はてな創業10年目の想い by @jkondo #sn2011s1 #sn2011
近藤氏「しかし自分にはプログラムができない。京大にも”共同創業者募集!”などと張り紙をしたが、人が集まらなかった。そこで自分でプログラムをすることにした #sn2011 #sn2011s1
2011-05-29 13:20:04#sn2011 狭いブースを借りて、3人ではてなの仕事をしていた。WEBの仕事を受託しながら、サーバーの費用に充てて、サービスを立ち上げていくということをやっていった。 by 近藤社長
2011-05-29 13:21:41近藤氏「はてなの10年は4つの時期に分けられる。2001-2004は、経営が苦しく、受託開発もおこなっていた。この収益を自社サーバーの購入費に充てていた。自分達のサービスは夜中や休日に作っていた #sn2011 #sn2011s1
2011-05-29 13:21:41超交流会、メイン会場のはてな近藤さんが講演中。ふつうの京大生が人生の目的を探し始め、起業し、育てていく物語。プレゼンも非常に魅力的。速報レポートについては @cuzic さん @syo_yokoi さんが秀逸です! #sn2011
2011-05-29 13:21:43#sn2011 そういう中で、はてなダイアリーがヒットして、東京に全員で移転をして、受託開発に一回区切りをつけて、はてなのWEBサービスをする会社として20人くらいの組織にした。 by 近藤社長
2011-05-29 13:22:29近藤氏「2004年、はてなダイアリーのヒットを受け、東京へ移転、さらに受託をやめて自社業務に特化した。20人くらいの組織になった #sn2011 #sn2011s1
2011-05-29 13:22:42#sn2011 それで、シリコンバレーで2年間、グローバルを目指してやっていったが、その後京都にもどってきて、京都から世界を目指すということで、取り組んでいる。 by 近藤社長
2011-05-29 13:23:20近藤氏「2006年からはシリコンバレー、2008年からは京都で”京都から世界へ”と活動をしている #sn2011 #sn2011s1
2011-05-29 13:23:53#sn2011 会社の規模のグラフとして、3人でやっていた時代というのはゼロからイチにするということで大変苦労したのだが、そのときは指数関数的に拡大していった。京都から東京、シリコンバレーと移動していく中で、どんどん成長を続けている。 by 近藤社長
2011-05-29 13:24:25#sn2011 指数関数的な動きをもっと勢いよく伸ばせなかったのはなぜか、ということを考えていると、10年間として総括として私のマネジメントについて学ぶ期間だったのかな、と感じている。 by 近藤社長
2011-05-29 13:26:11はてな近藤社長創業時はプログラミングできなかったのに、人が集まらなかったからしかたなく自分で勉強して作ったのか! #sn2011
2011-05-29 13:26:19#sn2011 プログラムをセンスよくかけたり、すごいセンスいいサービスを作る力ではなく、人を動かして作る必要があるということになったときに、自分の目の届く数人の力ではなく、20人くらいになるとマネジメントの力が必要になる。 by 近藤社長。
2011-05-29 13:27:50近藤氏「初期は目が届く数人で一斉にプログラムを書いて動くものを作ってきた。人が10人20人と増えてくるにつれてマネジメントが必要になった。しかし自分は組織で働いていた経験がなかった。 #sn2011 #sn2011s1
2011-05-29 13:28:03#sn2011 フラットな会社ということで、メディアに取り上げられたり、変な会社の作り方という本を書いたりした時期もあったが、それでいいのかな、と僕自身も考えていたのでマネジメントについて十分に考えてこなかった。 by 近藤社長
2011-05-29 13:29:11近藤氏「当時、完全フラットな組織でうまくいっていたし、もてはやされ、本(”変な会社の作り方”)を作った事もあり、このやり方を自己肯定していた。しかし、もっと伸びるはずだとは思っていた #sn2011 #sn2011s1
2011-05-29 13:29:32#sn2011 シリコンバレーに行くときも、はてなスター というサービスを作った。フェイスブックの「いいね」などのさきがけとして、「はてなスター」を高く評価してくれる人もいるが、ユーザーはそこまで増やせなかった。 by 近藤社長
2011-05-29 13:30:29はてな近藤社長「優秀な人を集めて好きにやらせていれば、完全フラット、完全自由の憧れからもてはやされたが、ある時点で、もっと業績も伸ばせるはずなのにおかしいな、と感じ始めた。」 #sn2011
2011-05-29 13:30:38近藤氏「シリコンバレーでは自分でプログラミングをしようと、ある意味マネジメントから逃げていた。その時作ったはてなスターは、今考えると、favボタン/likeボタンのハシリだったが、他のサービスのように大幅に伸ばす事はできなかった #sn2011 #sn2011s1
2011-05-29 13:30:56#sn2011 やはり数人でプログラムを書いてサービスを立ち上げるのに限界を感じた。しっかりと学んでチームをマネジメントをするかについて考えた結果、京都に戻って、経営者として覚悟を決めて、組織を作って世の中に向けてサービスを作っていきたいと考えた by 近藤社長
2011-05-29 13:32:01近藤氏「creator/programerの立場から離れ、組織を作り、トップとしてマネジメントしようと、京都に戻った。/ この後の3年でようやくマネジメント/経営が何たるかが見えてきた #sn2011 #sn2011a1
2011-05-29 13:32:37