継承した天野藤秀の同心と位置づけられた。氏真が家康に攻められ懸川から出て北条氏政の客分となると(戦国大名今川氏滅亡)家康に従う。

2019-05-18 13:43:04
日光81 @nikko81_fsi

見所③いよいよ武田に降る渡辺氏。信玄時代は元亀三年十月の朱印状。小指南は土屋昌続。天野藤秀もそうだっけ?信玄期は「月」の位置から宛名が始まり割りと位置が高いが、翌年の勝頼判物で日付の位置でやや低くなる。しかし勝頼はより厚礼な判物を与えているからその関係か。

2019-05-18 13:51:56
日光81 @nikko81_fsi

見所④武田勝頼判物(元亀四年十一月十九日)。まず元号に注目ですよ。元亀から天正の改元は七月末。が、ここでは元亀四年十一月になってる。信長と義昭の改元を巡るトラブルを反映したものか、はたまた伝わってなかったか。翌年の勝頼判物では天正二年となっている。

2019-05-18 13:56:13
日光81 @nikko81_fsi

見所⑤武田勝頼判物(天正二年十一月廿一日)既知史料。天野藤秀の所領から新たに百貫文を与えるもの。今川氏真が永禄6年に新たに安堵したのが十一貫文、今川氏輝が大永八年新給したのが三貫文だから本領もさほど大きくはなさそう。元亀末の渡辺氏の総所領はわからないが百貫文はかなりの額では。

2019-05-18 14:02:17
日光81 @nikko81_fsi

ただし条件が付いていて、寄親天野藤秀と義絶(寄親寄子関係の解消)した場合はこの百貫文は反故にすると。つまり天野への協力を期待されての大身百貫文ということだな。家康の犬居城攻めの際に子の天野景貫のゲリラ戦で追い返してるからその与力として、勝頼の期待も高かったのかな。

2019-05-18 14:13:34
日光81 @nikko81_fsi

この天正二年判物の「天野宮内右衛門尉」、ここの解説では天野藤秀としているが、子の天野景貫かもしれないな。天野同心に位置づけた氏真判物(永禄6)では明確に「藤秀」とあるけど。

2019-05-18 14:17:40
日光81 @nikko81_fsi

ここで渡辺氏文書は途絶えていて、長篠合戦以降どうしていたか不明。武田滅亡後に北条氏に仕えるということは割りとギリギリまで武田に居たのだろう。犬居を離れたあとどこかに替え地を宛行われていたのだろうな。犬居城の戦いで一気に所領が増えたとしたら、武田に下ったのは渡辺氏には画期かも。

2019-05-18 14:20:32
日光81 @nikko81_fsi

早速史料解説出てるー!買ったぞー!(祿壽應穩はノリで捺してみた) pic.twitter.com/6n72petaQN

2019-05-18 14:28:50
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日光81 @nikko81_fsi

武田氏朱印状をつくるなら、山梨県立博物館、北条氏朱印状をつくるなら、小田原市郷土文化館へ(笑)

2019-05-18 14:30:01
日光81 @nikko81_fsi

しかし無料でいいのかしら…せめて史料解説は買わせていただいたけど pic.twitter.com/0pkArAKarA

2019-05-18 14:31:14
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日光81 @nikko81_fsi

小田原藩渡辺家、代々諱が漢字一文字の珍しい家だと思えば、渡辺綱の後裔を称してるんだな。代々三左衛門を称してるが、今川、徳川、武田、北条、そして徳川と渡り歩いた初代三左衛門の官途を代々継承してるのだろう。年寄にもなる小田原藩の上級家臣。しかし大正期に無嗣断絶。

2019-05-18 16:52:53
日光81 @nikko81_fsi

姻戚の信濃家に家伝文書が伝わり、昨年八月に小田原市郷土文化館へ寄贈。読んでて気づいたが、家康からの安堵だけ掛幅に装丁されてるんだ。徳川譜代に仕えるにあたり、価値が高かったんだろうな。

2019-05-18 16:57:01
日光81 @nikko81_fsi

武田勝頼判物には二通とも奥裏下に「信濃」黒印があるという。これはなんだろう。

2019-05-18 17:00:39
日光81 @nikko81_fsi

今川にもギリギリまで仕え尽くし、武田にも滅亡まで従ったようなのだけど、武田家におけるその後の事情がわからないのは残念だなぁ。

2019-05-18 17:02:33