"sati"の訳語「気づき」についてのやりとり
- southmtmonk
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専門家の間では、漢訳語(ジャーゴンですわな)が意思疎通に便利だから使うというのもありだろうけど、そういう状況が却って、仏教術語を「わかる日本語」に置き換える努力を怠らせてはいないだろうか。。。と思ったりもする。
2010-10-19 20:01:17しかしそう考えると、私らはとりあえず漢訳語に逃げてしまう傾向があるわけで、非漢字文化圏の人々が自国語できちんと訳す(というか訳さざるを得ない)態度は、見習わなければならない。
2010-10-19 19:59:09パーリ語 sati を「わかりやすい日本語に訳せ」という宿題を抱えてかれこれ1週間になろうとする。もうええやん、「憶念」で。いずれにしても、一言で言い表すのは難しい。
2010-10-19 19:52:00仏教の概説書の場合、「念」に関する説明を読むと著者の仏教理解の幅と深み(と古び具合)がだいたい分かる。正念を「正しい記憶」と書いてる椰子は、学者でもライターでも信用しない方がいい。まぁ宗教学者の監修本に「釈迦は『中庸』を説いた」と書かれてる場合もあるから贅沢言えないが。
2011-01-27 02:29:38アーチャン・チャー老師の本を読みすすめてますが、「気づき」というワードが何度も出てくる。このワードってわりとカトリックでもたくさん使われる言葉。やはり同じ人間に属するものだから、注目点も同じになるんだな。
2011-01-27 01:18:12@tukiko09 カトリックの場合はどんな用法なんでしょうか?推測ですが、awareness などの語がキリスト教で使われてきたので、それを仏教経典の訳に採用したのかもしれません。あと、現代の日本語でも「正念場」という時の「正念」は経典の意味に近くなってます。
2011-01-27 02:02:22@tukiko09 初期仏教の修道論は、訳経してるプロの学者も北伝仏教の固定観念を敷衍して不正確な解釈をする人が少なくないです。スマナサーラ長老の本を読むか、英語からの翻訳に頼る方が正確です。今回のアーチャンチャーの本は初期仏教に詳しい人が訳に関わってるので安心でしょう。
2011-01-27 01:54:33@tukiko09 南伝では主に awareness, mindfulness 気づき、注意、自覚などとされます。それが経典の原義にも合っています。八正道の正念を現代語で 「正しい記憶」と言っても意味が分からない。「正しい気づき」ならば意味が通ります。
2011-01-27 01:46:35@tukiko09 それは八正道・七覚支・五根・五力・四念処に入っている「sati,smrti 念」の訳語です。北伝アビダルマでは「記憶」「(記憶の)想起」といった解釈が主ですが、
2011-01-27 01:43:19『倶舎論を中心とした五位七十五法の定義的用例集 仏教用語の用例集(バウッダコーシャ)および現代基準訳語集1』 山喜房佛書林、届いた。倶舎論だと、「念 Smṛti」は英訳もmemory で大地法に分類されている。パーリの経や論の sati とは意味範囲がかなり違うんだ。
2011-02-16 14:58:24『倶舎論を中心とした五位七十五法の定義的用例集』 読んでる。これは楽しい。有部阿毘達磨の五位七十五法で、パーリ・アビダンマのsati 念(浄心所)に対応するのは、apramāda 不放逸(大善地法)なのかな、とか妄想中。
2011-02-16 19:35:31河村考照先生『倶舎概説』山喜房佛書林、念 Smṛtiについて「一旦触対した境界において、明らかに記憶して亡失せざる作用をいう。これは過去の境を演じて不忘というのではなくて、現在の心識が現在の境界に対して記憶して散逸せしめないようにする心のはたらきをいったものである。」とある。
2011-02-16 21:43:14河村先生の解説、「過去の境を演じて不忘というのではなくて、現在の心識が現在の境界に対して記憶して散逸せしめないようにする心のはたらき」というのは、パーリ経典やアビダンマの念sati にやや近い。まぁ、これは「記憶」という日本語の意味範囲の遷移が問題なのかな。
2011-02-16 21:48:25念が「記憶」だと、八正道も七覚支も実践として成り立たない。身受心法の四念処でいう「念(sati)と、仏随念とか法随念とかの随念(anussati)が混同されて、単なるイメトレみたいに解釈されてきた。
2011-11-30 14:34:36言い過ぎかもしれないが、念=記憶で初期仏教の修道論をあれこれ解釈してきた甚大な弊害に比べれば、スピ系でも「気づき」使ってるからちょっと……ってのは些細な難癖だと思うよ。
2011-11-30 14:43:06日本でsati(念)の訳語が「気づき」になったのはテーラワーダ仏教が入ってきてからの話で、それまでずっと「記憶」だと解釈されてたんだよね。 ameblo.jp/nibbaana/entry… fb.me/TdzAw35u
2011-11-30 12:17:37けっこう荒っぽいけど、念(sati)の解釈についてはこちらのブログに一昨年書いた。 d.hatena.ne.jp/ajita/20090504… fb.me/HICXxVXM
2011-11-30 14:48:57これは、ものすごく大事。 @naagita さんの RT 念(sati)についての考察 ひじる日々 東京寺男日記 Ehipassiko! http://d.hatena.ne.jp/ajita/20090504/p2
2011-05-09 15:06:18おお…これは勉強になる。というかsatiを記憶と訳したというほうを僕は知らなかったので驚いた。北伝バイアスと、記憶という語の意味の遷移と、両方あるのかな。 twitter.com/southmtmonk/st…
2015-06-14 19:46:55これ私の恩師と当時スピリチュアルケア学科の先生が訳し方でもめていたのを思い出す。佐藤さんが仰るように北伝ばっかり、南伝ばっかり読んでるとこうなってしまう。同じ仏教なのに。
2015-06-14 20:10:28Wikipedia英語版のsati。研究者にとってはあたりまえの情報かもしれない。しかしmindfulnessという語がいつぐらいから使われ、仏教ではだれが使い始めたかというところなどはへえーと思う。 en.m.wikipedia.org/wiki/Sati_(Bud…
2015-06-14 21:30:14仮にリス・ディヴィズがsatiにmindfullnessという語を初めて採用したとするなら、どんな本や思想に影響うけて、この訳語を選択したんだろうか。
2015-06-14 21:38:30