カルト教団「ヤマギシ会」で一週間合宿をした話。
京都新聞、ヤマギシ会のステルス布教に加担してやんの・・・。ノンベクレル食堂の食材はヤマギシ会で調達。デマではなく、ノンベクレル食堂のメニューにシッカリ書いてありますよ~!!
2013-01-16 15:29:09母親が、ママ友に誘われて子供を、一週間大自然の中でキャンプを!親と離れることで自立心も養えます、みたいなのに騙せれて行ったことがあります。 たしか小学校3、4年だったと思う。
2013-01-16 16:05:26みんなでバスにゆられて某県にある合宿施設へ。 迎えてくれるのは中学生くらいのお姉さんとお兄さんが数名ずつ、あとは大人がやはり数名。 彼らのことは全員、お父さん、お母さん、お姉さん、お兄さん、と呼ばなければいけない。
2013-01-16 16:08:13「おかえりなさい」と言われたら、「ただいま」と返事をしてしまうのが日本人だよね。 彼らはこの「おかえりなさい」「ただいま」を通じて、ここがほんとうの家なんだよ、ということを洗脳する手段として使用していたんだと今となっては思う。
2013-01-16 16:12:22で、一日目はリクリエーションとかがあって。団体生活をする上での注意事項とか、そういうものをお兄さんとお姉さんが演劇で発表するんです。 今見たら痛々しいかもしれないけど、このへんはまあ普通だったと思う。
2013-01-16 16:16:39食堂みたいな長テーブルでゴハンをみんなで食べるので、お醤油が欲しい時は、自分で取りに行くと椅子の足がひっかかって危ないよー!知らない子で恥ずかしいかもしれないけど「お醤油とって!」っていえば早いし安全だね☆的な。
2013-01-16 16:19:04ちょっとこのへんは記憶あやふや。鳥以外は何だったか覚えてないデス。でも、山に行く組みと家畜組があったのは確か。私はニワトリ係でした。 これは一週間固定だったと思う。
2013-01-16 16:22:42実際ヤマギシ会が叩かれてるのってココだよね。「子供に労働をさせる」 子供に全ての仕事をさせてはいけないかというと微妙なところだと思うんだけど、あそこの「お姉さん」「お兄さん」は学校へも行かせてもらえてないと思うの。それはいけないよね。 学校行った上でのお手伝いならいいんだけどね。
2013-01-16 16:29:22余談ですが、行きのバスの中で巨大なリュックの中でもってきたお昼ごはんがどこだかわからなくなっちゃって誰かにお昼を分けてもらった。
で、夜寝る前に荷物を整理していたらお昼ごはんがでてきてしまって、そのまま置いといても腐っちゃうしどうしたらいいかわからないのとホームシックで(´;ω;`)ウッ…となってたんだけど、お姉さんが「そっかそっか☆しょうがないね!夏だし残念だけどもう食べれないから、一緒に豚さんにあげに行こうね☆」とすごい優しくしてくれた記憶がある。
いきなり親元から離されて(これより前は幼稚園のおとまり会とかだけだとおもう)優しくされて、このお姉さんは天使なんじゃないか!と当時思った。
つまり半分洗脳されてたといってもいいと思う・・・
翌日から始まった鳥の世話は、正直大したことはなかったと思う。 鳥コエエエエエとは思ってたけど。 飼育委員の延長上レベル。人手もいるしね。 (50人くらいはいたと思う。全員で)
2013-01-16 16:31:30といっても鳥舎だけでかなりのカズが有るんだけどね。 学校の飼育小屋の4倍くらいの広さの小屋が10個つなぎくらいの長屋になってて、それが8棟くらいだったとおもう。 2~3人くらいでそのうちの5個くらいの小屋を担当するという方式。
2013-01-16 16:34:28仕事内容は鳥舎を掃除して、卵生むところから離れたところに餌を放つ!餌をつついている間に卵を回収! のような誰にでもできるお仕事でございます。
2013-01-16 16:35:33豚舎はやっぱあった気がするんだよな。たしか。でもそっちの仕事はしたこと無いし、山に入った人たちは本当に何してたかしらないです。 あまり参考にならなくてスイマセン・・・
2013-01-16 16:37:17お仕事自体は昼過ぎにいは終わっちゃうので、あとは虫とったり、川へ遊びに行ったり、夜は花火したりちゃんと楽しかった記憶がある。
やぎとか犬とか兎とか買ってて、触ったりして遊んだり。
15cmくらいのカラフルな芋虫をもって追っかけられて泣いたり。
ゴハンは一日二食だった気がする・・・。 朝と夜だか、昼と夜だか覚えてないけど。三食は食べてなかった気がするんだけどなあ・・・。(おぼろげでゴメン・・・
2013-01-16 16:38:26