「黒塗り」の断罪。差別と抑圧。
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@hbnk 能は、写実的物真似を経由せずに、モチーフになれ、といっているわけです。その回答が鷺、獅子、その他。狂言のほうは、猿や狐のぬいぐるみを着て猿や狐を物真似するわけです。
2015-03-05 20:05:07能と狂言の違いについては了解です。そして狂言の、より直接的な物真似が、日本文化の基底を作ったのだろうと和田さんが示唆しているのなら、それも賛成です。能の美学は卑俗な「物真似の」欲望をできるだけ迂回させて実現させようとしているというのが私の理解です。 @naonao200170
2015-03-05 20:08:06黒塗りが人種差別の表象として合衆国で長らく定着しているのは紛れもない事実。一方で、現実のミンストレルショーはそれほど単純な現象ではなかった。端的にいうと、黒人が黒人の真似をしたり、更には白人の真似をしたりするミンストレルショーもあった。表象行為と現実の複層的な関係を示す一つの例。
2015-03-05 20:34:21@gorotaku @hitoribbq 大分の姫島盆踊りでは、炭で黒塗りの人が踊ります。"弥助"という安土桃山時代のアフリカンルーツの侍を始めとした、宣教師や貿易商が連れてきた方々がおり、九州で侍として戦った記録が散見されるようです。 姫島盆踊りとの関係があるかもしれません。
2015-03-05 00:27:23@gorotaku @hitoribbq アフリカンルーツに無関係かもしれないですし、関係があるかもしれません。 しかし、無関係であっても人によりミンストレルショーのように映るでしょう。 この祭りにおいては、それを否定するのが"伝統文化の排除"になり得る可能性もあり、難しいです
2015-03-05 00:35:47@gorotaku @hitoribbq 今回の問題はその祭りと関係は無いので、また別ではあるのですが、"各地域の文化の文脈"では、塗り物を身体に施すことに差別性を持たない側面もまたあり得る、ことは否めません。
2015-03-05 00:40:46ミンストレルショーへの批判は合衆国では二〇年代から存在した。だがその批判は黒塗りという形式へのものではなくアフリカ系アメリカ人を愚弄する内容に対するものだった。どのような経緯で「黒塗り」自体へのタブーが作られたかを書いた本は不勉強にして知らないが表象の政治学の過剰な発露だと思う。
2015-03-05 20:56:41@ecdecdecd いや、実際のミンストレルショーでは黒人がより黒人らしくみせるように顔を塗ったり、目玉を大きく見せたりするメイキャップをして舞台に登場することがありました。
2015-03-05 21:03:03@hbnk はあ、それが白人が否定的に黒人を真似る意味で黒塗りした事実を打ち消しますか?そういうこともあったというだけの話でしょう。
2015-03-05 21:14:20@ecdecdecd もちろん打ち消しようがありません。ちなみに白人というより多いのはユダヤ人ですね。そういうこともあった、ことをどう考えるのか、ということです。
2015-03-05 21:30:15@hbnk こんにちは。先生の議論を追えていませんが、アステアの有頂天時代の様に黒く塗って演じたそれが侮辱的に映るかそうでないかに尽きると思います。シャネルズは昔アメリカ公演を行いドゥーワップとして認められています。放送されるそれが侮辱なのかどうか見てからでよいと思います。
2015-03-06 00:54:32@ecdecdecd 個々のパフォーマーの心中まではわかりません。しかし金主が黒人である黒人ミンストレルグループの黒塗りは少なくとも黒人金主の意向だったかと。だからといって黒人差別がなかった、ということでは全くないですが。差別の逆境でも、差別の視線をものともしない力はあったと。
2015-03-05 22:02:08