「道徳」は評価できるか?

3月2日放送分のNEWS23における、道徳教育についての特集や、それに対する反応を中心にまとめ、理論的に考察してみました。道徳教育に関する議論を、感情論で済ませる訳にはいきません。長くなりますが、最後までお付き合いください。
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Yuki≒Geräusch🇵🇸 @Schmerztanz

NHK Eテレ1 2015年3月6日(金)9:50-10:05 道徳ドキュメント「男らしさ女らしさって何?」 20人に1人の割合という性的マイノリティーの人達。その多くは思春期の小学校高学年の頃から強く悩みを感じ始める。皆が自分らしく生きるにはどうすればよいだろう?

2015-02-27 21:58:43
シトラス @raidyya_865

今日の道徳ドキュメント etv あやちゃんの卒業式 途中からみたけど、いい話だった。みんなの優しさが溢れてる。世の中すてたもんじゃないって思える。

2015-03-03 01:44:22
テルル @terullium1

そう考えるとさ、何が自由で何が自由じゃないのかってさ、教えてくれないとわかんないよな。それを教えるのが戦前の道徳の授業だったのにさ。なんだよ読み物道徳って。戦後教育は自由の名の下に俺たちから自由を奪った。 自由と平等には教育という対価が必要。

2015-03-01 02:25:50
せっちー @Chipo0204

特別の教科道徳がいよいよ本格的に始動する。教科になるからには子どもたちに還る道徳授業をつくっていけるような環境整備が必須。NHKの「読み物道徳から考える道徳へ」というニュースタイトルは秀逸でしたな。今がチャンス。今までと同じでいいわけがない。

2015-03-01 23:19:01
マイメロ @maimerodisan

最近の小学生の道徳の教材見たら、小学生同士でメールのやりとりしたりネット使ったりの話があって、時代が変わってるの感じるな

2015-03-04 18:27:10
まぐわーと🧡💙 @mugwort_lotus

@kasiwatorahige 現行、18歳は成人と同じく無期懲役刑も科される年齢。成人なら普通の報道かも。何よりこんな目に遭うとは思わなかったではすまないこと。罪の大きさを周知させるための見せしめ感はあるけれど、それもある種の道徳教材。ちゃんと考えて話し合う内容だと思う。

2015-03-05 10:51:17
QJZの抜け殻 @qjz1975

@alliance_soo そうですね。『ドラえもん』は、幼少期の自分に人としてどうあるべきかを教えてくれました。道徳の時間も、子供たちが自分の身に置き換えて理解できる教材を使えばいいのにと思います。 あ、反応ありがとうございましたm(_ _)m

2015-03-05 23:28:36

道徳の読み物教材に対する、会津大学の太田光一氏の指摘

「道徳の時間用に読み物教材のもうひとつの特徴は、まずなんといっても1時間の枠内で読み終えることができる分量であるということだ。つまり簡素な読み物に限られているのである。(文部科学省の示す教材である)「リーさんのこと」を例に取ればリーさんがなぜ日本にやってきたのか・・・収入はどのくらいなのかという細かいことは省略されている。大筋だけを読んで、なぜリーさんが怒ったのか、主人公の母親が何を困っているのかを考えさせようとしても、考える材料がない。・・・要するに、考えるといっても子どもは推測するしかないのである。そして乏しい体験から意見を出し合った後、教師が結論を述べて終わりとなる。」

※太田光一「道徳教育の授業」,124p,井ノ口淳三編『道徳教育』,学文社,2007年より引用

授業がどのような形であれ、一つの教材だけで「道徳」の全てを語り尽くすことはできません。授業の充実を図るなら、少なくとも二つ以上判断材料となる教材は必要でしょう。そもそも、モラルジレンマにせよ、価値明確化にせよ、モラルスキルトレーニングにせよ、道徳課題や資料や教材の設定・選択に子どもたちから不満や疑問が投げかけられれば修正せざるを得ません。「道徳課題は登場人物の人格によって変わる」といったような難癖なんていくらでもつけることが可能なのです。

全知全能の神でもない限り、世の中全ての正しいことに対し分別があるような人間なんていないのです。道徳の授業を展開する教師が、道徳のイロハを知っている訳ではありません(もちろん、最低限倫理についての知識を知っておくべきだと私は思いますが)。正しさなんて微塵も語れないかもしれない若造教師でも道徳の授業を展開しなければならないのです。そこに道徳の授業の難しさがあります。

肝心なことは、「どのようなモラルを如何に教えるか」ではありません。「モラルに対しどのように関わり、正しいか間違っているかの判断を如何に為すべきか」を、子ども・教師・保護者・地域住民が一丸となって考えていくことです。あくまで道徳「教育」ですから、一から十までモラルを身に付けて聖人君子になろうという無茶は考えなくて良い訳です。完璧に正しさを語れないなら、正しく物事を見るフィルターの不足を補う形で、ギリシアのアテナイにおけるソクラテス宜しく、正しさについて様々な人々と議論し合えばいいのです。そうであるなら道徳教育の担い手は、必ずしも教師とは限りません。奉仕活動や部活動などの学外活動を通しての人格教育は特に、地域や家族の応援が重要となります。

「正しさ」を天秤に掛けるということ

道徳教育を考えるに当たって、様々な授業実践や、教材に対する批判を知ることになったわけですが、いずれも従来型の道徳教育の「正しさ」を疑問視しつつも、道徳教育をより良くするために創出されたといえるでしょう。道徳教育の本質は、今まで信じられてきた正しさを一度「天秤に掛け」、新たな価値と比較考量することにあります。そうやって道徳教育は日々変わってきましたし、語られる道徳もまた変わっていくでしょう。同時に、変わらずに伝えられる価値も、出来事によって揺らぎ、天秤に掛けられることで、洗練されていくのです。

道徳の教科化に対する考察

さて、今までかわしてきましたが、この問題と向き合う時がやってきました。現在教育界においては、道徳教育は特別に「教科化」する必要はないという意見が主流です。

「学校における道徳教育は、学校の教育活動全体を通して行うことが基本である。・・・
まず、道徳性は全人格的なものであり、人間の行為や生き方の原理としての道徳は全生活的である、ということが挙げられる。それゆえ、人格形成に関わる教育の様々な場面で道徳教育が為されなければならない。」※

小寺正一「道徳と教育」,小寺正一・藤永芳純編『道徳教育を学ぶ人のために』,世界思想社,2009年より引用

正直な話、いじめを防ぎたい、少年犯罪を撲滅したい、という目的で道徳の教科化を進めるくらいなら、その前に教員の数を増やしたり、スクールカウンセラーを充実させた方が良いと思うのです。
しかし昨今、宗教対立や心の病に関する問題が、子どもに限らず大人をも蝕んでる現状を考えると、「心の授業」みたいなものは何らか必要だとも感じます。心の病理や宗教観を考える上では、道徳教育の充実は真剣に考えるべきではありますし、「教科化して評価」と言わずとも、「治療して診断」みたいな、教科として特徴的な「道徳」の授業があってもいいのではないでしょうか?

改めて、「道徳」は評価可能か

道徳教育について様々な検討をしていきましたが、学校教育における「道徳」を評価することは確かに難しいです。しかし、数値的であってもなくても、子どもたちの道徳が育まれたかどうかを評価することは、不可能ではありません。ただし、道徳を育むというのであれば、授業や生徒指導などの教育行為の後も子どもたちがきちんと「道徳」的行為をしているかどうかも見守っていく必要があります。だとすれば、評価は1回きりのものではなく、長期的な視点も欠かせません。

道徳を評価することで、人格が歪められ、いじめが横行するという懸念を示してくださった方もいました。この懸念に応えるのだとすれば、そうした問題は「子どもたちや親御さんが、教師が示す道徳の判断基準に同意できるかどうか」に懸っているといえます。つまり、評価基準に一定の「透明性」を確保する必要があるのです。もちろん、同意にたどり着くまで議論を尽くす必要はあります。しかし、今まで見てきたどの授業の型にも、教師側ではないにせよ子どもたち同士で互いの(或いは自分の)行為を道徳的に評価し、振り返る場面がある以上、何らかの評価をすることを避けることはできませんし、評価に当事者として責任を持つ必要も生じるのです。

参考文献

小寺正一・藤永芳純編『道徳教育を学ぶ人のために』,世界思想社,2009年

井ノ口淳三編『道徳教育』,学文社,2007年

林泰成『道徳教育論』,放送大学教育振興会,2009年

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