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「#ふぁぼされる度に歴史人物の話をする」から始まったハプスブルク夜話。創建以前から現代まで。

#ふぁぼされる度に歴史人物の話をする」から始まったハプスブルク夜話。創建以前から現代まで。
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はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

#ふぁぼされる度に歴史人物の話をする なるほどなるほど オールとなるとどこから出していいやら困るので、ハプスブルク家から出していきますよ。 それ以外の分野希望はリプも合わせてください。

2017-12-11 03:55:54

不確かな時代(6世紀~1020)
ハプスブルク家の先祖は多くの伝説に彩られている。
彼らは後世、先祖はトロイアのプリアモス王だとか、古代ローマのカエサルだとか、あるいはブリタニアのアーサー王だと語った。
この時代は不確かなことが多い。確かなのは、1020年頃に彼らの城が築かれるということである。

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エガ(560~646) ハプスブルク家の遡れる最初の先祖。詳細不明。 ハプスブルク家に限らず様々なドイツ・フランス諸侯の先祖とされる。 ロートリンゲン家もこの子孫であり、マリア=テレジアとフランツ=シュテファンの婚姻は「家系の再統合」であるとして正統化された。 pic.twitter.com/Xpy1v05qIT

2017-12-11 20:48:16
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鷹の城の建設(1020年)
「一族は東から来て、この地方の支配者となった。彼らは丘の上に鷹の城を築いた」
遠い先祖ラートボト伯爵によって建てられた鷹の城(ハビヒツブルク城)が、やがて彼らの家名「ハプスブルク」となった。
ハプスブルク一族はこの地方の有力者として力を蓄え、来るべき運命の時を待ち続ける。

はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

ラートボト伯爵(982~1063) スイスに鷹の城「ハビヒツブルク城」を建設した、ハプスブルク家の遠い先祖。これが訛って一族の名前「ハプスブルク」となった。 pic.twitter.com/udxToavvAJ

2017-12-11 20:22:53
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はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

ヴェルンヘル1世(1007~96) ハプスブルク家の遠い先祖のひとり。ハビヒツブルク城を築いたラートボト伯爵の息子。 伝説によれば、皇帝ハインリヒ4世の対立王、シュヴァーベン公ルドルフ・コグナトゥス・ヴェルナーは彼のこととされる。 pic.twitter.com/Vh1Xlsrdog

2017-12-11 20:38:32
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オットー2世(1038~1111) ハプスブルク伯を名乗った初めての先祖とされる。資料によって存在が確実視される先祖。ヴェルンヘル1世の息子。 皇帝ハインリヒ5世に従い、ハンガリー遠征に向かうがその帰路で殺された。 pic.twitter.com/SwEXLT5bTy

2017-12-11 20:43:06
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アルブレヒト4世(1188~1239) 通称“賢人アルブレヒト”。ドイツ王ルドルフ1世の父。 聖地巡礼に赴き、そのまま没した。聖地に埋葬されている。 pic.twitter.com/A9ty4i4dsP

2017-12-12 00:52:23
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皇帝選出(1273年)と初期ハプスブルク家の時代(13世紀~15世紀)
神聖ローマ帝国の諸侯は、1273年の選挙でハプスブルク家のルドルフをドイツ王に選出した!
ルドルフ1世以降、孫の代まで断続的に王位に選ばれたが、それも絶えてしまう。
それからハプスブルク家は、新たに得た(そして最後の最後まで付き合うことになる)領国オーストリアの「公爵家」として歩みだす。

彼らが再び玉座に就いたのは、1438年のことだった。

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ルドルフ1世(1218~91) 彼がドイツ王に選ばれたことで、ハプスブルク家は歴史の表舞台に登場した。 近年の研究では、「凡庸だったからドイツ王に選ばれた」のではなく、フランス王・ボヘミア王に対抗できる、ある程度の実力を見込んで選ばれたする説が出ている。 とにかく実際は頭が切れて有能だった。 pic.twitter.com/6LVhE79p8N

2017-12-11 18:59:59
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アルブレヒト1世(1255~1308) ルドルフ1世の子。ドイツ王位をナッサウ家のアドルフに奪われるが一騎討ちで倒した。 戦傷、もしくは治療により隻眼になったため隻眼王とも。 「王は周りの心がわからない…」をゆくスタイル。 相続絡みで甥に暗殺された。 pic.twitter.com/GgHdfEdbsT

2017-12-12 01:06:31
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ヨハン=パリツィータ(1290頃~?) 「親族殺し」のヨハン。相続に不満があり、伯父アルブレヒト1世を暗殺した。 その後、復讐として彼の縁者は皆殺しにされたらしい。 しかし異説として彼はイタリアに逃げ、その地でイタリア=ハプスブルク家を作ったという話を見たが、情報元が無かったので怪しい話。 pic.twitter.com/t3im5rt3GF

2017-12-11 19:03:36
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ルドルフ3世(1282~1307) ボヘミア王としては1世。ドイツ王アルブレヒト1世の子。 ボヘミア王になったが、まもなく亡くなった。 彼が王位を維持できればハプスブルク家の歴史はだいぶ変わっただろう。 pic.twitter.com/V7a2QHuvNn

2017-12-12 01:09:55
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フリードリヒ3世(1289~1330) オーストリア公としては1世。美王と呼ばれた。あまり知られてないが公平王というあだ名もある。 ドイツ王位をめぐってバイエルンのルートヴィヒ4世と争ったが、弟の救援が間に合わず負けた。 彼以降、ドイツ王位はしばらく遠ざかってしまう。 pic.twitter.com/xNL4XlWx5r

2017-12-11 19:10:05
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アルブレヒト2世「賢公」(1298~1358) あまり戦争しなかったため「平和公」とも呼ばれる。皇帝位の獲得にこだわらず、他家の争いの調停に乗り出すことも多かった。 領民にとても慕われ、打ち出した政策はハプスブルク家が「オーストリア家」として定着する要因となった。 pic.twitter.com/MfF5VnT4yF

2017-12-11 18:54:50
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オットー(1301~39) 陽気公。陽気な公爵オットーのもとでは自由溌剌な宮廷だったというが浪費もすごかったという話も聞いた。 彼とその息子が相次いで死んだことでハプスブルク家は断絶の危機に陥った。 pic.twitter.com/YcouTpKpRr

2017-12-11 23:22:40
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ルドルフ4世(1339~65) 「うせやろ!? なんでお前んとこにカエサルと皇帝ネロの文書が残ってるんやねん!」と時の皇帝カール4世に言わせた、ハプスブルク家きっての鬼才。 型破りな行動が多く(主に皇帝と弟が被害者)、辣腕を振るいに振るったが早世してしまった。 pic.twitter.com/YTp7oULcgk

2017-12-11 21:41:11
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アルブレヒト3世(1349~95) アルブレヒト「編込公」「弁髪公」とも。由来はこの編み込まれた髪を見よ。 ルドルフ4世の弟であり主な被害者のひとり。 兄の早世により家を継いだが、家督はことある度に弟レオポルト3世に脅かされていた。 pic.twitter.com/5D0q2lKFST

2017-12-11 21:39:09
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アルブレヒト4世(1377~1404) アルブレヒト系ハプスブルク家。聖地巡礼に赴き多くの不可思議なものを持ち帰ったため不思議公と呼ばれる。東洋を見物した人?を連れてきたとか。 若くして亡くなり、息子アルブレヒト5世が跡を継いだ。 pic.twitter.com/pFp32gxERO

2017-12-12 01:03:41
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アルブレヒト5世(1397~1439) ドイツ王としては2世。幼少時から異教徒と戦い続け、国内でもユダヤ人を弾圧した苛烈な気性だった。 だがこれでも人望があったらしく、死後には「有徳の君主」と讃えられている。 久々にドイツ王に選ばれたが、武名を欲したのか戴冠を前にしてトルコ戦線に出て病没した。 pic.twitter.com/7ZrqkLYwXJ

2017-12-11 19:13:20
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ラディスラウス(1440~57) 父親アルブレヒト5世(2世)の死後に生まれ、生まれながら当主となった。 遺腹王と呼ばれ、ハンガリー王でもあった。 白血病により夭折。彼の死によりハプスブルク家の主系統は代わり、従叔父の皇帝フリードリヒ3世が当主となった。 pic.twitter.com/akff390aOO

2017-12-11 21:01:06
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レオポルト3世(1351~86) ルドルフ4世、アルブレヒト3世の弟。ルドルフ4世の没後、所領を継承した。兄アルブレヒト3世によくちょっかいをかけてた。 旧領スイスの奪還を掲げて攻め込むも少数を相手に大敗し戦死。 pic.twitter.com/Nq4vb8mF8J

2017-12-12 00:57:22
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エルンスト(1377~1424) レオポルト家系。エルンスト鉄公と呼ばれる。 イタリアの血を引く陽気な公爵だったという。 野心家であり、幼い本家当主の後見を狙って争ったり、ルドルフ4世ぶりに「大公」を名乗ったり、皇帝に敵対したりした。 息子フリードリヒ5世は皇帝になった(フリードリヒ3世) pic.twitter.com/78ipJYTZyy

2017-12-12 17:59:48
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はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

フリードリヒ4世(1382~1439) ハプスブルク家の分家チロル家の初代。 公会議で対立教皇を推したため破門され、公衆の面前で皇帝ジギスムントに赦免を乞うた。 pic.twitter.com/Jj4FUeNHYV

2017-12-11 21:05:09
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はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

ジギスムント(1427~96) ハプスブルク家のチロル分家2代目。 最初は善政を敷いていたはずなのに、妻を亡くしたあたりからおかしくなって女と金に手を出しまくった。 結果、嫡子はいないのに庶子がいっぱいというサイテーなことに。 そのため領土は本家の皇帝マクシミリアン1世が継承した。 pic.twitter.com/jSLmyolNzu

2017-12-11 21:08:24
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