噴進砲関係(主に海軍) H28年3月12日写真史料からも海鷹噴進砲位置を確認。

噴進砲に関しての発言まとめ(随時更新中) 28連装については、レイテ沖海戦で瑞鶴、千歳の一部を砲塔式に改造したことは紙史料から確認が取れている。同海戦後、葛城等の一部の空母において、戦訓を採り入れた砲塔式(28連装)に改造していることが写真で確認できる(紙史料上は確認できていない。)
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さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

武蔵の戦時日誌及び戦闘詳報に目を通してみたが、「職員官氏名」にも噴進砲に関連するような記述は見られない。第五分隊の分隊士であった先の山元 奮氏(戦時日誌では山本となっている)は左高角砲指揮官である。装備されていたら指揮官が掌握(記憶)していないというのは考えにくいのでは?

2015-01-02 23:25:06
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

人員の補充については、噴進砲を撃つ場合だけ担当の者が行くという案も考えられるが、以下の理由でそれは無いと考える。まず繁雑する対空戦闘においていく余裕などまず考えられない。次に抜けた場合の人員の穴埋めをどうするかということを考えると現実的ではない。

2015-01-02 23:16:37
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

別の疑問として噴進砲が装備された場合の受持つ分隊(恐らく第五、第六分隊)についてだ。第五分隊は高角砲、第六分隊は機銃なのだが、噴進砲に配置する場合の指揮は誰が執るのかということ、そして引き抜かれた場合の高角砲、機銃員の補充問題である。

2015-01-02 23:14:01
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

搭載していたのに何故撃たなかったのかという理由に「温存され使用しなかった」と言われているが、これが大きな疑問である。一体何のための温存なのか?対潜弾も無ければ対水上艦艇に対する弾も無い。ましてやあの航空攻撃。温存する理由が最初から無い気がするのだが。

2015-01-02 22:55:49
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

レイテ戦後にまとめられた噴進砲の戦訓の中には武蔵に装備されたことを示唆するようなものはない。

2015-01-02 22:49:52
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

以上が現在私が知りうる証言等であるが、マリアナ沖海戦の戦訓から装備までの2週間という期間で28連装の噴進砲を試製するのは難しい気がするのが正直な感想だ。25mm三連装機銃銃架、箱型の覆いにレールとなる山形鋼の簡素な作りぐらいはすぐに出来そうであるが、肝心の発射装置が難しいのでは?

2015-01-02 22:39:00
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

そして田村氏の調査では、塚田氏と同じ第五分隊に配属されていた山元氏に尋ねたところ記憶に無いと。その後塚田氏に手紙で伺ったところ、経緯は不明であるが第五、第六分隊から選ばれた10名ほどが左舷の噴進砲の実射訓練を見学したという。

2015-01-02 22:29:57
リンク Twitter サムライ乾@25㎜機銃研究家 on Twitter “学研瑞鶴本でもお馴染みの12cm28連装噴進砲図の原本。瑞鶴の一番砲と要検証の三番砲を除き、エンガノ岬の際に装備された各艦艇は教範通りの側面開放型の楯という解釈で良いと思う。”
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対空兵器であるが、瑞鶴の三番噴進砲の川口の証言によれば瑞鶴に噴進砲が装備されたのは八月上旬。八月下旬に亀ヶ首付近にて高松宮殿下が見学のもとで試射が行われたという。同時期の伊勢の第七分隊長の松本氏の証言では、四航戦の各艦に対する噴進砲の装備が終わり広島湾岩国沖で試射が行われたという

2015-01-02 22:22:09
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

武蔵の噴進砲搭載については塚田義明氏が著書「戦艦武蔵の最後」においてマリアナ沖海戦後の呉入港時の際に噴進砲を搭載し、試射まで行ったという証言であるが、1944年6月24日~1944年7月8日までの約2週間と短い。たしかに対空噴進砲についてはマリアナ沖海戦の戦訓により実現した

2015-01-02 22:05:27
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

先のと比較するとすごいわかりやすい。左の噴進砲は外側、つまり正面を向いているのに対し、右側は内側を向いているのがはっきりとわかる。 pic.twitter.com/wODFVo76UJ

2015-01-02 09:43:09
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さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

日向の後部噴進砲。映像にも示したが、噴進砲を見ると外側にではなく内側に砲が指向されている。その根拠として防焔楯の前部照準孔が内側に確認できること、そして外側部分に映っている防焔楯の形状が後部の形状と一致することである。 pic.twitter.com/FgGUnhML6s

2015-01-02 09:34:16
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さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

映像をよく見ると日向の噴進砲は教範通りの側面開放だね。

2015-01-02 09:25:24
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

学研瑞鶴本でもお馴染みの12cm28連装噴進砲図の原本。瑞鶴の一番砲と要検証の三番砲を除き、エンガノ岬の際に装備された各艦艇は教範通りの側面開放型の楯という解釈で良いと思う。 pic.twitter.com/aWI2ZI1UxY

2015-01-01 17:26:45
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さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

瑞鶴の噴進砲について各種史料から確実に言えることは前部の一群噴進砲の一番砲のみ砲塔形式で照準孔は航空機の風防ガラスで試製されている。なお三番砲の旋回手をしていた方の証言では自身の砲も砲塔形式であったことを証言されているが、戦闘詳報や戦訓集にそのような記述は見られない。

2015-01-01 16:59:58
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

ある程度の結論は出せそうだけど、三番砲の件が解決せんな

2015-01-01 16:50:41
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

戦訓集に先日の瑞鶴で試製された噴進砲に関する記述発見。

2015-01-01 16:41:52
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

伊勢の噴進砲はエンガノ以降、戦訓により改造が施され射撃に関して若干改善されている。具体的な改造による結果については内緒だけど 笑

2015-01-01 16:15:22
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

うむ、やはり瑞鶴で噴進砲に関わった方は口を揃えて砲塔形式だと言われる。戦闘詳報の記述も再度検証してみよう。

2014-12-31 21:15:02
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

さら戦訓の項目では艦内工作にて一個砲のみ飛行機風防を流用した照準孔を試製し、結果良好だと防焔楯付の噴進砲の存在を示唆している。このことからも噴進砲毎に装備の状態がマチマチであった可能性が高い。

2014-12-26 22:29:04

その後、私が所持する噴進砲の戦訓集にて瑞鶴の一番噴進砲だけが砲塔形式で試製されていることが確認できた。

さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

合わせて「至近弾ニ依リ覆鈑変型湾曲シテ人力ニテモ旋回俯仰不能トナル」ともあり、同内容を第三次戦闘では「砲身覆」の屈曲変形と記述しており、同じ噴進砲なのか別なのか、はたまた第二次戦闘の記述は防焔楯を指すのか砲身覆を指すのかわかりにくい。

2014-12-26 22:25:54
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

エンガノ岬での瑞鶴でも砲塔形式だと口を揃えて証言されているが、戦闘詳報には「砲側射旋位置ヲ全周鉄板ヲ以テ覆ヒ照準孔ハ飛行機風防ニテ依ル要アリ」とあり、第二次戦闘の項では「各員ハ身ヲ火焔ニ包マレ」と裸であったことを示唆する記述もある。

2014-12-26 22:19:32
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

12cm28連装噴進砲の防焔楯に関してはエンガノ岬での瑞鶴の証言、伊勢の証言、各種教範類から砲塔形式であると考えられるが、被雷後の隼鷹の写真を見ると全てが砲塔形式ではない可能性もある。

2014-12-26 22:11:30
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

12cm噴進砲はロサ弾を電気発火させるため、噴進弾を発射すると打針先端が噴射火炎によって瓦斯が付着してしまい導通に支障をきたすので装填時に瓦斯を拭き落とす必要がある。

2014-12-25 10:16:32
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