福島のツイートはあの日の朝避難中の人から電話で怒ってる(怒って当然の)話を聞いたことがきっかけで(当日のラジオでもその話題コメントした)代弁も何も彼らが怒っていることができるだけ多くの人に伝わった方がいいと思った以上の意図はないんだけど不快に思う人多かったのは残念です。難しいね。
2015-03-05 19:29:35自分の真意が伝わらなかったのであれば、「曲解されて困った」って言うのではなく「誤解を与えて申し訳ない」って言っておけばいいのに。 当事者である福島県民含め大勢の人に『曲解』されたのなら、それは伝える側の技術の問題ですよ togetter.com/li/791126?page…
2015-03-06 08:27:19@jyunichidesita 私もそう思います。普通、自分のどこがまずかったのかなと考えますが、そうはなさらないのだと思いました。追記の部分を読んで、開き直りだなと感じて、これはもうだめだと思いました。
2015-03-06 08:56:02@pinwheel007 ですよね。プロのジャーナリストとして情報を発信しているのであれば尚更、それが仮に自分の意図から外れた解釈をされたのであれば、自分の発信の仕方に何か問題は無かったか?と振り返るべきだと思いました。
2015-03-06 08:57:53@jyunichidesita 怒りの表現というのが、朝生でギャーギャー言うことだと思うなら、なんと底の浅い認識かと思います。それから、県知事選に関する認識の浅さにも唖然としました。県がすでに廃炉を要請していることをご存じないのかと。
2015-03-06 09:14:00ついに配信されました。小松さんの応答が必読です(そこは有料になってますが)。→ 【怒りとはなにか】ゲンロン観光地化メルマガ #32【編集長・東浩紀】 ch.nicovideo.jp/fukuichikankop… #blomaga
2015-03-07 01:15:50※上記リンクより一部転載
前回の巻頭言で、予想以上の速度で原発事故の忘却が進むなか、福島のひとにはもっと怒りを表明してほしいと記した。同じ内容は『朝日新聞』『潮』などでも語っており、予想どおりさまざまな批判に曝されている。しかし同じくらいの支持もいただいており、ぼくとしては語ったことには意味があったと感じている。福島については、なにをどう語っても批判される。開沼博氏の新著(『はじめての福島学』)の帯ではないが、福島について語るのはじつに厄介で「面倒」だ。とくに、被災の当事者ではない「外部」の人間にとっては。それでもみなが黙ってしまえば、それこそ風化は急速に進んでいくので、とりあえず議論を引き起こしただけでも記憶の継承には貢献しているのだと考えることにしている。