噴進砲関係(主に海軍) H28年3月12日写真史料からも海鷹噴進砲位置を確認。

噴進砲に関しての発言まとめ(随時更新中) ▢ 28連装については、エンガノ岬沖海戦で瑞 鶴、千歳の一部を砲塔式に改造したことが紙史料及び証言により確認が取れている。 ▢ 同海戦後、葛城等の一部の空母において、戦訓を採り入れ、28連装を砲塔式に改造していることが写真で確認できる(紙史料上は28連装であることしか確認できていない。) ▢ 海鷹の右舷30連装噴進砲の位置は、証言及び写真から乾説の位置で確定。左舷については海鷹の座礁写真(反転写真)及び証言等から乾説の位置 続きを読む
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さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

塚田氏が武蔵艦上で見た噴進砲の射撃は印象の残り方から一時的ではあるが実際に装備されたと私は今のところ考えているが、実験的要素が強く、艦上での試験後に撤去されたのではないだろうかと推測する。

2015-02-10 16:54:32
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レイテ沖海戦時の噴進砲装備艦艇に関し、第二艦隊司令部の報告に非常に興味深い記述があった。それを読むとレイテ戦において1YBには「噴進砲は一艦も装備しておらず噴進砲の威力は不明」という報告をしている。ということはシブヤン海において武蔵は噴進砲を装備していないということになる。

2015-02-10 16:51:06
リンク Twitter サムライ乾@25㎜機銃研究家 on Twitter “学研瑞鶴本でもお馴染みの12cm28連装噴進砲図の原本。瑞鶴の一番砲と要検証の三番砲を除き、エンガノ岬の際に装備された各艦艇は教範通りの側面開放型の楯という解釈で良いと思う。”
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もし仮に途中で取り外され、シブヤン海海戦時には無かったとしても塚田氏の証言は非難されるものではないことをここで強調しておきたい。

2015-01-02 23:35:41
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

田村氏のリサーチからも塚田氏の証言自体には嘘は無く搭載されたことだろうとは思う。それもリンガ泊地に向け出港する前まではね。呉出港以降の証言が無い以上はレイテ戦時において武蔵に噴進砲が装備されていたという結論は出せない。

2015-01-02 23:33:25
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

武蔵の戦時日誌及び戦闘詳報に目を通してみたが、「職員官氏名」にも噴進砲に関連するような記述は見られない。第五分隊の分隊士であった先の山元 奮氏(戦時日誌では山本となっている)は左高角砲指揮官である。装備されていたら指揮官が掌握(記憶)していないというのは考えにくいのでは?

2015-01-02 23:25:06
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人員の補充については、噴進砲を撃つ場合だけ担当の者が行くという案も考えられるが、以下の理由でそれは無いと考える。まず繁雑する対空戦闘においていく余裕などまず考えられない。次に抜けた場合の人員の穴埋めをどうするかということを考えると現実的ではない。

2015-01-02 23:16:37
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別の疑問として噴進砲が装備された場合の受持つ分隊(恐らく第五、第六分隊)についてだ。第五分隊は高角砲、第六分隊は機銃なのだが、噴進砲に配置する場合の指揮は誰が執るのかということ、そして引き抜かれた場合の高角砲、機銃員の補充問題である。

2015-01-02 23:14:01
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

搭載していたのに何故撃たなかったのかという理由に「温存され使用しなかった」と言われているが、これが大きな疑問である。一体何のための温存なのか?対潜弾も無ければ対水上艦艇に対する弾も無い。ましてやあの航空攻撃。温存する理由が最初から無い気がするのだが。

2015-01-02 22:55:49
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

レイテ戦後にまとめられた噴進砲の戦訓の中には武蔵に装備されたことを示唆するようなものはない。

2015-01-02 22:49:52
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以上が現在私が知りうる証言等であるが、マリアナ沖海戦の戦訓から装備までの2週間という期間で28連装の噴進砲を試製するのは難しい気がするのが正直な感想だ。25mm三連装機銃銃架、箱型の覆いにレールとなる山形鋼の簡素な作りぐらいはすぐに出来そうであるが、肝心の発射装置が難しいのでは?

2015-01-02 22:39:00
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そして田村氏の調査では、塚田氏と同じ第五分隊に配属されていた山元氏に尋ねたところ記憶に無いと。その後塚田氏に手紙で伺ったところ、経緯は不明であるが第五、第六分隊から選ばれた10名ほどが左舷の噴進砲の実射訓練を見学したという。

2015-01-02 22:29:57
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対空兵器であるが、瑞鶴の三番噴進砲の川口の証言によれば瑞鶴に噴進砲が装備されたのは八月上旬。八月下旬に亀ヶ首付近にて高松宮殿下が見学のもとで試射が行われたという。同時期の伊勢の第七分隊長の松本氏の証言では、四航戦の各艦に対する噴進砲の装備が終わり広島湾岩国沖で試射が行われたという

2015-01-02 22:22:09
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武蔵の噴進砲搭載については塚田義明氏が著書「戦艦武蔵の最後」においてマリアナ沖海戦後の呉入港時の際に噴進砲を搭載し、試射まで行ったという証言であるが、1944年6月24日~1944年7月8日までの約2週間と短い。たしかに対空噴進砲についてはマリアナ沖海戦の戦訓により実現した

2015-01-02 22:05:27
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先のと比較するとすごいわかりやすい。左の噴進砲は外側、つまり正面を向いているのに対し、右側は内側を向いているのがはっきりとわかる。 pic.twitter.com/wODFVo76UJ

2015-01-02 09:43:09
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その後、私が所持する噴進砲の戦訓集にて瑞鶴の一番噴進砲だけが砲塔形式で試製されていることが確認できた。

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日向の後部噴進砲。映像にも示したが、噴進砲を見ると外側にではなく内側に砲が指向されている。その根拠として防焔楯の前部照準孔が内側に確認できること、そして外側部分に映っている防焔楯の形状が後部の形状と一致することである。 pic.twitter.com/FgGUnhML6s

2015-01-02 09:34:16
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さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

映像をよく見ると日向の噴進砲は教範通りの側面開放だね。

2015-01-02 09:25:24
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学研瑞鶴本でもお馴染みの12cm28連装噴進砲図の原本。瑞鶴の一番砲と要検証の三番砲を除き、エンガノ岬の際に装備された各艦艇は教範通りの側面開放型の楯という解釈で良いと思う。 pic.twitter.com/aWI2ZI1UxY

2015-01-01 17:26:45
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瑞鶴の噴進砲について各種史料から確実に言えることは前部の一群噴進砲の一番砲のみ砲塔形式で照準孔は航空機の風防ガラスで試製されている。なお三番砲の旋回手をしていた方の証言では自身の砲も砲塔形式であったことを証言されているが、戦闘詳報や戦訓集にそのような記述は見られない。

2015-01-01 16:59:58
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

ある程度の結論は出せそうだけど、三番砲の件が解決せんな

2015-01-01 16:50:41
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

戦訓集に先日の瑞鶴で試製された噴進砲に関する記述発見。

2015-01-01 16:41:52
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

伊勢の噴進砲はエンガノ以降、戦訓により改造が施され射撃に関して若干改善されている。具体的な改造による結果については内緒だけど 笑

2015-01-01 16:15:22
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

うむ、やはり瑞鶴で噴進砲に関わった方は口を揃えて砲塔形式だと言われる。戦闘詳報の記述も再度検証してみよう。

2014-12-31 21:15:02
さむらい@戦史調査中! @Type96_AAgun

さら戦訓の項目では艦内工作にて一個砲のみ飛行機風防を流用した照準孔を試製し、結果良好だと防焔楯付の噴進砲の存在を示唆している。このことからも噴進砲毎に装備の状態がマチマチであった可能性が高い。

2014-12-26 22:29:04
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