「道徳」は評価できるか?

3月2日放送分のNEWS23における、道徳教育についての特集や、それに対する反応を中心にまとめ、理論的に考察してみました。道徳教育に関する議論を、感情論で済ませる訳にはいきません。長くなりますが、最後までお付き合いください。
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服部さん @hattorisarn

NEWS23 メルちゃん虐待 なんか、中途半端な内容だな もっと詳しくやれよ 岸井、 メルちゃん、かわいそうだと思わないの? #news23 pic.twitter.com/pgqqmmCpcq

2015-03-02 23:43:24
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1= (ジン):中だるみ気味 @DTdanshaku_19zo

動物虐待をした挙句動画で晒す人々にこそ、道徳教育って必要ですよね。 #news23

2015-03-02 23:44:39

「道徳の評価が子どもたちの可能性を潰す」なんて言っていた人も・・・

六甲のたけさん @fm802rokkou

道徳の評価とか、10%の子供を救うとは、なんでしょう?議論するあなたは、何が基準で、言葉を発するのでしょうか?子供たちの可能性を潰しているのでは、ないでしょか?#NEWS23

2015-03-02 23:26:50
六甲のたけさん @fm802rokkou

動物への虐待は、人間のエゴとストレス解消しかない。心の狭い人間だ!#NEWS23

2015-03-02 23:41:52

良いんです。動物虐待は許されることじゃない。怒るのも仕方ないですよ。むしろ当然の「道徳」感情です。

問題は、もしある人の行為を「許せない」と判断した場合、その時点で私たちは、その人の行為道徳の善悪を「評価」してしまっているよ、ということなんです。

「道徳は授業で教えて成績を付けるものではなくて、日常生活の中で育まれる。」とある人のつぶやきにもあったようですが、もし道徳を評価できない、道徳に成績がつけられないのだと本気で考えているのなら、何を以て道徳感情が育っているなんて言えるのでしょうか?断言する必要は無いなんて反論されるかもしれませんが、生徒Aが成長するとともに、日常生活の中で自然と道徳感情が育まれる保障なんてありません。ろくでもない大人に囲まれた日常生活の中で不道徳なまま成長する生徒Aがいたって何らおかしくないのです。その時、基準はどうあれ私たちは、確かに生徒Aが「不道徳な人間である」と評価する「目」を持っているのです。

道徳の授業―その多様なデザイン―

そもそも、一概に道徳の授業というのは、道徳の教科書があって、「心のノート」があって、読み物授業をする・・・というようなパターンしかない、なんてことはありません。各学校で様々な授業実践が行われ、道徳の授業も同様に多様な授業形態が生み出されています。

NEWS23で放送された、武蔵村山市立第八小学校での授業実践は、モラルジレンマ授業という、道徳教育の一類型です。ほんのわずかな時間に映った、白板に書かれた「モラルジレンマ」という用語、これが今回のテーマを考える肝になります。子どもたちの中に眠る道徳的価値を、授業の中でどう引き出していくか。「子どもが主役」の道徳の授業が、学校や教育界で模索されています。

モラルジレンマ授業

この授業の元となっている理論は、アメリカの心理学者、ローレンス=コールバーグを中心とした、「道徳性の発達理論」です。特にコールバーグは、相対する価値観のぶつかり合いを惹起させる事例として「ハインツのジレンマ」を取り上げ、この事例を使って子どもたちに授業をしたことで、道徳性の発達を考えた、代表的な学者です。(ハインツのジレンマについては、http://www.edutech.tohoku-gakuin.ac.jp/ujiie/douotku11.htm を参照)

彼によれば、道徳性には前慣習的水準、慣習的水準、後慣習的水準の3段階があり、さらにそうした段階をそれぞれ2つに分けることで、6段階の発達段階が考えられるとしています。

第1段階:罰と服従の志向の段階。この段階では、罰が与えられるから悪いことだとか、お父さんが言ったからやってはいけないというような判断をする。

第2段階:道具主義的相対主義志向の段階。この段階では、何かの役に立てばそれは正しいことだという判断をする。したがって、同じことがらが、ある場合には正しくて、別な場合には正しくないというような、相対主義的な判断を下すことになる。

第3段階:よい子志向の段階。この段階では、周囲からよい子だと思われるような判断をする。

第4段階:法と秩序志向の段階。この段階では、法律を守ることや社会秩序を維持することは、絶対に正しいことだというような判断をする。

第5段階:社会契約的法律志向の段階。この段階では、法もまた人間のためにあるのであって、法が不都合な場合には、合議を経て修正できると考えるようになる。(道徳的判断におけるディスカッションの必要性)。

第6段階:普遍的倫理的原理志向の段階。この段階では、法で定められているかどうかは問題ではない。より普遍的な道徳原理が内面に打ち立てられていて、その原理に従って判断する。※

※林泰成『道徳教育論』,放送大学教育振興会,2009年,59p-60pより引用

勿論、一概にコールバーグの考えるような道徳性の発達が正しいとは限りません。例えば、心理学者で第2波フェミニズムの中心的人物であったキャロル・ギリガンは、コールバーグの道徳性の発達段階は理性を偏重し「男性的」であるとし、「責任とケアの倫理」に基づいた女性的な道徳性の発達段階を編み出しました。つまり、具体的な他者に対し責任を持ち、思いやるという応答的な行動原理の道徳性に階層を設けたのです(彼女の道徳性の発達段階の最高位は、コールバーグの基準では第3段階に当たる)。
また、イギリスの宗教学者ノーマン=ブルは、道徳性が極めて高度に発達したとしても、「止まれ」の標識を見て止まるというような他律的な道徳判断を人々がやめることはない、と指摘しました。このように、道徳性の発達にも多様な形があり、またいかなる人間がより道徳的であるかという評価もまた多様であるのです。

コールバーグが編み出した「ハインツのジレンマ」を応用して、いずれか一方を選択するのに迷うような事例や資料を取り上げて、葛藤や議論を通して道徳的判断を導き出す形式の授業が、モラルジレンマ授業です(代表的な実践者としては、荒木紀幸氏がいる)。社会科でいうところの「課題解決型授業」にテイストが似ていますね。先に挙げた武蔵村山市立第八小学校の授業は、まさにモラルジレンマ授業の雛形です。

通常この手の授業はオープンエンド形式で行われ、本音と建前を使い分けることなく議論が白熱することが是とされていますが、生みの親であるコールバーグが道徳性の発達に段階を設けていることを踏まえると、子どもたちの判断に評価を付けることは必ずしも誤ってはいません。ただし、基礎的なルールを教えていく上では不向きであり、また場合によっては議論が紛糾し、整理がつかないようなこともあり得ます。中高生向きの授業形式だと、個人的には思います。

価値明確化の授業

価値明確化とは、アメリカではラス、ハーミン、サイモンらによって唱えられた価値教育の方法です。大雑把に言いますと、個人が持っている価値観や、個人がいずれの価値観をより優先するかを、自身で気付かせる手法を取る授業なのです。
個々人がそれぞれ持っている価値観を表明するだけでは相対主義に陥るだけであるということから、授業内で共有すべき一定の価値基準は定められています。例えばラスは、

1.(選択を)尊重し大事にする
2.みんなの前で自分の考えを表現する
3.選択肢を考える
4.各々の選択肢の結果について考える
5.自由に選択する
6.(道徳的選択を)行う
7.(道徳的選択を)繰り返し一貫して行い続ける※

という7つの基準を示しています。

※林泰成『道徳教育論』,放送大学教育振興会,2009年,94pより引用

価値明確化の授業においても討論形式は望まれます。しかしどちらかと言えば、何らかの決着や合意にたどり着くような議論というより、自分が本当に大事にしている価値観に気付くために、また互いが互いに尊重している価値観に気付きあうためにそれぞれが見解を表現するという「共有(シェアリング)」に近いディスカッションの形式となります。「無人島に持っていくものは何か」という問いに対して最善策を打ち出すのがモラルジレンマ授業であるなら、価値明確化はそうした問いを解決する上での選択の独創性を尊重する授業であるといえます。

難点は、いずれの子どもたちがより優れた判断をするかを脇において、個性を尊重しているスタイルでありますから、授業評価になじまないということです。また、「何が正しく、何が誤りか」という判断に踏み込まないことから、問題解決力を育てにくいことも欠点であるように思われます。モラルジレンマ授業と同じく、基礎的なルールを身に付けるにはやはり不向きです。

厳密に言えば、価値明確化授業において子どもたちの道徳性を評価できないわけではありません。価値A・B・Cがあるとして、子ども1が「A>C>B」の優先順位で選択、子ども2が「B>A>C」の優先順位で選択を行った時、それぞれの選択の理由を問うて、先ほどの道徳性の発達段階の基準に照らし合わせてその理由の明確性・論理性などを評価する、という形を取ることは可能です。

モラルスキルトレーニング

「トレーニング」という言葉にもあるように、模擬的に道徳的な行為を取り入れる授業形式を指します。大まかな流れとしては以下の通りです。

1.まず、道徳資料を提示する

2.資料の登場人物になって、二人でインタビューをし合う。いわゆるアイスブレーキング。

3.ある場面を実際に演じてみる。この際、シナリオ通り演じるのでなく、状況設定だけして、後は本人の自由な役割の創造に任せる。(例えば、バスに乗っているとき、といったシチュエーションだけを設定し、後はアドリブに任せる)

4.実演後の感想などを言い合い、良い行動を強化し、悪い部分を修正する。

5.別な場面をイメージさせ、その場で自分ならどう行動するかを考えさせる。

6.イメージしたものを再度演じ、3・4で身に付けたスキルを一般化する。

7.実演後、感想などを共有し、身に付けたことを日常場面でできるように課題を出す。※

林泰成『道徳教育論』,放送大学教育振興会,2009年,99pより引用

道徳判断がその授業の限りで終わらずに、日常行動にもつながっていくことがモラルスキルトレーニングの強みです。基礎的なルールを身に付けるのにも最適な授業方法で、実演を振り返るディスカッションを設けることで道徳行為の強化や鋳直しを図ることもできます。

しかし、状況設定が特殊的になる、また子どもたちが状況設定そのものに納得しないといった事態が起こると、道徳的価値の一般化が不可能になる可能性もあります。また、1から7まで全てこなすのに時間が掛かるというのも難点です。

道徳教材について

今度は、道徳の授業において活用される教材についての議論に入りたいと思います。従来の道徳の教科書や「心のノート」を始め、道徳教育に望ましい教材とは何でしょうか?

『心のノート』とその問題―教科書的道徳

@8hope___

去年の担任が心の底から嫌いで嫌いで仕方がなくて、教科書整理をしているときに出てきた道徳のノートのページを破り捨ててる自分が今ここにいる。

2015-03-05 23:15:42
テカリ @chocolatepandaa

「心のノート」を改訂したものに「私たちの道徳」(中学校)というのがあって、先ほどパラパラと読んでいた。「好きな異性がいるのは自然なこと」というページに、好きな異性がいることは「それは自然な気持ち」で「大切にしなければならない気持ち」という記述を見た。これが道徳、学校とは。

2015-03-02 02:15:24
たきたろう @imataki7368

〈承前〉…空虚な決まり文句を繰り返すし『心のノート』にしろ『私たちの道徳』にしろ、行き着く処は結局過去および現状の国家の肯定に過ぎないが。近代国民国家の構成員か地球時代に生きる歴史の形成者(堀尾輝久)か。その際に我々のナショナル・アイデンティティなるものは如何ように変容するのか…

2015-03-02 21:22:35
コアラ大佐 @ssyo09

中学の道徳で配られた心のノートとやら、「それが出来たら苦労しねーよ」って言う綺麗事ばっかり書いてあって、なんか見てて気持ち悪かった。「こういうのはいいことで、こういう考え方をしましょう」って言うのばっかりで、んなことわかってるよ…っていう…

2015-03-02 23:31:43
アンミンマクラ@ネタFREAKS! @agnh3_2

@daradaraDUEL 共通認識に関しては「道徳教育」が問題なんだと思います。「心のノート」を知っていると思うのですが、「いい子ども」「いい大人」「老人がいたらこうする」などいろいろなことを刷り込まれているんです。その多くの場合が大人から見て「都合のいい子ども」なんですよね

2015-03-01 00:55:09

道徳の教科書や『心のノート』には、教育関係者などからも厳しい批判が寄せられています。例えば、精神科医である野田正彰氏は、『心のノート』の特色として、「道徳の心理主義化による自己の分割」や、「「自分さがし」から家族愛、郷土愛、そして愛国心へと誘導していく、戦前から染み込んだナショナリズムの思考パターン」などを挙げています。
一方で、『心のノート』の教材としての粗雑さを指摘する方もいます。三宅晶子氏は小学3・4年生版のノートに、〈どんなときでも やくそくやきまりを大切にする・・・これが人間の素晴らしさです〉と書かれていることに対し、実情に合わなくなったきまりや不当な規則があれば改正することも正しいことなのではないかと疑問を呈します。三宅氏はこの他にも、スポーツのルールと社会の規則を同列にする粗雑な比喩の記述がある、といったように、『心のノート』の内容批判を展開しています。

徳永正直「道徳教育の内容」,76p-92p,井ノ口淳三編『道徳教育』,2007年を参考に作成

教科書が無くてもやっていけるか?

あきじゃん @akijanjan

1年ほど前、道徳副読本の「雨のバス停留所で」という教材物語をWebで読んだ時、この手の読み物に挿絵は有害だと思った。百読は一見に如かず。どれだけ中立さに気遣って書かれた文章も、作画家の意図が映された挿絵によって、台無しになってしまう。 twilog.org/akijanjan/date…

2015-03-02 23:44:33
差異等たかひ子@ぴこ @Kagitukipiko

。。。。 魂のある仕事をする人はどんな職業でも感動を産むのだなぁと TV見て思うわけです。 取材を受けてる職人さんもだしその魂を伝えようとする番組作りの人の魂に純粋に感動した。 道徳ドキュメントという番組をみていました←

2015-02-27 10:06:04