「アーリア人」とは何だったのか?など、歴史を学ぶ姿勢について 【中国史】【遊牧民の歴史】【インダス文明】【印欧語族】【海の民】の用例から

遊牧民さんのお話から始まった、近代史の論争とか禁止用語に、振り回されて困っている古代史の話。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Historian_nomad @jiangjie2015 ヤバいのは「アーリア人」ですね。歴史用語のアーリア人とはドイツもゲルマンも関係なくて、「イラン・インド人」の自称集団名なのに、この言葉が否定されたために、逆にインドのナショナリズム(インド国内自立発展説)に利用されて…

2015-10-05 01:56:18
遊牧民@収監中 @Historian_nomad

@fushunia @jiangjie2015 あかんやつやないですか……おおもう……

2015-10-05 01:56:57

正確には、「アーリヤ人」ですが

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Historian_nomad @jiangjie2015 欧米の考古学でもインダス文明とその後のインド文明の連続性が強調され、人種的な根絶が確認されないことから「アーリア人の侵入は無かった」が定説になりつつあります。しかし、少数の青銅イラン人がインドに浸透したと言語学は見ます

2015-10-05 02:03:05
遊牧民@収監中 @Historian_nomad

@fushunia @jiangjie2015 中国史の混とんップリを見てたらさすがにその説はちょっと無茶……無茶じゃない?みたいな顔になるんですがインド史ではならないんですか……

2015-10-05 02:04:39

日本の歴史でも

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Historian_nomad @jiangjie2015 日本考古学でも、長崎県の「支石墓」(遼東半島由来の文化、縄文末~弥生早期)から縄文系の人骨が出ることから、内在的発展説を好みがちでして。少数の外来青銅人が多数の在来列島人に支持され「浸透」したのだと思うのですけど…

2015-10-05 02:17:32

中国史に至っては

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Historian_nomad @jiangjie2015 中国史もです。「征服王朝史観」が五胡~清が「固有の存在の漢族」を支配したと誤って定義したので、古代史が軽視されました。漢人は殷と周と狄の合体で、その青銅文化はカスピ海由来です。狄の歴史を改竄したのが孔子の歴史書『春秋』

2015-10-05 02:43:57
遊牧民@収監中 @Historian_nomad

@fushunia @jiangjie2015 (あれっ五代以降はともかく五胡~隋唐において北方民族の侵入によるそれ以前の中原人との混淆が進んだってのは中国でも言われてた記憶が 最後の一文は不勉強にして知りませんでしたがそういう説があるんですか(

2015-10-05 02:45:36

夏王朝、殷王朝、周王朝などは、西域からの「渡来人」の影響で生まれた?

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Historian_nomad @jiangjie2015 字数制限で入らなかったのですが、おっしゃるように五胡隋唐は「浸透」だと区別されていますね。青銅器は印欧語族(月氏の祖先)もしくはバスク人のような非印欧語白人?と推定の南シベリア新疆文化が長江文明崩壊直後に中国へ渡来です

2015-10-05 02:53:37

新疆ウイグル自治区では、4000年前の初期青銅器が出土しています

遊牧民@収監中 @Historian_nomad

@fushunia @jiangjie2015 あー華北文明の起源をパズィリクとかあの辺由来に求めるわけですねなるほど……(考古はさっぱり系屑

2015-10-05 02:54:32

中国古代史に出てくる「コーカソイド」(白人)の歴史が面白い

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Historian_nomad @jiangjie2015 アルタイのパズィリク古墳は周代で、4200年前とは時期が違いますがそのあたりです。日本語の「はちみつの蜜、獅子、剣(けん)、色のえんじ」は印欧語アールシ語(トカラ語)由来の中国語で、燕支(アールキ)=烏孫(アールソン)

2015-10-05 03:06:02

えんじ色は、西域の入り口の「燕支山」で採れたベニバナの赤い色でした。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Historian_nomad @jiangjie2015 驚くことに、ラテン語とケルト語に近縁の言語でした。つまり遠い青銅器時代にカスピ海からはるばる東西に移動したと見るしかなく、戦国時代までに河西回廊に定着しました。そうしたことから、烏孫はアールソンと読むと判明したものです

2015-10-05 03:47:49
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Historian_nomad @jiangjie2015 ややこしいですが、北朝唐代の焉耆、亀茲国は冒頓単于の時期に河西回廊にいた烏孫(月氏)の末裔を自称していて、自分の言語をアールシ語(トカラ語とも)と呼んでました(出土文献)。そしてこの言葉は印欧語の中でも西欧の語派でして

2015-10-05 03:35:11

つまり、始皇帝の兵馬俑とかに出てくる白人の兵士は、ラテン語とかケルト語によく似た言葉を話していても、不思議じゃなかったという

あの楼蘭も、もともとアールシ語(トカラ語)を話していた国でした。(中公新書『楼蘭王国』より)

次のまとめに続く(予定)