無能?平凡?それとも優秀?二代将軍「徳川秀忠」を語ろう

往年の大河ドラマ「葵〜徳川三代」が再放送されていることもあり、徳川幕府第二代将軍・徳川秀忠のことが話題になったそうです。この議論もtwitterでは定期的にされている印象がありますが…ふつうはここに隆慶一郎史観(影武者徳川家康史観)が入って、さらにややこしくなる(笑)
49
前へ 1 ・・ 3 4
水煮🍲 @mizuny0114

ちなみに、水煮の知る中で一番強そうな秀忠さん(影武者徳川家康ver)。 『どす黒い野望に燃えていたのである!』www pic.twitter.com/9Kj31kp5Un

2016-10-07 19:44:43
拡大
六文銭 @izarokumonsen

@kuro_mainaren 「影武者徳川家康」に出てくる徳川秀忠は表向きは人格者を演じてて裏では暴君という二重人格ぶりwwwww pic.twitter.com/Wg5asOunP1

2017-10-01 21:48:06
拡大
アリノリ @a_ri_no_ri

秀忠が話題のようなので?前にまとめた秀忠特集を載せておく。『言経卿記』から見る徳川秀忠。秀忠は12歳から京都⇄江戸を続けていて関東だけでなく中央の動静も体験している。 その1ari-eru.sblo.jp/article/117174… その2ari-eru.sblo.jp/article/117906…

2019-06-17 20:56:10
リンク ありエるブログ 秀忠特集その1ーfrom『言経卿記』 山科言経が残した日記『言経卿記』には、徳川家康だけでなく徳川秀忠の情報も豊富にある。天正十九年(実年齢12才)から、第二代将軍に就任する慶長十年(実年齢26才)までの約13年間のおよそ1/3を、秀忠は洛中や伏見で過ごしている。言経は家康がおらず、秀忠だけが在京しているときでも秀忠の所に出向いている。言経を雇っているのは「徳川家」であるため、秀忠も雇用主にあたるからだ。 徳川家康特集では、流布しているイメージ…
リンク ありエるブログ 秀忠特集その2ーfrom『言経卿記』 山科言経が残した『言経卿記』から、秀忠に関連する事柄を特集して載せる2回目の記事である。1回目はこちら→http://ari-eru.sblo.jp/article/117174346.html?1428575302 今回は文禄五(慶長元)年から慶長十年の将軍就任まで、実年齢で17才から26才までの秀忠に関する内容となる。文禄四年の結婚により、一家の主としての活動も見られるようになった秀忠であるが、文禄五(慶長元)年以降はどのような動きがあるのか、順に取り上… 1
アリノリ @a_ri_no_ri

秀忠も秀康のようなツイまとめができればいいのだが、家康没後は守備範囲外だし、分量が多くて難しい。本領不在が長い父親に代って江戸を任されているし、京都で大名との交流もある。中央も地方も体験しつつ家康の側近くにもまあまあいるから、後継者としての学習はかなりできてるんじゃないかな。

2019-06-17 21:03:13
アリノリ @a_ri_no_ri

個人的にへーだったポイントは、秀忠が寝坊して江戸に向けて出立する家康を見送らないのとか、秀次事件の際に言経が出した報告書を駕籠の中で読むところかな。前者は子供っぽくて後者はしっかりしてきたのが分かる。 乱酒したお父さんたちが押しかけて、秀忠のところでまた飲んじゃうのも楽しい。

2019-06-17 21:10:16
アリノリ @a_ri_no_ri

言経卿記と家忠日記と家康の書状から行動と動静を追って行くと、メジャーな病気には全部かかりつつも、家康という人は基本的に「タフ」だなと思う。頑丈だよ、うん。だから、長生きしたんだよなあ。

2019-06-17 21:18:11
アリノリ @a_ri_no_ri

秀忠も遺骨からして逞しかったらしいから、遺伝かな。ただ、秀忠の場合は20代で将軍に就任していて色々と負担は大きかったんじゃないかと思う。秀康は病がね…。

2019-06-17 21:22:47
前へ 1 ・・ 3 4