- megamarsun
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義理と任侠(にんきょう)に命をかけても、財産には命をかけるな……ああ、これは社長の受け売りですがね。このお屋敷のことは忘れて、はやく庶民の暮らしに慣れることですぜ」ヤクザ者はその風貌には似つかわしくない親切な言葉をかけると、奥の部屋へと宝物の物色をするために入っていった。
2015-12-16 00:11:51天宮翼は、宝箱を守ることができたものの、ヤクザ者にまで同情される自分の境遇に、レベルMAXまで上げたRPGのセーブデータが消失したときのような気持ちになった。「世界の終わりなんて、案外あっさりしてるものですね……」そのとき、少女のとなりに無造作に積まれた粗大ゴミが反応した。
2015-12-16 00:12:12〈ピポッ!料理ノ入力ヲ受ケ付ケマシタ。シャコ貝ノ、オ料理、アッサリメノ味付ケノレシピガ十件見ツカリマシタ〉天宮翼は過酷な状況に耐えるために冷静さをくずさず、凜(りん)とした表情をするように努めていたが、その表情はくずれ、思わず吹き出してしまった。そして、ふと思った。
2015-12-16 00:12:26自分と同じ親を持つ、この哀れな鉄の脳みそは知らないのだろうか、自分たちを生み出した親がもうこの世界に存在しないことを。唯一の肉親である総一郎が死んでから、既に一年が経過していた。
2015-12-16 00:12:38この一年というもの、天宮翼は決して涙を流さなかったが、そのとき初めて、ずっと抑えていた涙が、クスクスという小さな笑い声と一緒に、少女のほおを伝って、とめどなくあふれ出していた。あたりはすっかり黄昏(たそが)れどきを迎えていた。
2015-12-16 00:12:50時折差し込む放射状の光の束が、天宮翼のほおを伝う涙を御殿のどの宝物もかなわないほどに美しく輝かせていた。 pub.fundee.in/projects/view/… PDF、Kindleはこちらで公開中です!
2015-12-16 00:13:00空が、半透明のレイヤー画像で覆われたみたいに層を重ね、やがて夜の闇に変わっていくと、宝物を配送する業者は荷物を運び出し終わり、差し押さえを逃れた秘密の宝箱と粗大ゴミの山をのぞけば、広大な御殿はガランとして、すべての音が闇に吸い込まれていくようだった。
2015-12-16 15:22:18電気は止められていたが、辛うじて月明かりと契約の切れたスマホの光で周囲の状況は把握できる。季節は初夏だったので、自宅で凍死することがないのは不幸中の幸いであった。たったひとつ売れ残った御殿の資産、すなわち天宮翼は床に座り込んで途方に暮れていた。
2015-12-16 15:22:28身寄りのない天宮翼を引き取る施設や親戚の類は幾らでもあったのだが、天宮翼自身がそれをすべて断り、ここに残ることを選んだのだった。もちろんそれも、御殿そのものが差し押さえられるまでの短い時間だけで、その後の行き先はどこにもなかった。
2015-12-16 15:22:34友人の一人でもいれば、夕食に招待してもらって、この一年の不幸な身の上を語って同情を誘うこともできただろう。しかし天宮翼には友人と呼べる人間は一人もいなかった。
2015-12-16 15:22:43まわりの人間が立場をわきまえ、友人というようなつきあい方をしなかったというのも理由のひとつであったが、実際の所、天宮翼自身が友人を必要としていなかったことが最大の理由であった。
2015-12-16 15:22:52そんな天宮翼がゲームという閉じた世界に、普通ではないレベルでのめり込んでいったのは、必然だったのかもしれない。きっかけは世界的にも評価の高いスティールピニオンという作品だった。 pic.twitter.com/jFEtef8lLG
2015-12-16 15:23:11スティールピニオンとは国内最大手のゲーム会社アイコクから発売されている人気シリーズで、世界で累計五千万本以上の販売数を誇っていた。そのゲームの思考ルーチンには天宮システムのAIが採用されており、父が買い与えてくれた最初のプレゼントだった。天宮翼はすぐにそのゲームのとりこになった。
2015-12-16 15:23:28それ以来、ゲームだけが友達だった。もちろんネットゲームでフレンドはたくさんいたが、天宮翼の通うお嬢様学校に庶民のゲームの話題で盛り上がれるリアルな友人はついに一人もいなかったのである。 pub.fundee.in/projects/view/… PDF、Kindleはこちらで公開中です!
2015-12-16 15:23:42天宮翼は今の自分の境遇について考える。もし海で溺れる人を船の上から見つけたとき、普通の人はどうするだろうか。恐らく、ほとんどの人は船の上から親切に声をかけるに違いない。
2015-12-16 20:52:33それは「泳ぎ方を教えましょうか?」というものと、「日頃から泳ぎの練習をしていればよかったのに」という二つしかないに違いないのだ。そういった世間の人々の行為を批判するつもりは、天宮翼にはなかった。
2015-12-16 20:54:24もし、そこに何の躊躇(ちゅうちょ)もなく、ただ無心に海へ飛び込み、溺れる人を助けようなどという行為をする人間がいるとすれば、それはよほどのウツケモノか、あるいは現実に存在すればとてつもなく恥ずかしい存在かもしれないと天宮翼は思った。
2015-12-16 20:54:34スティールピニオンには決死の覚悟で海に飛び込んでヒロインを救出するイベントがあったことを思い出した。もちろんゲームの中では海に飛び込まなければイベントが先に進行しないので、選択の余地もなく飛び込むしかないのだが……。そんなことを考えていると、突然人影が御殿の中に入ってきた。
2015-12-16 20:55:10「お待たせしましたお嬢様」月明かりでシルエットしか見えなかったが、身長にして一七〇センチメートルくらいの引き締まった体をしたスーツ姿の男だった。「随分遅かったじゃないですか! し、心配してたんですよ!」
2015-12-16 20:55:26男は天宮総一郎の側近のような立場で、すべての社員が去っていく中で、ただ一人天宮翼の面倒を見ていた。「申し訳ございませんお嬢様、いろいろと今後の準備をしていたのですが、今はこれが精一杯……」そう言いながら男が差し出したのは五〇パーセントオフのシールが貼られた弁当だった。
2015-12-16 20:55:38「あ、ありがとう……ございます」朝から何も食べてなかった天宮翼は、少し恥ずかしそうに弁当を受け取ると静かに食べ始めた。「あなたはもう社員じゃないんですから、いつまでも、わたしにつきあって義理を通す必要なんてないんですよ」
2015-12-16 20:56:02「お嬢様、自分はもともと社員ではありません。だから、辞める義理こそないんです」「えっ? あなた、社員じゃなかったのですか。でも、いつもパパと一緒でしたよね? なんだったんですか?」「天宮社長には命を助けられたに等しい恩義があります。お嬢様を助けるのは自分の使命です」
2015-12-16 20:56:19「いまどきそんな恩義を後生大事に守るなんて時代遅れです」「でも、お嬢様お一人では心配で……」天宮翼はしばらく考えながら男の顔をじっと見た。男は心配そうに天宮翼をじっと見つめていた。そのまなざしが、余りにも真っすぐなので、天宮翼は思わず赤面して目をそらした。
2015-12-16 20:56:37「妙齢の女の子を夜中にジロジロ見て、あなたまさか、わたしに下心があるとか……?」「いえ、自分には彼女もいますし、お嬢様に対してやましい気持ちはひとつもありません」「えっ? いやっ、少しくらいはその……わたしも女の子だし、全然ないってのは逆に失礼じゃないですか?」
2015-12-16 20:56:53「申し訳ありません。純粋にお嬢様のお力になりたいだけなんですが、駄目でしょうか?」「わたしは義理とか人情とか、善意とかそういうものは、よくわからないんです。特に最近は……」この一年にあった出来事を思い出しながらうつろな目で天宮翼は言った。
2015-12-16 20:57:11