コミック画材メーカーがなぜ「サーモンの養殖」を!?創作界隈がザワついた事業について社長に直接聞いてみた

一見ネタかと思いきや、そこには熱いドラマがありました
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2023年12月、X(Twitter)であるメーカーの「養殖サーモンの販売開始」を知らせる投稿に注目が集まりました。

これはまた立派なサーモンで
美味しそうなサーモンの切り身

投稿の内容は、伊勢丹新宿店の催事場で、養殖サーモンのテスト販売を期間限定で行うというもの。

「老舗料亭も認める物ができました」という自信たっぷりの投稿に、5000件以上のリポストが寄せられる大反響。たしかに美味しそうなサーモンだけど、なぜここまで反響が…?

それもそのはず。投稿者はデリーターの公式アカウント(@deleter_jp)。

漫画家が登場するTVドラマや映画にデリーターの画材も多数出演

デリーターと言えば、1984年創業というコミック画材メーカーの老舗。約500種類を誇るスクリーントーンや多種多様なマーカーの商品を展開し、漫画関係者なら知らぬ者はいないと言っても過言ではないほどの存在です。

デリーター公式オンラインショップ。やはりサーモンの「サ」の字も見つけられず…

そんなコミック画材メーカーのデリーターさんが、まさか全くの畑違いと思われる「サーモン養殖」を行っているとは寝耳に水。先の投稿への反響も、この事実を初めて知ったXユーザーたちがザワついた結果だったようです。

投稿に寄せられたコメントを見ると

「一体何を言っているんだ?!?!?!???!?!?!?!?(大混乱」

「料亭に卸してるのを一般販売とか…情報量が多くて理由が分からん」

「えっもしかしてこれトーンなの?サーモンのトーン使うとこあるかな???」

「トーンカッターで切れますか?」

などなど、界隈の混乱ぶりは見ての通り。でも、わかるよ……正直いったいどうしてこうなったのか、筆者も興味があります。

というわけで、今回はデリーターの二代目社長である金子一郎さんにインタビューを決行。

おそらく多くの人たちが心に抱いたであろう、「なんでサーモンを育てて売ってるの!?」という疑問をストレートにぶつけてまいりました。

デリーターの二代目社長、金子一郎さん

すべては先代社長の挑戦から始まった

コミック画材メーカーであるデリーターさんが、どうしてサーモンの養殖を始めることになったのでしょう?

デリーターの創業者である父、先代社長の発案です。先代は2008年に66歳で私に画材事業を承継した後、世界中のお世話になった人たちを訪問してまわっていたんです。

その時、みんな一様に「暇が苦痛。動かないと動けなくなる」と話していたのを聞いて、「自分と周りの健康寿命のためにもう一度何かにチャレンジしたい」と思い、陸上養殖を始めたのです。

つまり先代社長が引退後に始めた新事業ということでしょうか?

事業というよりも、もともとは先代個人の挑戦だったんですよ。

「上手くいくかわからない、新たな事に挑戦したい!」と言いながらも、さすが始めるにあたって考えかたはしっかりと定めていて、

  • 未来につながる新たなチャンスを残せるよう目指すこと。
  • 非効率でもいつでも辞められるようにして、遺された人たちに迷惑をかけないこと。
  • 本業であるコミック画材に影響がないようにすること。
  • 自分と同じように定年で仕事を引退した人たちと、自然と触れ合い楽しみながらのんびりやること。

こういった基本的な方針を決めたうえで、何を始めるか考えたと聞いています。

あくまでも先代個人の範囲でスタートしたものだったのですね。

新たな機会と終の住処を探して世界各所をまわった末に、豊かな自然と人の良さ、気候と都内への利便性から「神奈川県三浦市」で「新たな名産品」を作ると決定したそうです。

でも、そもそも上手くいくかどうかもわからなかったし、利益も考えないことが前提の挑戦でした。

畑に囲まれるように立地する三浦市内の養殖場

南国フルーツ栽培は全滅→サーモン養殖へ

なぜ、その挑戦に「陸上養殖」を選んだのでしょう?

最初は漁業じゃなかったんですよ。まずはマンゴーなどの南国フルーツの栽培から始めたんです。

石垣島から苗木を運んできて何ヶ所かで育ててみたのですが、環境が合わなくてほとんど枯れてしまい、断念。

ただ、地下から湧き出る水源地は確保してあったのでキレイな水だけはある。それなら魚を養殖してみようか、という流れですね。

とはいえ新たに養殖を挑戦し始めた時、先代は72歳でした。この年齢で全く新たな挑戦を楽しみながら始める先代を見て、私は「ああ、先代には勝てないな」と素直に心から思いました(笑)。

養殖は地下から汲み上げた水を活用している

サーモン養殖を始めてからはどのように事業展開したのでしょうか。

2015年に魚の養殖を始め、2020年に養殖が成功して料亭などに卸しを開始しています。

魚が増えてきた2023年6月に、デリーター二代目の私が新たな事業として承継しました。

陸上養殖を始めてみて、どのような苦労がありましたか?

今もまだ苦労中です(笑)。画材と違って生き物を扱うわけですし、気温などの環境変化に影響を受けてしまうため、常に油断はできません。

もともと、経験も知識もゼロ、限られたお金と時間と人員で始めたので、周囲からは「絶対に無理」「夢物語だ」と言われ続けてきましたし、いまだに言われることがあります。

その中でも一番の苦労は「自分たちの施設の環境で育つ魚」と「その育て方を見つける」ことでした。水質を含め、一つとして同じ環境は存在しないので、他の場所で成功している育て方をそのまま流用することはできなかったんです。

ひたすら何度もトライ&エラーを繰り返しました。イワナ、ヤマメ、サクラマス…魚ではないですがスッポンも育ててみたこともありました(苦笑)。

ちゃんと成長するかどうか、数年かけないとわからないので、とにかく時間がかかったんです。

水槽で元気よく跳ねるサーモンたち
2kgほどに大きく育ったサーモン

なるほど…。今、養殖しているのはサーモンだけでしょうか?

いえ、チョウザメも育ててます。小規模でやっていくためには稀少性が必要だと考えたので、最初に決まったのはチョウザメなんです。

チョウザメということは高級食材のキャビア! めちゃくちゃ儲かりそうじゃないですか。

それが…実をいうとまだ収益化はできていないんですよ。これは事業を承継した後で知ったことなんですけど(苦笑)。

チョウザメはキャビアがとれるまでに7~8年かかるので…。

すごく息の長い話なんですね。

はい、なのでその間の収入源として、世界的にもよく食べられているサーモンを選びました。

質と味には絶対の自信を持っている

Xの投稿では「老舗料亭も認める物ができました」と書かれていましたが、サーモンはすでに飲食店さんへ出荷されているんですね。

ありがたいことに三浦、鎌倉、逗子、葉山の料亭などに認められ、ご愛顧いただいています。

先代は流石モノづくりのプロ。養殖も妥協せずに8年間挑戦を続けて一流の料理人の方々に認められるサーモン、チョウザメが育てられるようになっていました。

しかしながらチョウザメはキャビアが獲れるまでかなりの手間と時間と費用がかかりますし、気候にも左右されます。

2023年8月には一部のサーモンが夏バテして成長が鈍化し、出荷制限を掛けざるを得ない憂き目にも遭っています。

本当に生き物ならではの苦労が絶えない…!

それでもスタッフたちが「全てが苦労。だから楽しい」と言ってくれていることに救われる思いです。

何より、質と味に絶対の自信を持っているんですよ。私は、食通ではありませんが、初めてうちのサーモンを食べた時に美味くて驚き、思わず笑いました。

身内ながら、モノづくりのプロのこだわりに感動しましたし、「残したい!」「今までお世話になった大事な方々にぜひ食べていただきたい!」と素直に思えたので、この事業を継ごうと考えられたわけです。

味の方向性についても聞かせてもらいたいです。

うちのサーモンは、余分な脂が少ないマッチョなタイプなんです。70代の創業者の舌にも合う、臭みがなくて味が深く素材の旨味を感じられるものですね。

チョウザメも臭みが少ない白身魚で、歯ごたえのある分厚い肉が特徴です。

飲食関係の方たちからも、「食感がいい」「とにかく新鮮」「唯一無二の品質」「既にこのサーモンを好むファンの客がついている」などの評判が届いています。

2018年に三浦市内のホテルで行われた養殖チョウザメの試食会
試食会では刺身やしゃぶしゃぶなども供された(画像はデリーターさんより提供)

その話を聞いただけでも、お腹が空いてきますね…。

でも、これだけ質と味が保持できるのは、採算度外視・品質最優先で、ものすごく非効率で愚直に育てているからこそ。

エサは適量にしてたくさん運動させ、水槽の水も1日に何回も入れ替えてキレイな水で育てているので、どうしても単価は上がるのに数が少なく利益を出すのが難しいのです。

2023年末の伊勢丹新宿店に出店された時は、お客さんからどのような反応がありましたか?

あれは本当に嬉しく楽しい最高の体験でした。中でも驚いたのは、一番多く来てくださったお客さんが、デリーターの画材ユーザーさんだったことです。

「今は漫画を描いていないけれど、以前デリーターの画材にはお世話になったので、お金を落としに来ました」「デリーターの画材で漫画を描くのは学生時代の青春でした。懐かしくなり、応援したくて来ました」などの声をいただき、メーカーとしてこの上ない喜びを味わいました。

昔の推しアイドルが、別のジャンルで活動を始めたと知ったファンの心境に近いものがありそうです。Xのポストは結果的に98万回を超えるインプレッションを獲得しました。

「100人くらいはザワついてくれるかな~」とは思っていたのですが、想像を遥かに超えていきました(笑)。

皆さん、不可能かつ無謀なことに挑戦している我々を見て、一緒にワクワクして楽しんでくれていたみたいですね。

ユーザーさんの他にも、友人たちや画材関係者、デリーターの元社員も駆けつけてくれて、あまりにも幸せな時間を過ごさせてもらいました。

2023年6月から事業を引き継ぎ邁進する日々
収益化に向けて少しずつ努力が実を結んでいる模様

いつかはサーモンで世界に挑戦したい

最後に、今後の養殖事業の展望について聞かせてください。

目標は「2024年6月までに収益化する」ことです。

今のところあまり数は出せないのですが、まずは確実な量を安定させて、売り先をあまり広げずに売り上げを作っていきます。

そして、ゆくゆくは世界を目指したいですね。サーモンの味には自信がありますので、海外で品評会があれば挑戦してみたいですし、有名なシェフやレストランで使ってもらったり、コラボレーションで商品を作ったりできたらいいなと考えています。

いろいろな夢や目標があるんですね。

いざ業界に飛び込んでみて知ったのですが、養殖の現場は本当に大変な仕事です。でも、それだけに本業に負けないくらい楽しい仕事だと感じます。

だからこそお金のためというよりも、毎日頑張ってくれているスタッフたちに、今後はもっと自分の仕事を誇りに思える機会をつくってあげたいと思っています。

大好評で終わった伊勢丹での販売会

コミック画材メーカーの新事業やいかに?

すでにコミック画材メーカーとして、世界的に名を馳せているデリーターさん。

今後はサーモン&チョウザメ養殖界のホープとしても、世界に羽ばたく日が近そうですね!

記事中の画像付きツイートは許諾を得て使用しています。
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書いた人
もちづき千代子

フリーランスライター。好きな食べ物は銀杏とホタルイカと白子と脾臓とパン。好きな飲み物はチューハイ。推しはシナモロールと我が家のインコたちです。