コメント

  • shiba710
    コメント追加しました。
  • vashurad
    「寛容」は明治になって翻訳された言葉で、「受け入れる」と言う意味合いより、「耐える」、「我慢する」という意味合いが強いそうです。つまり、相手を無条件に受け入れるというより、やみをえず認めるという行為です。(Wiki参照)(続く)
  • vashurad
    続き)そうだとすると、耐えること、我慢することが許容量を超えたのかと言えば、そうとも思えない。一定以上の階級の人間以外は、現代よりずっと虐げられてきた歴史があるからだ。(続く)
  • testa_kitchen
    「寛容」と「お前が『そう』思うんなら『そう』なんだろう、『お前の中では』な」ってのとはスタンスとしてどう違うん?
  • vashurad
    過去の歴史では、虐げられた結果、飢餓、貧困、信仰等を我慢する必要があった。現在の先進国ではそれらは著しく減少したが、その反面様々な社会問題が発生し、新たに我慢することが多様化した。(続く)
  • Penangal
    寛容さが失われている?なるほど、お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中ではな。・・・と、寛容に受け入れる。
  • ululun
    寛容さの欠如を言う人というのは「寛容さが欠如している」事を受け止める事は出来るのや否や。 寛容さの欠如を言う人や寛容さを他者に求める人が必ずしも他者に対して寛容ではないというのは良くある光景だよね。 大切なのは自分が寛容かどうかであって社会や他人が寛容かなんてどうでも良いじゃん、寛容ならさ。
  • K3flick
    寛容さがあった時代っていつの事だろう。 寛容だったのではなく知るべきことを知らなかっただけじゃないの?
  • TakahashiMasaki
    はてbコメですでに書かれてるけど,戦時中とかのほうがずっと不寛容だったと思う
  • baoh
    寛容さがないから閉塞感が生まれたというより、不寛容に対する対話の放棄から、閉塞感が生まれたのではないか。渋谷西武のサブカル展もヴィレヴァン問題もつけられた不寛容なクレームに対して対話を放棄し、見識を喪失させている。
  • gorton
    本当に寛容さが失われたんだろうか?単に高齢化で社会全体が柔軟さがを失い保守的になってるんじゃなかろうか。つまり頭の固いオッサン化。日本の平均年齢44.6歳。エジプト24歳。なんつってみたりして
  • vashurad
    その結果、我慢の許容量というより範囲が拡大してしまい、しかもそれらの社会問題を解決する単純な方法が見つからない為、文化/思想/性等の違いに対する我慢を無意識に放棄する(寛容さを失う)ことで、負担を減らそうとしているのかもしれない。(了)
  • Assume_CS
    寛容さと「厳密さとでも呼ぶべき概念」は当然違うものなんですが、寛容≒厳密でないことのように誤解してる方が、まとめ上にはちらほらと。 / 厳密さは社会の高度化に応じて*必須*なことだったり。
  • nyaa
    寛容が失われたのではなく、図々しい行動がまかり通っているのではないか。しかし、それを放っておけないから規制が作られる。だが、その規制がしっかりしていないため、本来配慮して行っていた人たちが苦しみ、元から配慮もなく図々しい人たちは規制を無視する。そういうことが増えてきている。
  • wwitz
    寛容さはある。寛容が実行されている状態が可視化しにくいだけ。寛容な人は書きこまないことで寛容を実行する。もっと寛容なひとはここを見ることもない。参加しない=存在しないネットではこれが分かりにくい。
  • JGaxy
    「昔の方が寛容だった分野」と「今の方が寛容な分野」の両方があるね。高齢独身者や子なし既婚女性に対する風当たりは、昔に比べると確実に弱くなっている。むかし刑事裁判に発展した『チャタレー夫人の恋人』『悪徳の栄え』も今では完訳版で普通に公刊されているから、文学の性表現に関しても昔の方が不寛容だったと言える。
  • nyaa
    そうやって理不尽なことが多くなるため、人は批判的になったり、厳しくなるのではないだろうか。また、それとは別に、活動が褒められる機会が少ないこともある。かえって、活動のミスを批判、吊るし上げる機会は多い。日本には、サービスに対してチップを払うなどという風習もない。代わりに、かつての村社会の「批判主体」の風習が行われているようにも思う。
  • nyaa
    寛容のひとつである、「スルー」というのが不可視である、という意見に同感。擁護しようとすれば、偽善呼ばわりされるのが面倒くさい。
  • 4bu8r
    コメント見てなるほど、と思う。日本人は批判~が悪いが大好き。そう思わない、寛容な人はネットに書かない。結果、ネット上では批判や文句で埋め尽くされる。それを見てる人は余裕ないなぁ、寛容さがないなぁと思う。
  • shiba710
    コメント追加しました。ここのコメント欄にも「なるほど」と思わされる意見が多くあるのですが、ここのコメント欄での発言は上のまとめに加えないほうがわかりやすいのでしょうか。
  • akof
    やりたいことをやっって、失敗して実を結ばなくて、そこで死んだら、「後から人生を振り返ったときに清々しい気持ち」なんて機会は絶対無いのだけれど、考察上きっとカウントされてないよね。
  • akof
    「他人の失敗を許容する(フォローする)」、「他人に自分の思想・行動原理を押し付けることをしない」、「自分と異なる思想・行動原理の人々とも共存できる社会環境を作る」といった様々異なる次元の「寛容」をゴチャマゼに、それぞれ勝手に論じようとしても、互いに共感されるような話が出て来る可能性は少なかろう。
  • kuribom
    知った上でどこをスルーして咀嚼するべきかってのをまだ理解出来てないのが日本人、ってことですかいな。「種なしスイカじゃないと食べられません!」みたいな。種アリも美味しいのに、スイカバーとか。@
  • _maceu_
    ここまでの話だけではちょっと情報不足感があったり。「寛容さが失われている」と感じている方はどの辺から感じたのか是非知りたいと思った。「失われた」からには恐らく「昔だったら~だったけど今なら~だ」というような比較ができると思うのだけど、自分の中ではそれがすぐに思い浮かばなかった。
  • _maceu_
    続き1)ここで寛容さが存在したという時代というのは具体的にいつの事を指してるのか。それによっては自分は年齢的(現在28歳)にそもそも多く経験していない可能性も無きにしも非ずで、すぐに想像できないのは我ながら納得がいく話になる。
  • _maceu_
    続き2)分からないだらけで想像の範囲だけど、感情(モラル)として寛容になれないモノと、ルール(法律など)として寛容になれないいモノとはあると思う。後者であれば特に時代に合わせて変化して然りだろうから、また違う視点が必要な気するし、単純に「失われた」とするのは違和感がでてくる。やっぱり具体的に何の話なのかというのはできればい知りたい。
  • gc_cic
    これ(http://togetter.com/li/97643)にあるような、「弱肉強食化」の風潮とつながるのかな?
  • ko_zan
    俺は、よくそういう「不寛容」な奴に対してよく突っかかるんだけど、ああいう人たちの方が実質的に「声がでかい」上に「非常に強く主張する」ので、空気が作られてしまう印象があるね。ネットの登場により、単純にそういう声が増幅されやすい状況になってしまったところはあると思う。しかも、大半の人間が主体性がなく流されて物を言うような奴ばかりだから、先に空気を作られちゃうと、どんなにオカシイことでも普通にまかり通ってたりするよね。非常にリテラシーが低いから簡単に一つの主張に動員しやすい。
  • nyakosama8
    上の方でも触れられてるけど、昔の寛容さは個人の抑圧のもとに支えられてた側面もあると思う。みんなが封建的なルールで少しずつ我慢しながら生きるからこそ生まれる連帯感、あるいはもっとダークに誰かを虐げることで生まれる村八分的な連帯感。 今はそういうルールがなくなったことで共同体的な観念は弱まり、個人は解放されると同時に、孤独になった。共同体には期待できない、個人の力で幸せになんなきゃいけない。生まれも性別も年齢も関係無い。みんな競争相手。そんな状況だと余裕が無くなるのはしょうがないかな、と。もちろん経済的要因も
  • ko_zan
    その上、異質なものを嫌ったり、出る杭は打つ文化があい重なりあい、更に、恐ろしいことに「不快感」とか「ネガティブな感情」ってのは、簡単に共感しやすいものだったりするし、挙句の果てには、それに「有名」とか「フォロワーが多い」みたいなブランドがくっつくと、馬鹿みたいにみんなその動員に乗っちゃうんだよね。大抵の事は低きに流れるもんだから、もう誰も止めようがないんだよ。
  • nyakosama8
    あ、別に拘束と結束の強い共同体としんどいけど個人の自由な時代でどっちが悪いとかいう話ではないです。念のため。 ただ個人の時代といっても人は完全に連帯することを辞めることはないでしょうし、より競争が厳しくなればまた新しい共同体ができるのかもしれん。それがどういうものかはわからないけど
  • ko_zan
    規制がバンバン入って来てるのは、そういう背景から、その状況を怖がってる人たちが必死になってやってるんじゃないかなと思ってる。最近は、過渡期には仕方がないことなんだろうなと割り切るようにしてるけど、やっぱり人って学ばないよなぁといつも思ってるよ。上の方にも、「図々しい奴が増えた」なんてアホなこと言ってるやつもいるし。結局、自分だけ違うって思ってる。みんな「不寛容」の空気に飲まれてるんだよ。おおらかになれよ、すこしは。戦時中みたいだぞ。
  • nyakosama8
    それと情報が増え、かつ多様になりすぎて、近くの他人を理解しにくくなった⇒関わろうとしなくなったって側面はあるかもしんない。みんなが同じヒーローやアイドルに夢中になるって傾向が少ないからね。いやグローバル化で都会と田舎の情報格差は減ったし、その意味ではむしろ連帯の形が変わったってことなんだろうけど、都会の子たちが日頃付き合う同級生の間、田舎の子たちの間での連帯できる要素は減ったはず
  • ko_zan
    「~でなくてはならない」とか「~は許せない」とか、そういうのって全部趣向だったり感情論だったりするわけでしょ?「アンチ」的な奴らが自分の溜飲を下げる為だけに、ネット上でなにをしてるかって話よね。社会的に子供じみた奴がネットの中で、めちゃくちゃに理論武装してどういうことをしてる?リアルと地続きなネットが展開されてる海外では、なかなかあり得ない話だよな。逃げ場はあるに越したことはないが、逃げ場ではみんなに優しくしろよと言いたいね。きっと、何言ってるかさっぱりなんだろうけどさ。
  • nyakosama8
    それは連帯のあり方が変わったということで、たとえば同じ趣味の都会の子と田舎の子が仲良くするってことは可能。ただ「同じ趣味」ってことで始めた関係だと他の要素にも踏み込む付き合いってのが少なくなる。学校の同級生だと「共通の趣味」以外のところでも付き合わざるを得ない側面が増えて、しんどい反面、異質なものへの寛容も醸成されやすいのかなーって思う。んで最近はそもそもそういう地域共同体レベルでの連帯が難しくなっとる、と
  • jumperque
    単純に、近年情報を発信する母体が増えて"当たる"確率が増えた、というのもあるかと思います。100人の5%は5人ですが、60億人の5%は3億人にもなりますし。目に入る回数は必然的に増加するかと。
  • YakTuuD
    寛容さが失われる前ってどんな空気だったんだよ 昔のが今よりも遥かに不寛容なイメージあるよ
  • noribe999
    相撲問題でも感じましたが、伝統興行なのに、近代西洋的スポーツのルールで感覚で白黒など不可能。良くも悪くも曖昧さが日本的情緒であり、成熟した大人はいちいち言わずもがなな事象には反応しなかったものです。総コドモ化してるんでしょうかね。
  • y_h_i
    僕は脳の機能と社会環境の変化が気になっている。脳は取った行動を補強する特徴がある。覚えるべき事柄は思い出す度に記憶が定着されるのと同じ様に、怒ってばかりいると怒るのが得意な脳が出来上がる。社会のモラルが低下すると、怒る機会が増える。2chで人を煽っている人を見ると腹立たしくなる。怒る人が増えると怒る人が更に増える。僕たちは怒りと恐れを感染し合っているような気がする。
  • wagu108
    寛容さが失われている・・・時間・空間が均質になっている気がする。遠くも近くもいろいろなものが大変よく見える。情報が速い。時と場合を選べば許されていた表現や行為が、そのせいで許されなくなっている気がしないでもない。
  • RubberneckChild
    不寛容と言うよりは、今の日本は赤の他人に対して過度に厳しい社会が(マスコミや教育によって)形成されていて、ネット上では特にそれが先鋭化されている、そんな印象。まあよく分からないが、自分への戒めにしておくことにしよう。そうしよう。
  • densisijo
    ここ10年ばかりで規制されたリスト(法制化された規制対象)とか誰か作ってくれないもんだろうか?覚えている限りで、酒、煙草、ネット上の薬物、ネット上の発言、ロリ、エロ、グロ、車、バイク、マンナンライフ、牡蠣ナイフ、相撲←new 規制の実効性と規制する範囲が釣り合ってない
  • densisijo
    後は著作権関連もか?こっちは元々かなりグロテスクな法体系だけど
  • pe_island
    昔は皆が助け合わなければ生きていけない時代だったが、今は周りと交流を断っても生活出来る。生きていく上で周囲に合わせず孤立しても問題なくなったので、寛容さが必要なくなったのではないかなぁ…。
  • pe_island
    寛容性が無くなる事を肯定する訳じゃないけどね。
  • nim95
    うやむやになっていたことが表に出やすくなっている、という感じかなぁ。
  • hide_ey
    「昔に比べて最近のいじめはひどい」という意見に対する伊集院光の言葉を思い出す。「昔のほうがよかったなんて事を軽々しく言うのは自分が若いころに運よくいじめと無関係に生きてこられた奴だけだ」かなりうろおぼえ
  • amay077
    Twitter って寛大ですよね?こんな駄文ばっかなのにみんな怒らないんですからw
  • mk_pkun
    寛容さがなくなったというより、察しと思いやりがなくなったような気がするけど...
  • takashimayoshio
    「最近~になってきてる」の類はどうも胡散臭く感じて仕方がない。 ホントに昔はそれほど寛容的だったのかねえ。 「昔はよかった」って言いたいだけじゃないのかと。
  • ma_china
    昔も今も日本社会に寛容なんかなかったぞと逝ってみる_
  • gelehrte
    昔と、寛容な人も不寛容な人も数自体は変わらないと思うんだけど、ネットやらTVやらのせいで、失敗(もしくはやり過ぎ)したとたん、不寛容な人が集まってきて袋だたきにするからそう感じるだけでは。
  • ko_zan
    「不寛容になって来てる」って評してる人に対して、明らかに不快管を示してる奴って、ちょっと怪しいっていうか、散々な事を自覚的にネット上でやってそうだよねwwwレッテル張りですけどねwちょっと思ったのは、元々不寛容だったのが、ネットによって表層化しただけってのもなんとなく解る気がして来た。そもそも流されるし、そもそも愚かだったってことよねwそして、今も愚かであるとw
  • butaham
    歴史的に寛容な時代/地域は経済的に豊かな地域だよ。
  • huideyeren
    それでも私は寛容な社会を求めるだろう。たとえガス室送りにされてもね。
  • heboya
    「不寛容なっているよう“感じられる”」一つは、上でもコメントされているけど、ネットツールなどの発達で、「ソレまで酒場の愚痴程度だった不寛容」が、「ネットなどを通じて大きい声をバラマキ始めた」のもあるだろね。つまり、「不寛容であることが目に見えて顕在化した」
  • lkj777
    「最近」という言葉はあまりよくない。不寛容はなぜおきるのか、定義が曖昧だと議論も曖昧。ゼロトレランスをなんにでも強制するし、それを正当化されすぎてる。つまりコスト意識がないくせに無限大のコストをかける。だから閉塞感を感じる。
  • sf324929
    単なる「昔は良かった」論。冷戦時代は特に右に対して政治的不寛容な時代が続いていたし、占領期、戦時中の不寛容はいわずもがな。過去を美化して今を嘆いているだけにしかみえません。
  • Z_Puck
    見知らぬ他人に寛容になれる人間ってそうはいないよね。その上でニュースとか事件についてコメント書いたりするから少し語気が強くなっちゃう。他の類似コメントを見たりしてどんどん負の方向に論調が偏りいつの間にかとんでもないこ言ってるって感じがするね。まぁ自分の経験でもある
  • hoge_systemz
    そりゃあ、相手によるだろうよ。寛容に構えてるとケツの毛まで毟り取るような浅ましい輩が増えたのは間違いない。
  • satox
    昔は良かった。ホント昔は良かったな~
  • A_rasen
    社会学者の宮台真司さんは寛容さが失われた原因についてラジオの中で以下のように述べてます。日本人には元々"他人の目"が無い場所では寛容な振る舞いができない人が多かった。それが97〜98年以降の共同体の空洞化によって"他人の目"が無くなり、自分以外の他人が"風景"にしか見えなくなった。だから日本人は寛容な振る舞いが出来なくなった。http://podcast.tbsradio.jp/dc/files/miyadai20101119.mp3
  • _Vorador_
    個人主義的社会になった結果寛容さを含めた相手の「優しさ」みたいなものにつけこむ人が増えてきたので、「寛容さ」を捨てざるを得ないのではないでしょうか 他人の子供が危険なことをしていても見ないふりをするほうが自分の身を守れる世の中ですので……
  • attosyuuta
    単純に潤ってないからだろうな。不景気の影響。金が潤沢に回ってればこの程度気にもしないって。貧乏人が増えたからだろうなぁ。生活が楽なら全く気にならないはずだもん。
  • recklesstalking
    興味深いです。その上で個人の意見を述べると、寛容不寛容にはそれほど大きな変化があるとは感じていません。あくまで個人的な感覚ですが。どちらかと言えばコミュニケーションのあり方(初手)がまず否定から入るようなことが増えているのではないか思います。精神については他人が言っても変わらないので、マナーをそれとなく意識すると良いのでは
  • calapi2yau
    今まで、見えにくかったものが見えやすくなったのかな~とは思います。そしたら、快不快の一致しない相手とも出会う可能性は以前(寛容だったと感じられたとき)よりも増える。
  • bonnie_yt
    なんというか最近の日本の空気として「得しないのはいい、損してもまあいい、でも「自分だけ」損するのは絶対に嫌だ」という余裕の無さを感じる。
  • KxNxT
    実名だって言ってたのにねえ
  • ko_zan
    誰も強制なんかしてないのになぁ。まあ、確実に言えるのは、我慢しなくていいところで我慢し、我慢すべきところで我慢できない人は増えたんじゃないかな?自由を享受出来る国にはあるまじき、価値観を持ってる方が非常に多く、そういう人たちと関わることがなかったはずなのに、自由であるが故に関わることになってしまった不幸かもしれないね。多分、こういうのを無秩序な状態というんだと思うよ。そういう意味じゃ、過渡期的に規制が入るのは止むを得ないかもね。誰も、優しさになんか漬け込んでないよ。愚かさに漬け込んでるんだよ。良く言いすぎ
  • AES_OP
    不寛容なやつらは昔から不寛容だったろ。虐げられてる人はいつだって虐げられていただろ。 それまで物事を知らなかった人間が、化けの皮がはがれた現実の、問題の多さにびっくりして過剰反応になっているだけだ。届かない声は届くようになったし、それでもまだ届かない声もあるけど、届かなかったという事実も届くようになったんだよ。めんどくさい時代にはなったよね。
  • ma_china
    インターネッツは新しい公共であり、新しく我慢すべき場所である_
  • CrushNote
    寛容さかー・・なるほどね。 余裕がない人が多いのかな。 とりあえず、そんなにお金を稼がなくてもなんとか生きられる社会であってほしい。
  • tomasonn
    不寛容の蔓延は日本だけの問題ではない。不寛容先進国のアメリカでは議員の銃撃事件も起きているし、スイスの違法移民追放法(自国語以外話せない2世も含む)、オランダの反イスラム暴動など世界中に蔓延している。
  • norinorisan42
    日本で、に限定するなら従来のムラ社会では責任の所在を曖昧にすることで円滑に社会を運営してきた仕組みがそれなりに上手くいっていたなか、社会が大きくなるにつれ責任の明確化を求めるように変更していく中、責任を負うべき対象は直接見えず、大きな社会的存在に見える為大衆は完璧を求めてしまうこと、しかし彼らも人間で誤りを犯すということが見えなくなっていることが大衆の個人に対する追及の厳しさ、つまり寛容さのなさにつながっているのかなという印象は受けます
  • norinorisan42
    責任の対象がどの程度の責任を負うべきか、あるいは負うことができるのかの見極めをする力が社会として十分に涵養されていないという可能性はあるのかなと思います。ではどうすればそのような力を涵養できるのか、というのはノーアイデアですが。民度というか社会を構成する人間の理性とかそういったものを全体的に挙げていくという話なのかな?全員お大尽な余裕を持ってよきかなよきかなで済ませる社会にするよりはすっきりしてるんじゃないかと。元の内容から限定的な部分へのコメかつ単なる感想ですが
  • tochigami
    日本には慈悲の心を基にした「人情」という寛容システムがあったはずなのでそれを復活させるべき
  • ko_zan
    なんか、ここまで読んでて思ったのは、結局「他者への想像力問題」なんだろうなぁってことだなぁ。近しい人物なら許せるけど、遠い人物だと許せない的な話とこの「不寛容問題」は、同じことなんだろうなぁ。近しい人間なら、相手のこともわかるから人情が働くけど、どこの馬の骨だかわからんような奴には、冷たい態度をとるのは昔からで、今なんか、思いっきり匿名主義で人から「どこの馬の骨だか分からん奴」扱いをされたいとしてる人が多いからこそ、いくらでも冷徹になれるってわけなんだろうなぁ。それは、絆コストを支払うより楽だと考えられて
  • ko_zan
    結局、誰かがコメントで言ってた「共同体の崩壊」からの次の秩序がない状態で、みんながみんな何処と共闘し絆コストを支払うべきなのか分からないでいるって話なんだろうなぁ。ディスコミュニケーションな価値観が横行する中で、こういうのを育むのは、きっと10年や20年以上先の話なのかもしれないな。
  • tolucky774
    昔が寛容だったというのはただのノスタルジーだと思います。もっとガチガチで苦しかった部分も多いし、今以上に異端が異端視されてたんですが。「昔の方がいい世の中だった。犯罪も少なかったし」というのと同様で客観性もなにもない。どうでもいいことで大騒ぎになることが増えたと感じるのはリテラシーがない人が多いのと、ログが残るからです。ネットがなかった時代ならローカルで済んだ話題が全国区になってしまうことをもっと教育しなければいけないのでは
  • hatakesan
    一般的に母集団が大きくなると、実際は良くなってるのに体感として悪化していると誤認してしまう傾向があるように思う。身近での犯罪が増えていないのに、全体の治安が悪化していると感じるように。
  • hatakesan
    ついでに、も一つ。問題があることは報告され取り上げられるが、問題がないことは取り上げられる事はない。つまり、メディアのログは「問題がある」ことで埋め尽くされてしまう。ネットも新聞、TVも。
  • ntTtsk
    なんだか他者に自己を投影することに対して、 自覚的でない人が増えたような気がする。
  • nicochonbo
    これは典型的な俗流日本論ですね。まさにクダラヌ・ザレゴト。
  • Glass_saga
    「最近の若者は」とか「近年凶悪犯罪が急増している」とかのシリーズものですね。
  • nuryouguda
    僕は全人類がどうでもいい。逆に寛容だ。必殺のタイミング以外では静かに暮らしたい。だから、道で困ってる人を助けるし、人の悪口を言わず、目立たぬようにしている
  • itinoe
    ネットでの寛容というと「まぁV○idの人だから」という例しか思い出せない
  • Akimbo
    「他人に不寛容な人」に寛容になれない人たちの、トートロジーみたいなおしゃべり。「他者に対して寛容でない人間は容赦しないぜ!」みたいな。
  • hayamayuu
    主な論点は二つ。1つは、「寛容さ」の定義の問題。もう一つは、最近の閉塞感に満ちているという社会の状況は「寛容さ」が失われた事に原因があるのか。前者については、よくも悪くもスルーできる力だろうと思う。ただスルーは無関心なことを表すとされているから難しい。後者については、要素の一つではあるだろうが、主原因ではないのでは。
  • mowmo
    単純に社会全体に余裕がないからじゃないですか。 豊かであれば、おせっかいな人以外は自分と直接関係ないものに対してそもそも関心すら持たないよ。
  • sou_78
    なくなった寛容さは必要なくなったからなくなったのかなぁ。
  • b_s_v
    自己責任論とか厳罰化、最近だと書籍に関する規制とかの社会と個人の関係性の話だと解釈すると寛容性は無くなってきているようにも思う でも社会の多様化は進んでいくのだろうし、あるべき姿ではないよなあ
  • shimesuhen
    寛容さは確かに失われてきていると思う。その理由は価値観の画一化の進行。正解とされる価値観で画一化されすぎているから。寛容さが増している部分もあるのもこれで説明できる。同性愛や不倫に対し寛容になったのもそれを認めるのが正解とする価値観で画一化されたから
  • shimesuhen
    価値観の画一化の進行は情報伝達スピードの向上と学校での正解の詰め込み教育によるものだろう。で、価値観の画一化されすぎた状態で育った人間は他人が自分と違う価値観を持つことを理解できなくなる。故に自分と異なる価値観への攻撃性が高くなるわけ
  • shimesuhen
    それを防ぐには価値観の多様性を認めることの重要さを教える教育が必要なのだが、今の詰め込み教育と反するものになってしまう。結局学校教育そのものを正解を教えるものから物の考え方を身につけさせる方向に変えないと無理だろう
  • shiba710
    その後の反響もまとめました。 http://togetter.com/li/101036
  • France_syoin
    言葉遊びだわなwそんなことより羊羹食おうぜ!
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