【提案】 ご両親やお祖父様・お祖母様にネットで入手した大事な情報を見せたいのに「そんなネットの情報なんて……」と突っぱねられてしまうという方、試しにその画面を紙に印刷してみてください。彼らが「ネット」と呼んでいるのは通信技術のことではなく電子画面のことである場合が多いです!
2015-10-04 12:37:38→このことをいつ思いついたかといいますとね……以前 祖母にスマホの写真フォルダの中の画像を見せていたら、「これは全部、○○(私)がネットで撮影したの?」って聞かれたんです。別の日には、Wordを使っていたら「ネットだと長い文章を書くのも疲れなくていいねぇ」と言われました。→
2015-10-04 12:46:59→その後 祖母以外とのやり取りでも同じ体験があって、そこから判断するにどうやらある種の人たち(これが特定の「世代」なのか否かは保留)が言う「ネット」は私が口にするそれよりも遥かに多義的で、その多義性は本来の「ネット」が指す範囲を逸脱するほどに広がっているようなんですよ。→
2015-10-04 12:52:21→もう少し具体的に言うと、ブラウザ、2ちゃんねる、ツイッター、ワード、エクセル、スマホのカメラ、iTunesなど、とにかく「情報技術に関連があるっぽいさむしんぐ」という意味で彼らは「ネット」と言い、また興味深いことにその指示範囲は一つの会話の中でもしばしば変動します。→
2015-10-04 12:57:29→もちろん、私も最初は「ちょっと、ちゃんと意味をはっきりさせてよ」とイラ立ちもしましたw ですが、その後ちょっと考えて気づいたんです。「あぁ、意味が曖昧なんじゃない。あれはいわば『ムジナ』なんだ」と。→ ▼参考:「ムジナ」ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0…
2015-10-04 13:03:00→「意味が曖昧」なんじゃない。「意味の切れ目が違う」んです。「ムジナ」という言葉が曖昧なのがあくまで現代の人間、あるいは都市の人間の視座から見たときの話でしかないように、「ネット」という言葉で表される範囲は祖母にとって地続きなわけです。そこに私が勝手に境界を設けているだけ。→
2015-10-04 13:11:08→実は私、この祖母の側の立場になった経験があります。私が英語の次に学んだ言語はロシア語(大学で取りました)なんですが、ある日の授業でウクライナ人の先生が「ロシア語には、日本語の『行く』『飛ぶ』のような曖昧な表現がありません」と言うんです。「え、何が曖昧なの?w」思うでしょ。→
2015-10-04 13:23:20→ロシア語動詞のうち、往来を表すものには「向き」があります。「行く」は「ходить(ハジーチ)」ですが、「(ある目的地点に向かって)行く」と意識されると「идти(イッチー)」になります。これは一つの単語の別の活用形ではなく違う言葉、つまり全く別の概念ということになります。→
2015-10-04 13:32:41→そういうわけで、スラヴ言語の話者にとって日本語の「行く」「来る」「飛ぶ」「泳ぐ」「這う」等はそれだけじゃ「動作として曖昧すぎる」と感じられるんだそうな。私にしてみれば「一種類の動作に、なんで勝手にそんな余計な区別を……w」って思うけど、これが「意味の切れ目が違う」ということ。→
2015-10-04 13:38:26→これは非ネイティブによるロシア語学習ではホントに初歩の初歩でしかないんだけど、でもこれを知ったとき、掲示板だろうがカメラだろうが「ネット」って括る祖母のことを思い出して「あぁ、この感じか」ってちょっと思ったねw
2015-10-04 13:42:31※あ、「思い出して」って言いましたが、祖母はまだ健在です。このあいだ脚の手術で入院しましたが、復活して何事もなかったかのように生活してます(´・_・`)
2015-10-04 13:43:21※ちなみにさっきの「祖母がネットと関係ないものもネットと呼ぶ」と「日本語が動作の向きに関心を払わない」は同一の構造ではないのですが、主軸は「視点によって意味の切れ目が違うとはどういうことか」の話なので、そこの差異は"わざと"捨象しています。もう少し推敲できるなら別の例を使います。
2015-10-04 13:54:10