【東日本大震災】大川小津波訴訟、なぜ児童たちの遺族・保護者は訴訟を起こしたのか【モンペだから?】

ざっくりアウトラインです。私よりももっと詳しい方がまとめてくださることを願って…。
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knemic【しばらく鍵アカ】 @knemic

裁判でしか、真実に迫ることが出来なかった遺族の気持ちを思うと…本当に辛い。生き残った教師も辛いだろうし、PTSDにかかっているだろう。けれど、真実を語れる人はこの人しかいないのだから、と、私は思っていました。管理側に責任ありは、私は支持したいです。

2016-10-26 17:13:27
マルベリー公 @D_o_Mulberry

大川小の訴訟、遺族勝訴の判決が出たそうだが、あれはなあ…。宮城県教委や石巻市教委、生き残った校長らの事後対応が決定的にクソだったもんな。

2016-10-26 22:23:44
マルベリー公 @D_o_Mulberry

大川小の件、たまたま出張で不在だった校長は多数の児童や教職員が被災したと知ったあとも捜索作業に参加せず、1週間くらい経って現場に来たと思ったら学校の金庫を開けて書類だけ取り出して帰ったという話で、初っぱなから最悪なんよな…

2016-10-26 22:29:06
マルベリー公 @D_o_Mulberry

大川小の件は石巻市教委も生き残った子どもの証言を「子どもの記憶は変わるから」と取り上げず、証言記録のメモを廃棄とかやってるからな。唯一生き残った教職員で震災以後ずっと病気休職している教務主任の証言もなぜか最初と教委の接触後では大幅に変わったあげく、それ以後は完全に面会謝絶という

2016-10-26 22:45:08
伊丹和弘@朝日新聞社SDGs担当ですが、それ以外の話が多めです @itami_k

会見で遺族は「なぜ死なねばならなかったのか。一番知りたかったことは明らかにならなかった」。そこを知りたいよなぁ。。。 → 大川小の津波訴訟、遺族側が勝訴 14億円の賠償命令 asahi.com/articles/ASJBS… pic.twitter.com/SfwvmHGqRI

2016-10-26 15:23:41
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星をみるひと @star_seeker0706

大川小の判決見たけど、避難先にしようとした場所の標高は7mしかなかったって、校舎の屋上の方が高いんじゃ…。近くに適切で行き慣れた避難場所(裏山)があったのに何でそんな所に行こうとしたのか。これは自治体側が敗訴するのもやむを得ないと思う。

2016-10-26 16:42:09
野原 結理那 @yurinan90

大川小の津波事件については、事故調査自体が相当杜撰だった。「裏山に逃げたほうがいい」と提案した児童がいたのに、その提案を教師が聞かなかった。子どもの声を軽視した判断が大惨事を招いた。しかしその経緯などは、事故調査の中では隠蔽されたままだったという。訴訟に発展した背景はそこにある。

2016-10-27 01:17:47
くるめのせんにん @abatchann

絵と鼻の先の最適避難場所である裏山を利用しようとせず、却って津波の寄せる方へ生徒を導いたのは学校側の重大な失態。 <大川小津波訴訟>「7分前に危険性予見」学校の過失を認定(毎日新聞) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161026-… #Yahooニュース

2016-10-27 01:05:22
愛戦士@巨人ファン2021年 @AiSenshi_Giants

<大川小津波訴訟>「7分前に危険性予見」学校の過失を認定 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161026-… 未曾有の自然災害である以上IFは通用しづらいんだろうけど広報車の呼びかけに応じていれば3分弱で避難できた。 歴史的に津波被害の少ない地域でも最後は現場の判断が争点になるのか。

2016-10-26 23:50:28
リンク 朝日新聞デジタル わが子、救えた命… 大川小児童遺族「原因究明続ける」:朝日新聞デジタル 子どもたちは救える命だった。東日本大震災の津波で児童ら84人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の惨事をめぐる訴訟で、仙台地裁は26日、学校側の過失責任を認めた。遺族らは改めて再発防止を強く願い、…

(朝日新聞Webより引用)

閉廷後、原告団長の今野浩行さん(54)は涙をぬぐった。6年生だった長男の大輔君(当時12)を亡くした。もし敗訴すれば、児童を校庭に50分近くとどめ、津波が迫る川の方へ誘導した学校の対応が問題なしとされてしまう。眠れない日が続いた。だからこそ、「ほっとした」という言葉が口をついて出た。

http://digital.asahi.com/articles/ASJBV52NRJBVUTIL01S.html?rm=478

上記は記事より引用しました。(ログインすれば全文読めます)

遺族側には「あの時何が起きていたのか知りたい」という思いが強かったようです。ただ、学校側は明らかにしなかった、知るには裁判を起こすしかなかったという事情があります。
もうこのようなことが起きてはならない。再発防止のためにも、あの時何が起きて、誰が何をし、何をしなかったのか。それをはっきりさせなければならないのではないでしょうか。

リンク ライブドアニュース 【大川小津波訴訟】究極の状況下で子供の命どう守る…厳しい課題示す - ライブドアニュース 学校管理下で戦後最大の犠牲者を出した東日本大震災に伴う大川小の津波訴訟で、26日の仙台地裁判決は学校側が津波襲来を予見できた上、旧校舎の脇にある高台の裏山を避難先に選ばなかった過失を厳しく認定した。

(文中より引用)しかし、堤防への移動の判断に至った理由については説明されず、遺族らが追及し続けた「なぜわが子は死ななければならなかったのか」という“真実”は司法の場でも明らかにならなかった。

リンク ライブドアニュース 【大川小津波訴訟】「子供の声が届いた」「わが子は帰ってこない」…長男失った原告団長、今野さんの複雑な胸中 - ライブドアニュース 東日本大震災で児童ら84人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小の津波訴訟で26日、学校の責任を認める司法判断が示された。震災で最も重大な惨事の一つで、教育行政史上最大の悲劇。「子供の声が届いた」。当時
リンク 朝日新聞デジタル 大川小へ迎えに行けば… 2児亡くした母、自責の日々:朝日新聞デジタル あのとき、どうして子どもを迎えに行かなかったのか。児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校。2人の子どもを亡くした母親は、いまも自分のことを責める。 地震が発生した2011年3…