噴進砲関係(主に海軍) H28年3月12日写真史料からも海鷹噴進砲位置を確認。

噴進砲に関しての発言まとめ(随時更新中) 28連装については、レイテ沖海戦で瑞鶴、千歳の一部を砲塔式に改造したことは紙史料から確認が取れている。同海戦後、葛城等の一部の空母において、戦訓を採り入れた砲塔式(28連装)に改造していることが写真で確認できる(紙史料上は確認できていない。)
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さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

また瑞鶴の一群噴進砲三番砲旋回手の川内氏の証言では「射撃時は砲尾から約5mの火柱が上がり、射撃時の噴炎から射手、旋回手を防護するために「砲塔」形式となっていた」と言われているので可能性は高いと言える。

2014-11-21 22:42:07
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なお噴進砲に使用された防炎盾であるが、15cm9連装対潜噴進砲の写真を見ても側面も覆われた砲塔形式である。また瑞鶴の生存者のノートにある噴進砲の絵も砲塔形式で学研翔鶴本でも使用されている「噴進兵器参考書」の図は内部構造解説のために側面壁がワザと描かれていない可能性がある。

2014-11-21 22:31:49
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瑞鶴や伊勢に装備された噴進砲は28連装で、これの射撃指揮装置として25mm機銃の従動照準装置すなわち95式機銃射撃指揮装置が使用されていたが、後に海鷹用の30連装が開発されると射撃指揮装置も95式から先日も紹介した四式高射装置四型で従動する予定だった。

2014-11-21 22:25:42
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