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400年前の三世ものスピンオフ三国志小説! 江戸時代から日本各地で読まれ続けた三国志演義続編の日本語翻訳に関する話。

三国志演義の続編として、中国の明代に書かれて刊行された書物に「三国志後伝」というものがあります。日本に渡り、「通俗続三國志」・「通俗続後三国志」として翻訳され、現在でも古書やネットにおいて読むことができます。中国では三国志後伝は長い間、忘れ去られていましたが、「通俗続三國志」・「通俗続後三国志」は日本における江戸時代の三国志ブームの中で、何百年もの間、昭和に至るまで刊行されてきました。その変遷と流通を日本における三国志演義の受容とともに語るものです。こちらのまとめの姉妹編となります。https://togetter.com/li/1247279
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まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

また、前回のまとめは、「通俗続三国志」・「通俗続後三国志」について、元々の江戸時代の書名である旧体字を使用していましたが、通読性を考え、新体字にしています。

2018-11-12 01:57:18

## 2 今回、調査した動機

まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

私が調査した動機について話します。20年以上前、私が大学に入学して、大学図書館の地下で明治44年(1912年)に早稲田大学出版部から発行された通俗二十一史という書物を見つけました。その中には、「通俗続三国志」と「通俗続後三国志」が含まれていました。 pic.twitter.com/JdwF0IktQg

2018-11-12 01:58:21
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まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

当時、すでに三国志ブームに入っており、三国志関係の一般書や小説、概説書、正史の翻訳を読みふけっていた私は、今まで読んでいない三国志関係書を見つけたことを喜ぶとともに、不審に思いました。

2018-11-12 01:59:20
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

それは、地元の図書館と高校の図書館の三国志関係書を通り一遍は読んでいた私に、全くこの書物に関する三国志関係書籍における説明への心当たりがなかったからです。

2018-11-12 01:59:43
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

中身は漢文で、日本の三国志演義の翻訳より後になるはずなので、どう見ても、江戸時代か明治時代に書かれたもののはずです。ましてや立派な装丁の書籍になっているのに、全く「通俗続三国志」と「通俗続後三国志」に対する三国志解説書での言及を読んだことがありません。

2018-11-12 02:00:05
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

大学の先生や三国志に詳しい人物や中国人に尋ねましたが、日本の江戸時代に書かれた「軍談」という歴史小説であるということ以外は分かりませんでした。通俗二十一史の「通俗続三国志」・「通俗続後三国志」には原作は記載されていないので、原作が日本人か中国人かも分かりません。

2018-11-12 02:01:30
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

その後、ネットを調べて、「通俗続三国志」・「通俗続後三国志」の原作が中国・明代に書かれた「三国志後伝」という書物であることが分かり、中国で新たに書籍が発行されていることも知りました。また、通俗二十一史の「通俗続三国志」・「通俗続後三国志」は購入して手にいれました。

2018-11-12 02:01:53
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

ただ、内容が簡体字と聞いたので、中国で発行された書籍については購入しませんでした。しかし、偶然、検索して5年ほど前に維基文庫の「三国志後伝」の内容全文を見つけ、これは、繁体字でしたので、「通俗続三国志」・「通俗続後三国志」を見ながら解読していました。

2018-11-12 02:02:22
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

その過程で、「通俗続三国志」・「通俗続後三国志」と「三国志後伝」が完全には同じではない、翻案部分もあることを知り、2年ほどの前に中国で発行された上海古籍出版社発行の『三國志後傳』を手に入れ、簡体字と繁体字を見比べながら、読むことにしたのです。

2018-11-12 02:02:42
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

その時、2017年9月に、カクヨムで河東竹緒さんの「通俗續三國志」の翻訳が始まり、そちらでコメントを書いたり、wikipediaの項目を作成する過程で、前回のまとめ(togetter.com/li/1247279) の内容が判明し、2018年7月にまとめることができました。

2018-11-12 02:03:19
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

あれから、三国志後伝についてはまだまだ途上ですが、「通俗続三国志」・「通俗続後三国志」については、それからの調査により、かなりの事実が分かり、ここに発表するものです。

2018-11-12 02:03:50
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

私としては、20年以上持ち続けていた疑問がご助言いただけた方々の力を得られ、ここまで解明に至り、様々な方へ発表できる機会を与えられた喜びで胸が一杯です。この点につきましても、お読みになった皆さまに少しでも、共感いただけたら幸いです。

2018-11-12 02:04:24
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

この発表により、「通俗続三国志」・「通俗続後三国志」がどのような背景で江戸時代に翻訳されたが、また、現代文での翻訳まで至る過程と、あわせて、「三国志演義」が日本人に愛され続けたことがお分かりになると思います。

2018-11-12 02:04:58

## 3 三国志後伝について

まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

まず、通俗続三国志・通俗続後三国志の翻訳元である三国志後伝について、紹介します。これは、以前のまとめ(togetter.com/li/1247279)と全く同じですので、お読みになった方は飛ばしてください。

2018-11-12 02:06:00
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

三国志後伝は、三国志演義の続編として、明代に刊行された講談小説です。前述した通り、著者は酉陽野史といい、三国志演義の著者とされる羅貫中とは別人です。

2018-11-12 02:06:30
リンク Wikipedia 三国志後伝 『三国志後伝』(さんごくしこうでん)は、明代に書かれた小説。『新刻続編三国志後伝』、『続三国志』、『続三国演義』とも呼ばれる。作者については「酉陽野史」というペンネーム以外は不明。三国志演義における蜀漢の滅亡後、蜀漢の劉備や諸葛亮、関羽、張飛、趙雲たち臣下の子孫が四方に流浪した末に匈奴の地に集結して、劉備の孫である劉淵と改名した劉璩を立てて漢を再興して、西晋を滅亡させるが、漢が衰退し前趙へと変わり、後趙と争う次第を語る。 「陳寿の歴史書の余りや雑文を西蜀の酉陽野史が取材して編集したもの」と三国志後伝では称
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三国志後伝の多くは三国志演義の設定を受け継ぎ、三国志演義の終盤を補足しつつ、晋時代を舞台として、劉備の孫である劉淵を主人公として、劉淵が匈奴に逃れて、その主となり、漢を復興する次第を語ります。(劉淵が劉備の孫とするのは、あくまで小説上の設定です)

2018-11-12 02:07:08
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

この劉淵を劉備の孫(外孫)として匈奴に入り、漢を復興する内容は、元代に刊行された三国志平話の設定にあるものと同一です。三国志後伝が先行の三国志関連の講談の設定を受け継いでいることが分かります。元の至治年間(1321~1323)に刊行されています。

2018-11-12 02:08:01
リンク Wikipedia 三国志平話 『三国志平話』(さんごくしへいわ)は、宋代の話芸である説話の話本。元代に刊行された『全相平話五種』に収められている『新刊全相平話三國志』のことである。上・中・下3巻。小説『三国志演義』のもとになった故事を多く含んでいる。内容は司馬仲相の冥土での裁判で始まり、諸葛亮の病死で終わっている。『三国志演義』に比べて民間伝承を色濃く残しており、『演義』と比べれば荒唐無稽な話を含む通俗的な作品となっている。ただしこの『平話』には、関羽の架空の息子関索のエピソードが挿入されておらず(南蛮征伐の項で名前が一度だけ登場する 1 user
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