「江戸時代、農民は米を殆ど食べることができなかった」は事実か
- gryphonjapan
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@tyuusyo @gryphonjapan そういえば年貢から税金になったのはいつだっけ?と検索してみましたら、wikipedia「年貢」のページに「1873年(明治6年)の地租改正により、年貢は廃止されることとなる」とありました。
2017-04-21 23:45:17@tennteke @tyuusyo 地租改正での税率は最初は壊疽時代の年貢より重く、地租改正反対一揆がおきて税率が地価の3%⇒2.5%に下がったそうですね 「竹やりで どんと突き出す 二分五厘」とうたわれたとか(笑)
2017-04-22 06:16:36====大反響御礼=====
【ここから、まとめ作ったあとの反応の章(※コメント欄にあるものはそちらをご覧ください)】
※リプないものでの見落としなどもあるかもしれません。皆様もご自由に追加どうぞ。
@gryphonjapan @tyuusyo そういえば「余った米」の話ついでに。近代アメリカだと、近代農業によって大量に作られて余った穀類でウイスキーが大量に作られて、酒の消費と飲酒量が増えて酒の問題も増え、禁酒法の一因にもなったという話もあります。出典『禁酒法―「酒のない社会」の実験 (講談社現代新書)』
2017-04-22 06:45:46@ut_ken @tyuusyo あ、このまとめでも指摘した人がいました。アルコール飲料の相場、相対的価格の上昇下降とかの資料も探せばあるのでしょうね。日本も文明開化で酒類の値段は下がったのかも
2017-04-22 06:50:01やっぱ2ちゃんの話とかも色々と聞いておいた方が良いかも>yomogi.2ch.net/test/read.cgi/… / “「江戸時代、農民は米を殆ど食べることができなかった」は事実か - Togetterまとめ” htn.to/dyuqhtW
2017-04-22 10:57:23@gryphonjapan @obenkyounuma 保管ロスや輸送ロスもないあたり変だと思いますね。昔は輸送が陸路は馬方が輸送とかだし、海路も大変な時代。そもそも明治以降の戦前・戦後だって皆白米を食べていたわけでもないのですし…昔の田は、生産性が悪い田最寄り多いし。
2017-04-22 19:59:04このまとめにちょっと興味を惹かれたので自分用メモを兼ねてツイートします。 twitter.com/gryphonjapan/s…
2017-04-22 22:29:19なかなか面白い話を聞くことができました。 / “「江戸時代、農民は米を殆ど食べることができなかった」は事実か - Togetterまとめ” htn.to/fwdbiW
2017-04-22 10:42:03元々の典拠である渡辺尚志『百姓たちの幕末維新』より「百姓の主食の半分以上は米だったのですが逆に言えば百姓は主食として米だけを食べていた訳ではなかったということです。普段は米と麦・雑穀を混ぜて炊いた「かてめし」や粥・雑炊を食べ、婚礼などの晴れの日には…」 @gryphonjapan
2017-04-22 22:31:26米の全生産量に比して消費の内訳は?という問いに同書は「江戸時代の百姓は年間1石(約150キロ)以上の米を食べていた」と述べています。当時の1人扶持は1人1日5合を消費する計算(今とは消費カロリーが違う)。これで米だけでは食べていけなかった計算が合います。@gryphonjapan
2017-04-22 22:33:37明治から昭和初期の農家の実態について『きたむらやまの地域史』より「現物で小作料を地主に納め、残りは飯米と売る米に回すのであったが昔は家族が多かったので残る米は少ないので少しでも売る米に回すため大根めしのようなかてめし、南瓜を入れた雑水飯…を作り食べた」 @gryphonjapan
2017-04-22 22:35:08「江戸期農民と白米」まとめtogetter.com/li/1103168 人気御礼で画像追加 センゴク外伝桶狭間戦記のプロローグ sokuyomi.jp/product/sengok… 戦国時代の本質は、小氷期の飢餓が招いた闘争である、と。 戦国時代の終る頃にはやや好転した、とか。 pic.twitter.com/v2AcwTiRNZ
2017-04-22 23:42:58ぼくの小さい頃は、室町時代は鉄器や二毛作の普及で生産性が上がった時代(これもまあ事実なんだろうけど)で、それで余裕ができたから戦争や戦国大名の自立、旅芸人や大商人や文化人も活躍できた…みたいに言われてたんだけどなあ。 そんな時代から一気に寒冷化しちゃった、ってことかしら?
2017-04-22 23:44:35もひとつがおなじみ、みなもと太郎「風雲児たち」より。 北海道松前藩に関して石高の話と 「現金収入ある地域のほうが、米産地でなくても白米が流通」「そんな地域では庶民の日常食にすらなった」と。江戸もそうですな。 「百姓が滅多に食えぬ」との記述も。(これも混ぜ物なしの白米の意か) pic.twitter.com/Dwm9N7gJA7
2017-04-22 23:52:05山梨県高根町小池地区の『稲作坪刈帳』に文化6年(1809)以降の作付品種、坪収量等が記録されており「坪刈帳が語る江戸から平成までの米作りの歩み(1)」(松本精一,農林統計研究,93,p14-30(1999))で分析しています agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010601755
2017-04-23 09:58:18この文献によると、10年ごとの期別収量は1809-1819年の1.16升であったものが明治3(1870)年には1.29升とちょっと上がっています。なお平成2(1990)年は2.30升です。江戸期には1.50だったこともありますが、大体1.2ぐらい。
2017-04-23 09:58:57坪刈帳が語る江戸から平成までの米作りの歩み(2)(松本精一, 農林統計研究, 94, p.1-12(1999-12))では品種について詳しく言及があります agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010601756
2017-04-23 09:59:14この文献によると、江戸時代は「同一品種を長期間にわたり栽培する品種変動の少ない時代」とあり、中生、晩生品種が主流、また甲府御役所から特定品種の作付けの禁止を強制(文政12(1829)年)とあります。
2017-04-23 09:59:36「坪刈帳」の品種名からは「農民は幕藩体制の中でも積極的に地域(藩域)をこえた品種の交換・導入を行い、同一品種でも新しい系統品種の交換・導入」が行ったことが読み取れるようです。
2017-04-23 10:00:15twitter.com/gryphonjapan/s… 本屋でこの「まんが日本の歴史 士農工商」の2015年版(元は昭和からの)を確認。まず「慶安の御触書が、実際に慶安のころに幕府から出ていた(現在は江戸時代後期にそういう錯誤がされていたというのが有力)」という扱いが、まだ直ってなかった
2017-04-25 06:40:36これからまとめ作る「江戸時代の農民は米を食べられなかったのか?」まとめのイメージ画像。 学習漫画は、古いものは古いまま版を重ねる(基本、史実や科学の事実はそう変わらないから、それはそれで正解)から、出版年にもよるんだよね。 最新のものは、新しい知見とか盛り込んでいるのかねえ…。 pic.twitter.com/LSVWyS2WUI
2017-04-22 06:31:17twitter.com/gryphonjapan/s… 「稗や粟しか食えない」という場面は、同じ一家で農作業でおにぎり食ってる場面もそれ以前にあるが、「農民は貧しいから米食えない」という描写とも「たまたま不作で米不足」ともとれて、どうもはっきりしない描写
2017-04-25 06:42:15twitter.com/gryphonjapan/s… 千歯こきや農書が出た頃なので元禄あたりのはずですけど、米は自家消費か年貢に収めるかだけで農民自身が売るという観点がなかったり、農業生産や経済発展したと書き実際流通経済で反物など買ってるのに「農民は貧しい」扱いしてたり、全体に貧農偏見
2017-04-25 06:46:42twitter.com/gryphonjapan/s… 地方によりますけど、元禄あたりなら江戸時代前期は農地拡大で分家や新しい村を積極的にたてられたのが、農地拡大の限界とともに止まっていたあたり。一定の農地で生活水準を維持し生産力を向上させていくという方向になっている。
2017-04-25 06:52:20