治療的場面での「活きた」言葉とは何か

「中井久夫の臨床作法」より:横田泉先生の「自分でも用意していなかった問い」の要約と私の感想。ある統合失調症の患者さんの転機となった中井久夫先生の「活きた」コミュニケーションの治療的意味について、横田先生は、ソシュールの言語論まで引き合いに出して論じています。 ちなみに私のフォーカシングの臨床活用についても少し我田引水しています。
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chitose @kasega1960

「『人の心に届くことば』『心に響く言葉』『直球』『オリジナルなことば』、などと表現していきたベース・チェンジを引き起こす言葉は、すべて丸山の言う第2次言語である。それは既成の価値を打ち破り、いわば星座を組み替えるような働きをする。そのような言葉はあらかじめ用意することはできない」

2016-02-06 01:38:34
chitose @kasega1960

chitoseが大事だと思うのは、最後の一句。いわゆる「認知の再構成」の場合、クライエントさんよりも治療者のほうが「世の中に通用する、的確な認知を『知っている』」という前提に立ちやすいのではないか。それを提示されるだけで「とりあえず」満足するクライエントさんたちも多いとは思うが。

2016-02-06 01:45:37
chitose @kasega1960

「ベース・チェンジ」(基礎的な変化)まで引き起こす治療的相互作用は、治療者もクライエントさんも思いもよらない言葉の発見の共有を伴う。双方の言語体系の「書き換え」が生じる。クライエントさんのフェルトシフト体験は、治療者にとってもどこか「身につまされ」、シフトさせられる体験となる。

2016-02-06 01:53:36
chitose @kasega1960

「しかし新たに誕生した第2次言語は、誕生と共にその第2次言語性を失う。(中略)何回も通用する、魔法の言葉など絶対に存在しない。ベース・チェンジを引き起こす言葉は、オリジナルな言葉として練り上げられ、ある時突然に不意に表現され、一度だけ価値を組みかえ、消える」

2016-02-06 01:59:39
chitose @kasega1960

「ウィニコットは、(中略)『精神病は(中略)日常生活における様々な癒やしの現象、すなわち友達づきあい、身体の病気の際の看護、詩、などによって手を差しのべられ、解凍されるのである。』」

2016-02-06 02:05:49
chitose @kasega1960

「統合失調症は、精神分析という技術ではなくむしろ人間的な出来事により回復する可能性があるとウィニコットは言っている。してその具体例として、友達づきあいと看病と詩の三つ挙げているのである」

2016-02-06 02:09:55
chitose @kasega1960

詩は『第2次言語』の代表なのである。人の心に届く言葉、オリジナルな錬成を経て浮上してきた一回だけのことば、それをウィニコットは『詩』と称したのだ。そして、統合失調症は『詩』によって『手を差し伸べられ』、『解凍され』、慢性状態を離脱するのである」

2016-02-06 02:14:32
chitose @kasega1960

「私がune fleur(花)と言う時、私の声は、はっきりとした輪郭をこつことなく忘れ去られてしまう。だが、それと同時に、現実のどんな花束にもない、知られた夢とは別物として、におやかな、花の概念そのものが音楽的に立ち上がる」・・・マラルメのことばの引用。

2016-02-06 02:21:31
🦊王子のきつね🦊 @kitsunekon2

@kasega1960 丸山圭三郎がメルロポンティからの引用した部分を追加。 《文学作品のもつ意味というものは、語のもつ常識的な意味によってつくられているのではなく、むしろそれを改変するのに力を貸しているものなのだ。[続]

2016-02-07 10:45:55
🦊王子のきつね🦊 @kitsunekon2

@kasega1960 したがって、聞いたり読んだりしている者の側にとっても、あるいは話したり書いたりしている者の側にとっても、主知主義的などのはかり知れない、コトバのなかの思考というものが存在するのである。》[終]

2016-02-07 10:46:23
chitose @kasega1960

「見てきたように、ベースチェンジを引き起こすような言葉(=第2次言語)は不意に現れるが、全く何もないところから現れてくるのではない。意識して用意できるものではないが、何らかの形で治療者の内部で繰り返し錬成されているものを基礎として現れるはずである」

2016-02-06 02:26:46
chitose @kasega1960

この繰り返す錬成が起こりやすい条件としては(中略) マニュアルや常套句に頼らない。 わかりやすい答を求めない。 用意して諭すことをしない。 技術・技法に頼らない。 理論的であることにこだわらない。 投げ出さない。

2016-02-06 02:31:44
chitose @kasega1960

「このような否定形を保ち、その不安定に耐えて悩みを維持することが、その条件になるのではなかろうか。私は経験上、重度の統合失調症の患者さんとの治療ではとりわけこの態度が大切であると感じてきた」

2016-02-06 02:35:35
chitose @kasega1960

「患者さんとの対話の前ではいろいろと考える。考えてしまう。治療の大切な局面では当然のことであり、避けられないことであるが、その上で自分考えた『結論』を一方的に押しつけるような態度を排することが重要であった」

2016-02-06 02:40:18
chitose @kasega1960

「いろいろ考えた上で、しかし、いわば『手ぶら』で面接に臨む。これはやってみると難しい。しかし、できないことではない。最近は統合失調症以外の方との治療関係も増えてきているが、深刻な自殺念慮、深刻な外傷を抱えた方との重要な局面でも同じことが言えると思う」

2016-02-06 02:45:09
chitose @kasega1960

「精神医学が医学であるためには、再現性、検証可能性、客観性を持ち合わせた科学的な知識であることが必要とされる。しかし、見てきたように、統合失調症の治療に関しては、こうした『科学的な知の枠組みを超えた知』が必要とされるのであった」

2016-02-06 02:50:06
chitose @kasega1960

「この『知』のあり方は精神科医療という狭い領域でのみ必要なことではなく、広くヒトが重大な決断をなす時に普遍的に必要とされるものである。内田樹は次のように述べている:」

2016-02-06 02:53:14
chitose @kasega1960

「『どうふるまっていいのかわからない場面で適切にふるまうことができる』というのが人間知性に求められてことである。『どうふるまってよいのか』についての網羅的なカタログが用意されていてそれと照合しさえすればすぐに『とるべき態度』が決定されるような仕方で私達の実生活はなりたっていない」

2016-02-06 02:58:46
chitose @kasega1960

「私達の実人生にとって本当に重要な分岐点では、結婚相手の選択であれ、株券の売買であれ、ハイジャックされた飛行機の中でのふるまいであれ『どうしてよいのかの一般解がない』状態で最適解を見つけることが要求される(後略:内田からの引用終わり)」

2016-02-06 03:08:20
chitose @kasega1960

「ロジカルに言いえば、『明証をもって基礎づけられない判断は正しい判断ではない』という命題は正しい。けれども、経験的には『明証をもって基礎づけれれてはいなかったけれども結果的には正しかった判断を継続的に下すことのできる人』が私のまわりには現に存在する」

2016-02-06 03:13:18
chitose @kasega1960

「『どう振る舞ってよいのかわからない場面で適切に振る舞うことができる知恵」「明証をもっては基礎づけられないけれども、何となく確信せらるる知見」とはとりもなおさず、中井先生の言う『自分でも用意していなかった問い』にはらまれている英知と同じものである」

2016-02-06 03:17:47
chitose @kasega1960

「マニュアルを覚えることとは対極のようのこのような『知』を、誰もが『常識』と呼べるようになったら、精神医学も世の中もベース・チェンジするのではないだろうか。(これが横田先生の結語)」

2016-02-06 03:23:13
chitose @kasega1960

・・・ここからはchitoseのつぶやき。ここで書かれているのはある意味で「初学者が読んだら毒になる」くらいの逆説の山である。むしろ一応専門的な知識や技法を学び、現場に出て、難しい事例に戸惑い続けるばかりとなった、数年経過した臨床家向けかもしれない。

2016-02-06 03:35:27
chitose @kasega1960

繰り返し我田引水するが、治療者が現場で「クライエントに向けて」使う技法としてフォーカシングを杓子定規に導入しようとしてもうまくいかない事が多い。フォーカシングを一人で自分のためにできるところまで身につけ、もっぱら面接中でのセルフモニタリングとして活用すると、「活きた」言葉が使える

2016-02-06 03:43:55
chitose @kasega1960

なお、横田泉先生が事例の典拠としている文献は、中井久夫「分裂病の慢性化問題と慢性分裂病からの離脱可能性」(中井久夫著作集 第1巻 岩崎学術出版社 1984)である。

2016-02-06 03:51:48