噴進砲関係(主に海軍) H28年3月12日写真史料からも海鷹噴進砲位置を確認。

噴進砲に関しての発言まとめ(随時更新中) 28連装については、レイテ沖海戦で瑞鶴、千歳の一部を砲塔式に改造したことは紙史料から確認が取れている。同海戦後、葛城等の一部の空母において、戦訓を採り入れた砲塔式(28連装)に改造していることが写真で確認できる(紙史料上は確認できていない。)
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さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

取材終了。話の中で上った話題の一つ。 pic.twitter.com/XbLioF7Len

2018-10-19 17:15:56
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日本海軍の噴進砲といったロケット兵器開発は昭和8年と実はかなり早期から始まっている。

2018-10-15 20:02:55
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12cm28連装噴進砲各部名称 ①発射筒 ②照準器 ③端子筐 ④発火挺 ⑤砲尾接断器兼方直転換器 ⑥俯仰手挺 ⑦撃発起動挺 pic.twitter.com/mZ8GZkYNfY

2018-10-14 22:18:26
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ただ以前から述べているように28連装は試製の域を出ていないため、レイテ沖海戦でテスト兼実戦を経験し、その時に出た不具合だとか改善事項、各艦毎で案出された創意工夫といった戦訓を得たことで30連装に活かしている。

2018-10-13 10:20:28
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じゃないと少なくとも6隻の空母、戦艦伊勢、日向、計50基もの噴進砲を短期間のうちに教範作成から教育訓練及びその教官助教要員の育成も含めた製造配備は非常に難しい。ましてや各艦艇に三連装機銃の増備が進められ、製造が追いついていない三連装機銃銃架をいきなり50基も調達できるのか正直怪しい。

2018-10-13 10:13:20
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噴進砲の採用経緯にしても、マリアナ沖海戦後に急に開発要求が来たと考えるよりもマリアナ沖海戦後の戦訓として更なる対空砲火の向上が叫ばれ、以前から館山で試製されていた噴進砲にスポットライトが当てられたと考える方が自然である。 twitter.com/samurai__inui/…

2018-10-13 10:09:17
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この辺も過去に各所で述べてきたことだけどね。

2018-10-13 10:01:00
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堀氏の証言では、7~8月に呉に入港してきた6隻の空母と戦艦伊勢、日向に装備したといい、この時機に千代田にも噴進砲が装備されていたと考えられる。

2018-10-13 09:59:46
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12cm28連装噴進砲を始め各種噴進砲の試射については堀氏も亀ヶ首で立ち会っている。時期については不明であるが6月24日以前に試射が行われていたようだ。

2018-10-13 09:39:11
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ちなみに根拠史料として挙げている「横砲校軍極秘第二〇號八」の記述。実は弱点もあるんですよ。それに気づけたら大したもんです 笑

2018-10-12 22:08:26
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塚田氏の証言や回想一つが後世の我々にとって非常に悩ましいものであるということに変わりないが、だからといって一部の模型界隈であった塚田氏を嘘つき呼ばわりしたり、少々強引な結論の付け方には賛同できないし、もっと慎重にそして史料を精査すべきではないかと私は思うわけだ。

2018-10-12 22:03:51
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仮に証言通りのサイズの場合28連装よりさらに小型の噴進砲(12連装程度か?)となるし、噴進弾のサイズにしても12㎝なのかどうかもわからないため本当に噴進砲そのものの発射テスト用、いうなれば試製である28連装のさらに前身の試製の噴進砲という仮説も立てられるわけだ。

2018-10-12 22:03:50
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武蔵の噴進砲を28連装(30連装は確実にあり得ない)という前提で語られ、話を進めているのが一般化しているけども可能性としての候補で28連装というだけであって、塚田氏の証言、回想から約1m四方の箱型であるということくらいしかわからない。

2018-10-12 22:03:50
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回想録や証言からある事象を証明するのって実は難しい。一番良いのは自分で質問を絞って関係者に回答を得る事。そもそも回想録書いている人は自身が体験した全体的な事と特に印象に残っていることを書くため、こちらが欲しい情報を書いているとは限らない。

2018-10-12 21:07:44
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ましてや大和のような大所帯なら尚更。あと艦長だから全てを掌握しきれているわけではない。例えば神風の艦尾にある機銃は25mmなのに艦長が40mmと回想したがために、いくら史料や映像で証明しても「艦長が間違えるわけがない」と主張される面倒な方がやはり一定数は出てくる。万能なわけがない。

2018-10-12 21:07:43
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他部署にいた者の回想録で言及されていないから「その事実は無い」っていうのは強引な解釈だよね。勘違いされ勝ちなんだけども、配置的にすぐ近くでも他部署だと自分から知る努力、興味を持たない限り基本的に隣のセクションが何してるかなんて知らないもんだよ。

2018-10-12 21:07:43
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前々から述べてるようにU.S. Naval Technical Mission to Japanを扱う際には注意が必要。何故なら日本側からも聴き取り調査をしているとはいえ、その日本側の回答者がわかってない場合があるからだ。GHQだから信用できる?鵜呑みはダメよ。

2018-10-12 17:06:50
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塚田氏による武蔵への噴進砲装備に関する記述は平成6年の「戦艦武蔵の最後」が初出ではなく、昭和59年の「戦艦「武蔵」の最期ー一二・七糎高角砲測手」の方が出典としては早い。

2018-10-12 15:53:58
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信じない方がいるとアレなので。これがその証拠です。 pic.twitter.com/VLupkaWhST

2018-10-09 20:12:34
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「横砲校軍極秘第二〇號八」という史料は存在します。私が武蔵噴進砲未装備の根拠史料の一つとして各所で掲載しています。 #peing #質問箱 peing.net/ja/qs/91567586

2018-10-09 20:05:49
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これも過去に述べた事だが、伊勢、日向に装備された12cm28連装噴進砲はいずれも『「試製」十二糎二十八聯装噴進砲』と記述され、正式に採用された装備ではない。

2018-10-08 16:52:31
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武蔵の噴進砲装備有無については、一次史料から現在わかる範囲として装備されていなかったと私は結論付け、現在未装備説として採用されてる一方で、塚田氏の証言通り一時的に武蔵に装備されていた場合の考え得る様々な考察もやっている。

2018-10-08 08:18:49
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よく海鷹の噴進砲装備時期は分からないと解説する研究者やライターが散見されるが、実際は判明していることなのである。

2018-08-17 14:06:52
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昭和20年2月21日に呉海軍工廠側と噴進砲試射の打ち合わせを行い23日に決定。0800呉を出港し広島湾に向かう。1000噴進砲の実弾射撃試験を実施し成果を収め、海鷹の噴進砲の運用及び操法について固まる。

2018-08-17 14:05:35
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昭和20年2月に作製された参考書は、昭和20年2月8日に行われた二回目の砲術科作戦会議のためのもので、新たに増備された25mm機銃及び新装備の12cm30連装噴進砲の指揮方法、配員編成、操法について話し合われた。 pic.twitter.com/kqyWL6bB37

2018-08-17 14:02:09
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