間違いを指摘すること

字を書くのもピアノを弾くのも「正確に」が求められる。しかし間違いを指摘される、あるいは浮き彫りにされることこそ、学習意欲を削ぐ最大の要因かもしれない。
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shinshinohara @ShinShinohara

字を書くのが大好きな息子。広告の字を見てはなぞったりする。ためしに「ひらがなろいど」なるアプリをダウンロードしてみた。「あ」をきれいになぞれば「よくできました」と花マルが出るというもの。最初こそ「ひょー!」「しゅごいねー!」と言っていたが、書き順が違うとダメ。

2015-08-02 07:42:25
shinshinohara @ShinShinohara

そしたらもうそのアプリはやりたがらなくなった。「間違いを指摘されるのはイヤ」らしい。息子は「好きにしたい」のであって、間違いを指摘され、興を削がれるようなことはイヤなのだ。これは、習い事になったとたんピアノも勉強も嫌いになってしまうのと共通するように思う。

2015-08-02 07:48:58
shinshinohara @ShinShinohara

息子にも「正しく書きたい」という願望はある。その証拠に、これまで間違いを一度も指摘しなくても自ら修正を加え正確に字を書けるようになった。息子は、字をうまくかけなかったときは「なにかおかしい」ことに気づいている。しかし技能が追い付いていないのだから当たり前、と気にしないでいる。

2015-08-02 07:52:36
shinshinohara @ShinShinohara

たとえば息子は「す」を、十字、マル、縦棒のパーツに分解して書いていた。その時点の技量で最も「す」に近い字体を再現することに成功していた。しかしそれが正確ではないことを自覚していたようだ。縦に一筆でマルと縦棒を書けることに「気づいた」日、急に「す」を正確に書けるようになった。

2015-08-02 07:57:12
shinshinohara @ShinShinohara

息子の様子だと、人間の認識能力は幼少でも思いの外、敏感で正確。自分の書いてみたものがぴったり正確に一致しているわけではない、ということに気づいている。試行錯誤を繰り返して「昨日より今日、近づいた気がする」を手がかりに、認識とのズレにどんどん修正をかける。正確になっていく。

2015-08-02 08:02:44
shinshinohara @ShinShinohara

2歳の子どもだと、線も円もうまく書けないのが当然。それでも字を書こうとする度胸というか、勇気というか、それは大したもの。大人になると「基本もできないのに」と、やろうともしなくなる。間違いを指摘されるのにすっかり臆病になっているからだ。

2015-08-02 08:07:42
shinshinohara @ShinShinohara

私自身、間違いを指摘されてやる気を失うことが多々あった。うまくできなくて当然の最初から間違いを指摘されたら、面白くないじゃないか、というのが子供の頃の記憶で残っている。そこで息子には、間違いを極力指摘しないでもやれるものなのか、「実験」してみた。

2015-08-02 08:10:35
shinshinohara @ShinShinohara

うまくできた時は「やったね!」と一緒に喜ぶ。間違った時は、いずれは正しく書けるようになったときには失われてしまう「今しか見られない貴重な現象」だと思って、興味深く観察するようにした。「なぜこれを「あ」として書いてみることにしたのだろう?」図形認識の仕組みを知るよすがとした。

2015-08-02 08:14:13
shinshinohara @ShinShinohara

そうしたら、勝手に字の形がそれらしくなっていき、次々と正確に書ける字が増えてきた。興味深いのは、乱雑に線や円を書いているだけに見えるときも、様々な「実験」をしているらしい、ことだ。ランダムに線を書いているうち、「これ、あの字のパーツに使えるな」と気づく材料が見つかるようだ。

2015-08-02 08:18:48
shinshinohara @ShinShinohara

息子はよく「おとうさん、かいて」と頼む。私が書く様子を、じっと観察している。その観察から、今までの自分の中にはなかったテクニックを見いだそうとしているらしい。「す」「あ」「お」に共通する「一筆曲線」の発見も、そうして行われたようだ。

2015-08-02 08:22:33
shinshinohara @ShinShinohara

「正しく」書けることを子どもに求めてはいけないように思う。正確に書けるようになりたい、という欲求は子供の中にすでにあり、自分の書いたものが不正確なのも自覚がある。間違いを指摘することで追い討ちをかける必要はない。ただ意欲を奪ってしまうだけに終わってしまう。

2015-08-02 08:25:20
shinshinohara @ShinShinohara

「好きなようにする」だけでも相当学べることがある。技量が伴わないうちは、間違いを恐れない勇気、果敢にチャレンジする意欲を最重要視した方がよい。チャレンジを繰り返すから、技能が向上する。意欲を失っては、ずっと手前のところで立ち止まってしまう。

2015-08-02 08:28:42
shinshinohara @ShinShinohara

「正しく」を教える時期があるとすれば、それは子供本人が「色々試したけどどうもうまい方法が見つからない。見本を見せて」と言ってきたときだろう。そのときでも慎重であった方がよい。あまり伝えよう、教えようと前のめりにならず、子供が「観察」し、自ら「発見」することを優先する。

2015-08-02 08:31:51
shinshinohara @ShinShinohara

子供は、大人が過剰教えてきたとき(聞きたいこと以上に教えようとするとき)に、「汚された」と感じるようだ。まだ自分が発見していたいものを発見する喜びを汚された、と。だから面白くなくなる。大人はその点に注意し、子供の「発見」の余地を残すよう、注意しなければならない。

2015-08-02 08:34:17
shinshinohara @ShinShinohara

息子に対しては、特別な教育を施そうとは思わない。ただ、何事かをマスターしたいという「意欲」を損なわないように気を付けている。意欲さえあれば、結局はマスターしてしまうものだと考えているからだ。さて、この「仮説」はどこまで証明されるのだろうか。注視したいと思う。

2015-08-02 08:40:42