どこまでが「個性」として認められるのか→小学校の先生が挙げたシンプルな具体例を,オトナの目線で考える
とても考えさせられるエピソードですね。
イマドキの学校ではどうなんでしょう。
- osarunosalsa
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はと
@haben35
『晴』と書くべきときに『雨』と書くのは「個性」の範囲を逸脱している、のだとすると、鏡文字にしたり、 平仮名にしたり、sunnyと書いたり、太陽の絵を描いたり、書かずに『晴』と言う、のはどうかと考える。その表現によって伝えたいことはなにか、が分かれ目になるのかな。
2015-11-29 13:12:38
はと
@haben35
晴と書くのが天気の記録のためか、習字の課題なのか、好きな文字を書いていいよと言われたのかで、雨と書くことの意味は変わる。ただ、いずれのケースであっても、「みんなと違う文字を書くこと」が目的である場合、その人のあり方は結局「みんな」によって規定されるので、個性ではない。
2015-11-29 13:20:27
損斬丸@news830
@news830com
言いたいことは分かるけど、創造的破壊を伴ったイノベーションは、みんなが「晴」と書いている中で「雨」と書く人によってもたらされるよね。誰かが決めたルールの中で競争して走るのもいいけど、利益を一番享受するのはルールを作った人だよね twitter.com/harudajin/stat…
2015-11-29 14:00:52最後に,ツイ主さんから
原田
@harudajin
私の中で先生の話は「決められたルールや題材を無視して違うことをすれば当然目立つ事ができるけれど、それでみんなを納得させるのは難しい」だと思ってたんだけど、twitter上ではいろんな解釈があっておもろいな。20年越しの再発見か。
2015-11-29 19:28:02